八章 ふたりのはじまり
「……と、言うわけでだ」
まだ日の昇らない早朝。深夜と言ってもいいその時刻に、
朝の早い農家の仕事前、と言うことでこの時刻になったわけだが、本来なら人を呼び出すなど非常識な時間。まして、一八歳の若い女性を男の部屋に呼び出すなどはなはだ非礼な振る舞いではあった。しかし、
それはともかく、呼び出されたほだかは不満げな表情ひとつせず、
それでも、その表情を見れば『一皮むけた』おとなびたものになっていたのは確かである。
ともかく、
「これからは、おれも本気でライフ・ウォッチング・オーバーアートに取り組ませてもらう。先祖代々の畑を守っていく、そのために」
「そうこなくっちゃです!」
ほだかは身を乗り出すと、両手を胸の高さに掲げてグッと拳を握りしめた。浮かぶ笑顔が目にまぶしい。
「先祖代々の畑を守るため男一匹、大バクチ!
若く、かわいい女の子にそう言われて――。
自然と鼻の下が伸びてしまう。おかげで、言い出した本人でさえ『大バクチ』と思っていることは聞き逃してしまった。が、この際はその方が良かったかも知れない。
「とにかく、やることになったからには成功させないと意味がない。そのためにお互い、学ばなきゃいけないことが山ほどある。まず、君には農業のことを知ってもらわないといけないわけだけど……」
「はい! がんばります。いくらでも鍛えてください、師匠!」
師匠! と、いきなりそう呼ばれたことは胸に刺さったが、
ゴホン、と、わざとらしく咳払いしてから
「『師匠』なんて呼ばなくていい。確かに、農業に関してはおれが君にものを教える立場だ。だけど、オーバーアートに関してはおれが君に教わる立場なんだ。言ってみれば、お互いに相手の師匠であって、弟子でもあるんだからな。同格の立場だ。普通に名前で呼んでくれればいい」
「いいえ、それはちがいます。オーバーアートに関してはあたしだってはじめての挑戦。。どちらかがどちらかに教えるとかではなくてお互い、協力して作り出していくんです。である以上、農業に関して教わる立場なんですから、あたしはあくまで弟子。『師匠』と呼ばせていただきます」
どこまでもまっすぐにそう言ってくるほだかの態度に、
「そ、そうか……。まあ、君がそう言うならそれでいいんだけど」
「はい! では、改めて……」
ほだかはそう言うと、居住まいを正した。畳の上にそっと三つ指をつき、お辞儀をすると、普段の賑やかな姿からは想像も出来ないほど静かで、落ち着いた、しかも、清楚な仕種と口調で言ってのけだ。
「ふつつかものですが、よろしくお願い申しあげます」
――嫁か⁉
と、思わず心のなかで叫んでしまうぐらい動転する
「そうと決まればさっそくはじめましょう! これから、仕事なんでしょう?」
ほだかはいつもの調子に戻って立ちあがった。その姿が、全身からエナジーを吐き出すアンドロイドのよう。力感に満ちたその勢いにもだが、ネコの瞳のようにコロコロと印象がかわる姿にはどうにも圧倒されてしまう。
「そ、そうなんだけど……寝なくていいのか? お袋と話していて寝てないんだろう?」
「風景カメラマンを舐めないてください。夜通し、山のなかを歩きまわってそのまま撮影……なんて日常チャメシゴトですよ」
『チャメシゴト』などと言って見せたのは、余裕を演出するためのシャレだろうか。自信の笑顔が『心配ご無用!』と、断言している。
――カメラマンって……まだ『志望』だろう。
「さあ、行きましょう!」
と、勢いよく宣言して
行き先はどうあれ、一八歳のかわいい女の子からの力強い誘い。彼女に捨てられたばかりの独身男に逆らえるはずもない。
「ちょ、ちょっと、近いんだがな……」
ほだかが
ほだかはキョトンとした表情になった。
「そうですか? これぐらい、普通でしょう?」
「いや、普通じゃないだろ! まるで……」
恋人同士見たいじゃないか!
とは、さすがに口に出しては言えなかった。
「そうは言われても、あたしは物心ついたときから集団生活で、男子に対してもいっつもこんな感じでしたしねえ」
「おれは
「それもそうですね。わかりました」
「分かってくれたか……」
と、
「つまり、師匠が女子慣れしていないのが問題なんです。女子慣れすれば問題解決。と言うわけでまずは、一緒のお風呂からはじめましょう」
「なんでそうなる⁉」
「『裸の付き合い』ってやつですよ。師匠と弟子なんだから、それぐらい当然。今日から一緒にお風呂に入りましょう」
「当然じゃない! 大体、うちには親父もお袋もいるんだから、そんなことを知られたら……」
「お父さんとお母さんは喜びますよ。あたしを師匠の嫁として狙っているんですから」
ほだかはそう言って、口元に手を当ててニマニマ笑う。上目遣いのその表情がまさに小悪魔というか、メスガキというか……。
普段は『やんちゃな男の子』という感じなのに時折、急に小悪魔めいた表情を見せる。しかも、その表情がやたらとかわいい。そのギャップが、かわいさが、彼女に捨てられたばかりの哀れな男の心に刺さる、刺さる。
「よ、嫁って……。そんなことまで言われたのか⁉」
「言われてはいませんけど、態度でわかりますよ。なんでも師匠、嫁候補だった彼女にフラれたそうじゃないですか。そりゃあ、親御さんとしては息子の将来が心配だし、新しい候補を見つけたくもなりますよねえ。ここはひとつ、そっちの期待にも応えちゃいます?」
「ば、馬鹿言うな……! まだ、知り合ったばかりなのに」
「お兄ちゃん!」
「なんだ、いきなり⁉」
「お父さんとお母さん。師匠があんまりふがいないようならこの家から追い出して、あたしを養子に迎えて跡継ぎにするつもりだったそうじゃないですか。あ、これは、お母さんからはっきり聞きましたよ」
「……そんなことまで言ったのか」
思わず、頭を抱えたくなる
「実際、あたし、親いないし、成人してるしで、養子に入るのにも大して面倒はないんですよねえ。オーバーアートを展開していくためにもその方が便利かも知れないし。そうなると、あたしは師匠の妹。『師匠』と『お兄ちゃん』と、どっちの呼び方がいいです? それとも、『あ・な・た』?」
「普通に名前で呼べえっ!」
これから、朝飯前の一仕事がはじまる夜明け前。
人知れず、
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