第37話:八つ当たりの『美酒』
『スパイさんの晩ごはん。』
第三章:ツーク・ツワンクの老人たち。
第九話:八つ当たりの『美酒』
あらすじ:マートンは頭が固い。
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戦争がクエイルを変えた。いや、私達を変えた。
結局、私の迷いは解消されず、いや、クエイルのおかげで迷いは増えたのだが、もやもやとしたまま王宮へ行き、何とか普段と変わらないように仕事をこなした。
そしてまた、『ツーク・ツワンク』へと向かう。
私にできる事はあまり多くない。でも、少しでも早く戦争を終わらせれば、迷う事も無くくなるだろう。勝っても負けてもこの戦争が終わったら、彼女達の馴染の顔も戦場から戻り、そして私は国に帰る。
私は過去の人間になるだろう。
そのためには、少しでも多くの情報を探る。もちろん、王宮での活動も続けるが、『ツーク・ツワンク』での活動を増やす。客の老人達の中には引退した貴族たちがいる。次代に継いだとはいえ元は貴族家の頭。今でも影響力は残っているばはずだ。
それに老将軍は引退したとはいえ軍をまとめていた男だ。引退してから数年程度では軍の動かし方や考え方の基本は変わってないだろう。決して無駄にはならない。
クエイルが女を使って情報を得るのなら、私はゲームを使って情報を得る。
ついでに、老人共の鼻を圧し折って、うっぷんを晴らし、勝利の美酒に酔うくらいはしても良かろう。
『ツーク・ツワンク』の二階へと上がると、老将軍は相変わらず居なかったが、見慣れた老人達が卓を囲んでいた。インディアンポーカーをやっていたらしく、色とりどりの鉢巻きや帽子にカードを挿している。まったく、どれだけ多くのゲームを知っているのやら。
「お、来た、来た。」
「こっちにこい!今日こそはリベンジじゃ!」
「ふっふっふ。この間のワシ等とは違うと教えてやろう!」
いつも通りの老人達にタメ息を吐きながら卓へと座ったが、実のところ私はこのゲームが得意ではない。自分の手札を見えないように頭に挿すので、相手の頭に挿さった札と誘導した言葉から自分の手札を予想して賭けなければならない。会話の駆け引きが重要なのだ。
あの朝もクエイルにやり込められた私には到底向かないゲームだろう。
「くっ!何が苦手そうなゲームじゃ!」
「オマエが言ったんじゃ!オマエが!」
「ちくしょう!顔に出なさすぎじゃ!」
老人達の醜い仲間割れをよそに、私は透き通る生ハムを指で吊るして舌先で迎える。
うまい。
ねっとりと絡みつく柔らかい肉の甘みに保存食らしい強い塩味。豚の後ろ脚を塩漬けして、火を加えずに何年も丁寧に熟成しているからこそ出せる熟練の味なのだそうだ。数時間で燻製にする普通のハムとは一味違う。
勝利の味と思えば猶更だ。
私は少し高いシードルを頼む。リンゴの酒の淡い発泡が爽やかで、生ハムにも八つ当たりで晴れた今の気分に合うだろう。
今回は老人共が自滅してくれて助かった。元々はライバルだったらしく、付け焼刃の連携だったことも幸いした。少しだけ煽ったら、私への敵愾心を薄れさせ、お互いでつぶし合ってくれたのだ。
「まさか、仕草と視線の誘導でここまでワシらをコケにするとは…。」
「誰じゃ、口下手だからチャンスはあると言ったのは?!」
「オマエじゃ、オマエ。」
罵り合いながらもちゃんと私の行動を把握して分析しているあたり、老人共も侮れない。次回は同じ手が使えないかもしれない。
私はそう考えながら、生ハムで支配された口腔に勝利の美酒を流し込んだ。今はどれだけ老人共を悔しがらせるか、それより優先するものは無い。この手の老人は負けている時の方が口が軽くなる。
身ぐるみ剥いでやろう。
「いつまで食っておるんじゃ!次のゲームをやるぞ。」
「次こそは勝ってみせる!」
「今日は逃がさんからな!」
勝利の生ハムと美酒を味わう私を急かし、次のゲームをしようとせがむ老人達。思惑通りだ。しかし、私に向いた流れはたった一言で止まった。
「次はオレが相手をしても良いか?」
振り返ると老将軍、ブラッソウ・スプライトが立っていた。私は彼の足音にも気付かなかったが、老人共は気が付いていたらしい。驚く様子も無く老将軍の話に割り込んだ。
「ワシ等の獲物を横取りとはいい度胸だな、将軍。」
「そうじゃ、そうじゃ!」
「横取りとは卑怯だぞ!」
「だが、良いように遊ばれているように見えるぞ?」
「そう言うのなら、将軍は小僧に勝てるのじゃろうな?」
「見ての通り、この小僧は強いぞ。」
「勝てる見込みはあるのか?将軍。」
