サイとドモンの怪奇取材メモ

高柳 総一郎

天使が街にやってきた【コメント:こんなもん載せられるか!】

【ボツ】(仮題)天使が街にやってきた(前編).text


「君も隅に置けませんねえ」

 ニタニタと笑顔でそう言って笑えあえたのなら。それは幸せなことだっただろう。

 残念ながら、その相手だった男──サイにはそういう感情はない。むしろ憂鬱そうな表情だ。

オールドハイト、セントラルパーク。暖かい季節だ。誰もがベンチに座り、新聞や本、タブレットで文化を摂取する──白い雲が伸びて消える。


「いつの間に同棲なんか始めたんです?仕事ばっかりだと思ってましたけど、やることやってんですね」


 寝癖のついた黒髪をガシガシと掻く。ドモンは着ている黒いジャケットの下からタバコを一本取り出すと、咥えて火を点けた。オールドハイトという街は疲れる事ばかりだ。タバコでも吸っていないとやっていられない。それは隣にいるこの赤毛の親友──サイも同じだ。くしゃくしゃになったタバコの箱──『ラッキーストライカー』から出した紙巻きタバコを一本ひっつかむと、簡易ライターで火を点けようとした。なかなか火は灯らなかった。


「なあ、お前彼女いたことあるか?同棲したことは?」


 とうとうタバコを諦めたのか、サイはうなだれたままそう言った。


「断言しますが、殺し屋に彼女とかありえないですよ」


「じゃ俺も断言するがな。彼女ってのは少なくともお互いの同意あっての存在じゃないか?」


「そりゃそうでしょう。本気でもお遊びでも鉄則ですよ。……まさか君、むりやり……」


「あのな、ドモン。お前はどうだか知らないが、俺はそこまで飢えてもなければ困ってもない。しばらくお前を同居させてたし、仕事も忙しかったんで機会がなかっただけだ。聞いたろ、新型麻薬の話」


 新聞──と言っても、大概の記事が眉唾ものの大衆紙だが──記者であるサイがすっぱ抜いたの

は、以前オールドハイトで流行っていた違法スレスレのハーブの供給がなくなったことで入ってきた新型LSDのことであった。

 ペーパー・アシッドと呼ばれ、チューインガムに偽装されて取引されるそれは、従来のLSDより高い効果──感受性の高揚と多幸感の増大──をもたらす代わりに、強い依存性を持っているため、危険性が増しているというシロモノだった。

 今は一時的に衰退したそれは、天使の兄弟たち《ブラザーフッド・オブ・エンゼル》と呼ばれた新興宗教の信者たちによって配られていたが、サイの取材の後──それよりも前に内偵が入っていたのかもしれないが──FBIによってほとんどのメンバーが逮捕され、壊滅状態に陥ったのだった。

 おそらくは、オールドハイトという街に巣くう組織のどれにも与していなかったこと、それでいて明確な後ろ盾がなかったのが、彼らが滅亡した原因であろうというのがサイの予測だった。無理もないことだった。この街において、強者でない者は食い殺される定めだ。


「で、そのブラザーフッド・オブ・スティールがなんですって?」


「エンゼルな。……奴ら、FBIにカチこまれる前に、俺に脅迫状を出してるんだよ」


 サイは丁寧に折り畳まれた手紙をゆっくり開いてから、ドモンに手渡した。

 内容はシンプルなもの──今時珍しいタイプライターのアルファベットが並び、一文だけが書かれている。


「『天使がお前を連れ去りにやってくる』ですか。今時言いやしないような古臭い言い回しですね……」


「その後一週間もしないうちにやつらが壊滅したニュースが流れて来てな。まあ、俺にしっぽ掴まれるってことは、それなりの捜査してる連中は実態を掴んでたってことなんだろうし。俺もヒマじゃないし、終わった事件を蒸し返すのもアレだし、ほっといたんだ」


 そこからが問題だった。ドモンは少し金が入ったので、サイとの同居を解消し、近くにアパートを借りていた。サイはまた一人暮らしだ。案外寂しいものだが、もう慣れてしまった。仕事でくたくたになった後、一人きりの部屋に戻る。

 電気を点けたそのときに、誰もいないはずの暗がりの中に、『彼女はいた』。


『今日のイーサン・ドロウ・ナイト・ショーのゲストは──』


 テレビがついていた。その前にあるソファに、誰かが座っていて──あまつさえこちらへ振り向いたのだ。

 ひどい顔だった。いや、顔立ちは整っているが、透き通るような青白い肌に反するように、落ち窪んだ目の下に凄まじいクマが刻み込まれ、ごわごわとした毛量の茶髪を、無理矢理にツインテールにしていた。

 女である。

 暗闇に女が一人佇んでいる。ここは自分の家だ。そして久々に帰ってきて、疲れ切ったときにこれだ。情けない声をあげられるかと思ったが、意外にもこういうとき声は出ないもの

だった。


「おかえりなさい、だありん」


 妙なイントネーションだった。女はニヤッと笑った。だありん。どういうことだ。彼女?このところ女友達とは縁がなかったはずだし、そもそもこの女を見たことがない。『初めて会った女だ』。


