【全部同じドーナツ】

 俺はドーナツが大好きだ。

 ミスドには週5で通い、週10で入店するコンビニでは毎食のデザートにドーナツを買う。

 そんなドーナツ好きが高じたせいで、疲れていると輪っか状の物が全てドーナツに見えるという幻覚に苛まれるようになった。

 実際の所、別に大した害はないのだが。

 ただ、気が散って仕方がなかった。


「どうかしたんですか?」

 声に反応して目の前の女性を見る。

 一つ年下。明るく着色されたボブカットと左耳の小さなピアスが印象的。今日の服装は胸元にリボンが付いた白シャツの上から水色カーディガンを羽織っていて、下はベージュワイドパンツにピンクスニーカー。カジュアルなコーデも素晴らしく似合っている。

 ドーナツの幻覚を初めて見た時にも側にいた彼女と俺は今、ミスドに来店し同席で向かい合っていた。

「いえ。これって、ポンデリングですよね?」

 心配無用と首を横に振りながらも、再び視界に入った心配事で堪らず皿の上に乗るいくつものポンデリングを指差す。

 すると彼女は平坦に頷いた。

「そうですよ。自分で頼んだんじゃないですか」

「えっとじゃあこれは?」

 更に、隣へと人差し指を移動させて同じ問いをする。

 すると今度の彼女は、はてと首を傾げた。

「ゴールデンチョコレートですね。やっぱりどうかしたんじゃないんですか?」

「……全部、同じなんですよ」

「はい?」

 俯きがちの発言は聞き取りにくかったらしく、顔を上げてその真実を改めて発する。


「全部、ポンデリングなんですよ……!」


 訴えが向かうのは、眼前に並ぶ七つのポンデリング。

 ゴールデンチョコレート、エンゼルフレンチ、オールドファッション×2、ハニーディップ、ポンデリングストロベリーの影が消え、象徴的な存在のみが皿を占有していたのだ!

 どうやら今回の幻覚は今までとは違い、目に映るドーナツが全て同じ種類に見えるというものらしい。

 ざっと店内を見渡してみても、他の客が食べているのもポンデリング。店頭に並んでいるのもポンデリング。なに、パイ系ですらポンデリングだと!?

 動転して頭を抱えていると、彼女が気を遣ってくれる。

「やっぱり疲れているんじゃないですか? 今日はもうお休みになられては?」

「い、いや誘ったのはこちらですしっ。それにっ、こっちが休みを取れなかったせいで一か月もお待たせしたわけですし!」

「……そうですか」

 何よりも、今日が彼女との初デートなのだ。

 一目惚れしてから着実に会話を重ね、ようやく先月成し遂げた約束だったが、急の仕事でやむなく出社になり、それからズルズルと伸びて今日何とか叶ったわけである。

 一度求婚を断られてはいるが、予定は合わせてくれた。これは紛れもないチャンス。逃すわけにはいかなかった。

 だというのに、俺の視界にはポンデリングしか映らず、今はストロベリーな舌なのにこれでは堪能出来ない……!