『ツーク・ツワンク』のオーナーなのにほとんどいることのない老将軍と話せる機会だが、数少ない戦績は五分。他の老人たちなら無駄口を叩きながらも勝てるのだが、老将軍相手ではそれもできない。
老将軍が最初に居なかった時点で、今日の獲物を老人達に定めていた。今、介入されて老人達に冷静さを取り戻す時間を与えるのは面白くない。
それに、老将軍は見た目のように大雑把で力任せの戦略ばかりかと思えば、繊細でち密に計画された采配もしっかりとってくる。まさに百戦錬磨の猛将。音に聞こえた英雄と言うだけあって、勝負勘が鋭い。
なので、苛立ち紛れに老人共を蹴散らしている私では負けるだろう。老将軍に勝てる見込みがあれば、色々と駆け引きができるのだが。
私は席を立った。ここが潮時だ。仕切り直した方が良いだろう。
「なんだ。また逃げるのか?」
笑顔の老将軍は白い歯を見せ、肉食獣のように挑発する。
「あまり気が乗らない。」
「花街の女のところに逃げるのか?」
「?!」
クエイルに会っていた事は誰にも喋ってはいない。この街に入る前から尾行には気を付けているし、そもそも、仲間との接触には細心の注意を払っている。あの晩はいささか酔ってはいたが、この街に来てから身に付けた習慣を怠ってはいなかったはずだ。
「そんなに怖い顔をしないでくれ。まるで浮気がバレた男のようだぞ。」
浮気か。浮気なら良かったような気さえする。私の軽はずみな行動でクエイルの命を危険に晒してしまったのだ。私の本当の目的を勘の良い老将軍に悟られてしまったらと思うと、これからの活動に支障が出るのは解り切っている。
「くっくっく。ひと泡吹かせてやったぞ!」
「シャロットちゃんを蔑ろにした罰じゃ!」
「ワシはターニップちゃんの方が良いと思うのじゃがなぁ。」
どうやら、この老人達の中に、あの晩の様子を人を使って探った人物がいたらしい。ワイワイと勝ち誇る老人共の話から察するに、私がウドン屋でクエイルの尻に敷かれていたという他には、詳しい会話の内容まで知らないようだが。
「ずいぶんと仲が良さそうだったと聞いているぞ。」
「彼女のアパートまで行ったとか?」
「花街の女とか。不潔じゃ!不潔じゃ!」
「さて、黙っていてやる代わりに、オレと遊ばないか?」
「報せたければ、報せればいい。」
何も無かったと言い訳をしても、通じ無いだろう。むしろ、シャロットにしろ、ターニップにしろ、私がクエイルと会っていた事を知って離れるなら、少しの寂しさと心残りはできるが、今の私から悩みがひとつ消える。執着してしまったから失敗したのだ。
「なら、お前が勝ったら、何でもひとつ願いを叶えてやろう。」
「なんでもか?」
願っても無いチャンスである。引退したとはいえ、老将軍ブラッソウ・スプライトは英雄と呼ばれる貴族である。十分な資産があるのは間違いがなく、金で解決できる物ならどんな願いも叶えられるだろう。
だが、私にはもっと欲しいものがある。
慎重に言葉を選ぶ必要はあるが、老将軍の口から何でも好きな情報を得られる、またとない機会。老将軍の後を継いだ人物の気質、彼の兵士の育て方、今の軍の感想。知りたいことは山程ある。だが、私の口をついたのは別の願いだった。
「戦争を終わらせて欲しいと言ったら叶うのか?」
色々と叶えたい願いはあるものの、私の口をついて出たのは、夢物語でしか叶わないような願いだった。いくら英雄だとしても彼に戦争を終わらせるほどの力があるわけが無い。どんなに偉大な王にだってできることではない。戦争は二国以上でやるものだから。
だから、たぶん、私は苦し紛れに彼を挑発したのだろう。きっと。
「ふふ。ははっ。くっくっく。それはまた難しい願いだな。」
私の無理な願いを老将軍が笑う。だが、戦争を終われば、私はこの街から離れる事ができる。嘘にまみれた生活から離れる事ができる。ただの文官であった私がこんな所に潜入して情報をかき集める。そんな馬鹿らしい仕事を終わらせる事ができる。そしてもちろん、クエイルも。
たぶん、私の本心からの願いなのかもしれない。
老将軍は何かを見極めるように真剣な眼差しで私を見つめるので、私は意地でも目を離さなかった。
「それが貴様の望みなのか?」
「ああ。」
「じゃあ、ゲームを始めようか。」
老将軍は首を縦に振った。
それが途方も無く難しいことは、老将軍は誰よりも知っているはずなのに。
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次回:不公平な『勝負』
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