「テレビを見てたら寝ちゃってたの。ごめんね?冷蔵庫の中、何もなかったから、簡単にオムレツ作っておいたの。よかったら食べてね」


 女はそれが当然の行いであるかのようにそう言った。サイは叫び出したいのをぐっと飲み込みながら、極力女を刺激しないように移動した。ダイニングテーブルの上の皿には、ラップに包まれたスパニッシュオムレツが見えた。ラップに露がついている。作りたてなのだろう。

ますます分からない。


「あの、これは……」


「晩御飯よ、だありん。ね、あなたの好きなタフ・ビールも買っておいたのよ」


 立ち上がってこちらに近づいてくる女の顔は、見づらかった。まず人種が分からない。前髪が長く、目の妙な輝きだけが暗闇に浮いているようだ。何より女はこちらを見下ろしている。サイは身長が百七十五センチはある。それを見下ろしているのだから、相当背が高い。天井に頭がつくのか、腰を折ってすらいる。目の輝きが妙に恐ろしくて、サイは視線を逸らした。


「どうしたの?恥ずかしがらないで、だありん。私とあなたの仲でしょう」


 逸らした視線の先に、女が長い手の先に握っている物が見えた。手斧だ。テレビの中でアホのイーサンがペラペラ喋るたびに、刃に光が反射する。

 見間違えでなければ、赤い糊が──単なるシミであってくれと願った──べっとりとついて乾い

ている。

 お前、誰だよ。ここは俺の家だぞ。

 サイには分かる。曲がりなりとも、現役だったころの殺し屋ドモンと同居していた経験から、そんなことを言えばどうなるかわかる。殺し屋なんてのは大なり小なりイカれてる。ただ常にイカれてるわけじゃない。自販機のボタンを押したらコーラが出るみたいに、何かしらのスイッチで切り替わるようになっているのだ。そうでないと元からイカれてしまう。

 ドモンは依頼とカネがそれだった。無ければ静かなものだ。

 この女は?必ずスイッチがあるはずだ。


「いやあ、その……あ、ありがとう、な!悪いな、好きなものばっかりで──」


 サイはとっさに嘘をついた。別段スパニッシュオムレツなんて好きじゃないし、一人で晩酌なら

 タフ・ビールよりウィスキーあたりをちびりと飲るほうが好みだ。


「そうでしょう?ね、だありん。お腹減ったでしょう?食べて、ね」


女が笑みを見せたが、またそれでゾッとした。歯が尖っている。前歯が全て、まるでサメみたいに──。


「悪いな、ホントに……。なあ、き、今日は疲れてて……飯作りに来てもらって悪いんだが、ひ、一人になりたいんだ。今日は、帰って──」


 女の目がギラリと輝いたように見えた。サイにはわかった。

ああ、ヤバイぞ。この女のスイッチを押しちまった。


「どうしてそういうことを言うのォッッッ!!」


 長い手で肩を掴まれた。身体が宙に浮いて、ソファにぶん投げられた。立ち上がろうとした鼻先に、風のように何かが通り過ぎた。テレビモニタがバチバチと火花をちらしている。イーサンの顔に斧が突き刺さっていた。女が投げたのだ。俺に、向かって!

 女は犬が喉を鳴らすようにぐるぐると威嚇しながら、スパニッシュオムレツの皿を持ち、こちらに覆いかぶさってきた。


「あなたのために作ったのに!どうして食べる前に帰れっていうの!食べてるところを見せな

さい!」


 女は有無を言わさず、サイの頬を掴み口を開けさせると、オムレツを手で掴み、強引に詰め込み始めた。

 パニックだった。殺される。オムレツは確かにオムレツの味がしたような気がしたが、とても味などわからない。


「食えッ!食えよォォォ!私の愛を食えよ!!」


 女はそうして、サイが自主的に全て食べ終えるまで見ていた。瞬きもせずに、こちらを見下して──口の中に長い指を突っ込んでオムレツがなくなったことを確認してから、彼女は笑った。


「ね、美味しかった?だありん」





「……じゃ、その女は──」


「間違いなくお前のご同業だ。今はいい。なんとか誤魔化してるからな」


 ドモンはタバコの灰を落としながら、考えていた。スイッチ。確かにそうだ。地雷のように、踏み抜かなければ大丈夫。そういうこともあるだろう。


「それにしても何なんですかその女は。あんた殺し屋がデリバリーされる覚えでも──あ」


「そうだよ。ブラザーフッド・オブ・エンゼル。やつらが壊滅する前に、俺という男に殺し屋を送った。『天使がやってきた』んだ。……もっとも理由まではどうでもいいけどな。依頼人はもういないだろうから」


 難儀なことに巻き込まれる親友だな、というのがドモンの感想だった。この男はそうでなくても、三流ゴシップ誌の記事を埋めるために、わけがわからない事件に命をかけるハメになることが多いのだ。

 まあそのたびに、僕が駆り出されるんですが──。

 ドモンは自嘲気味に笑った。とはいえ、同じ街に住んで、同じ屋根の下でストリーミング配信で映画を見た仲だ。助太刀せねばなるまい。

 彼はベンチのそばに立てかけていたバットケースを掴んで立ち上がった。


「チーターズの真似事ってんじゃないですが、乗り込みましょう。……いい加減、君の家でネットフリックスを観たくなってきたんで」


「最近解約した」


「じゃ、24のDVDでもオースティン・パワーズのブルーレイでもなんでもいいですよ。その口の中にまた好きでもないオムレツを詰め込まれたくなきゃ──僕の出番でしょ」

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