 いや待て。

 視界がおかしくなっているというのであれば食べてみれば分かるのでは? 幸いに真実を教えてくれる人が目の前にいる。

「食べてみていいですか?」

「自分の物にあまり許可はいらないと思いますよ」

「えっとでは、これがストロベリーですか?」

「その左隣ですね。あ。そちらから見て左隣です」

 右のドーナツを取ろうとすれば訂正され、指示通りの物を掴む。

 彼女談ポンデリングストロベリーなポンデリングを手に取り、俺は顔の前へと持ってくる。

「い、いいいいざ、実食」

「そんなに緊張する事ですか?」

「見た目と違う味したらビックリしません?」

「よほどビックリされるんですね」

 そう言われたら飛び跳ねるくらいはしないといけない気がしてきた。よし仮にストロベリー味だったら椅子から転げ落ちよう。

 と俺は心を整えて、ポンデリングに向かう。

「では改めまして。いいいいざ、実食……!」

「緊張する事なんですね」

 やっぱり手は震えながら、視線を浴びつつそろりとポンデリングを食む。はむはむ。

 象徴的な形に添って一玉千切り咀嚼。コーティングされた砂糖が砕けると中の柔らかな生地に至り、そして甘みが……

「………」

 と味わおうと思うも眼前ではじっと様子を窺ってくる視線。

 思わず恥ずかしくなって視線を逸らし、しかしなんだか気になってもう一度目を合わせてやっぱり逸らす。

 そうしている間に、口の中からドーナツは消えていた。

「どうでした?」

「緊張で、味が分かりませんでした……」

 そう伝えながらなんとなく真相は見えてきて、俺はひっそり彼女を見やる。

 先ほどの震えも、味の違和感にビックリするかもという不安によるものではないのだろう。

 今日の幻覚の原因は、疲れではなく緊張だ。

 初デート。一目惚れの相手。自分が考えたプラン。要素ならたくさん思いつく。

 その自分の心情を知ると急に照れ臭くなって、ドーナツを食べる手も進まない。

 彼女は俺に構わずドーナツを食している。俺から見たらそれもポンデリングだ。

「それはポンデリングですか?」

「いいえ、ゴールデンチョコレートです」

 やはりポンデリングにしか見えないなぁと見つめていると、彼女は不意に食べる手を止めた。

「……食べている所を凝視されるのは、あまり気分が良くないですね」

「どこも変じゃありませんよ」

「そういう問題じゃないんですが」

 今日も素敵ですと伝えると、彼女は呆れたようにため息を吐く。

 それから彼女の食事はゆっくり丁寧になった。

 さすがに嫌われたくはないので視線を外し、手持無沙汰な俺は、食べかけのポンデリング(ポンデリングストロベリー)を口に入れる。

「……ポンデリングだな」

 改めて得られた味覚は、果たして見た目通りの物だった。

 どうやらこの幻覚は、目だけでなく他の感覚にも作用するらしい。と言う事は今日、ポンデリングを七個食べないといけないわけだ。まあ問題ない。

「まだ幻覚を見ているんですか?」

「ええはい。味もポンデリングでした」

 己の成果を発表するみたく少し自慢げに言って見せると、彼女は眉をしかめた。

「……やっぱり、休まれてはどうですか? 今日もこれぐらいにしときましょう」

「いえいえっ!」

 最悪の提案に思わずガタっと席を立ってしまう。周囲からの視線を浴びて我に返りつつも、却下してもらうため意見は告げた。

「どうか、今日は最後まで過ごさせてください。次に予定を合わせようと思ったらまた一か月後とかになりますのでっ」

「別に私は問題ないのですが」

「こういうのは一回でも多い方がいいでしょう」

「……結構あけすけに言いますよね」

 照れても良い所なのに、彼女はまるで表情を変える様子はない。一体俺の事をどう思ってくれているのだろうか。……また緊張の要因が増えた。

 好印象を持ってもらうために色々と思索したいのだが、視界を侵略するポンデリングのせいで思考は散らばってしまう。

「そうだ。俺以外には普通に見えるのなら、他の人に食べさせてもらえば味は元のままなのでは……?」

「はあ……」

 すごい発見だ、とそれとなく彼女に視線を向けると、どこか面倒臭そうな瞳を返された。

 ……まさか俺の考えがバレた? まあ構わないか。

「というわけで、俺に食べさせてください」

 企みを隠すつもりもなく、俺は犬がするみたく、はっはっと口を開けた。

 すると彼女は瞳を細める。

「……別に構いませんが、食べさせるだけですからね?」

 どれですか、と聞かれたので、エンゼルフレンチでとお願いした。エンゼルからキューピッドになってくれ。

 彼女は手で汚さないようナプキンでポンデリング(エンゼルフレンチ)をつまみ、そして俺の口の前まで運んできてくれる。

「はい、食べてください」

 事務的な言葉に、だが俺は応えられない。

「……今更ながら、緊張してきました」

 今この状況に胸が異様な高鳴りを覚えて、体がすっかり硬直してしまっていた。

「早く終わらせてくれませんか?」

「すみません。体が上手く動かなくて」

 ドーナツを前にした顔は前に出ない。体もピシリと固まって彼女を困らせるばかりだった。

 俺としてもこれ以上、彼女の機嫌を損ねたくはないのに。

「もう少し開けてもらわないと入りません」

 ため息を吐いた彼女は、不意に俺の右頬に手を当てた。

「っ!?」

 予想外の接触にそれこそ椅子から転げ落ちそうになったが、幸いに硬直した体がその場に留めてくれる。

 右頬に当てられた手は、親指が動いて下顎を無理やり下げる。

 そして強引に、もう一方の手がポンデリング(エンゼルフレンチ)を突っ込んだ。

「はふっ」

「はい、満足ですか?」

 彼女は既にドーナツから手を放していて、俺の口が必死に支えている状態。彼女に対する返事をしようと思っても、口が塞がって伝えられなかった。

 少しして呑み込んでから、まだ温もりを感じる気がする右頬に手を重ねる。

「強引ですね」

「………」

「じょ、冗談です。ありがとうございました」

 少し茶化した風に言って見せると、今までにないキツイ眼差しを貰ったのですぐさま訂正。真摯に謝辞を述べた。

「はあ……。それで味はどうだったんです?」

「あ、えっと……あんまり覚えてないです」

「……もうやりませんからね」

 苦笑しながら真実を言うと、彼女はつんと顔を背けた。

 でもそれが、完全に突き放しているものではないというのは直感で分かって、思わず俺の口元がにやけてしまう。

「お返しにこちらからもあーんを」

「さっきのはあーんじゃありません。言うなら介護です」

 ピシャリと言いきられるも、俺はなんとなく嬉しい気分だった。

 それから他愛もない会話で楽しい時間を過ごし。

 退店する頃には俺の幻覚もなくなっていて、少しは自信がついたのかもしれない。

 並んだ距離もどこか近づいた気がする。

 なんて口にしたら、当然否定されたが。

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