第13話 全て作戦通りですわ!
「……行ったかしら?」
「ええ、もう大丈夫ですよ。お嬢様」
大広間が静かになったタイミングで、私は扉からちらりと顔を覗かせる。
厚い扉に阻まれていたせいで内容までは聞き取れなかったけれど、鮫ちゃんこと鮫島さんと弥太郎君が声を荒らげて喧嘩していたのはなんとなくわかった。
疲れ果てた茂野さんの顔。心做しか皺が増えてしまったように感じる。彼には本当に苦労をかけてしまったと思う。
「茂野さん、無理を言ってしまい申し訳ございませんわ」
「い、いいえ。深愛様の頼みとあらば、この茂野、全身全霊を以てして努めさせていだきます」
こんな時でも茂野さんは紳士的に対応してくれる。長らくお父さんに仕えていた人だけあって、これくらいでは動じないのかもしれない。
お父さんとお母さんが留守の間にも使用人の方々や私が安心して暮らせるのは偏に彼のおかげだ。私もとても頼りにしている。
「それに、旦那様に比べると可愛いものですよ……」
お父さんも相当無理を言ってきたんだろう。不憫ではあるけれど、あまりに哀愁が漂っているものだから、少しおかしくて私は笑ってしまう。
「しかし、本当によろしかったのですか?」
シャーリーが不安そうな表情を浮かべる。鮫ちゃんと仲が良く、弥太郎君のことも知る彼女が心配する気持ちはよくわかる。
「慧と弥太郎様はどうにも相性が悪いように思えます。少なくとも慧は弥太郎様のような方を毛嫌いしています。慧のためとはいえ、このままでは慧が……」
私もあれほど犬猿の仲になるとは思っていなかった。もしも2人の関係がさらに悪化するようなら、早いところネタばらしして謝ってしまった方がいいかもしれない。
でもきっと……ううん。弥太郎君なら大丈夫だと信じて、私は気丈に振る舞う。
「大丈夫ですわよ。私の大好きなお2人ですもの。きっと乗り越えてくれますわ。それに万が一のことがあっても、私が弥太郎君を追い出すようなことはございませんし、父上だって鮫ちゃんを見捨てるようなことはなさいません」
きっと大丈夫だ。そう伝えてあげると、シャーリーは安堵したように微笑む。
鮫ちゃんが今までこのお屋敷にどれほど貢献してくれたか、お屋敷にいる人なら誰でも知っている。気が短いところはあるけれど、本当は誰よりも優しくて献身的な人だ。
その点、弥太郎君もよく似ている。おくびにも出さないけれど、彼も常に人のためを思っている人だ。
だから、たまにちょっとだけ怖くなる。弥太郎君は本当に自分の幸せのことを考えているのかなって。
ううん。そのために私がいるんだ。弥太郎君が自分を犠牲にする道を選んだとしても、私が彼を幸せにする。その結果私が犠牲になっても構わない。弥太郎君はそんな私を許してはくれないだろうけど、ね。
「と・こ・ろ・で! 茂野さん、動画はちゃんと撮れたのかしら?」
落ち込んでしまった気持ちを悟られないように話題を変える。
「ほっほ。バッチリですよ、お嬢様」
茂野さんは胸ポケットにさしたペンをトントンと叩く。
よく見なければ全く気付かないけれど、あれはボールペンであると同時に小型の隠しカメラの機能も備わっている。もちろん録音機能も完備。使い方を間違えれば犯罪の道具になりかねない代物だ。
「んふっ。弥太郎君のかっこいいお仕事姿、堪能させていただきますわよ!」
「お嬢様。お言葉ですが、これははんざ」
「バレなければ罪には問われませんわ!」
「通報します」
「やめてくださいまし!?」
瞬時にスマホを取り出すシャーリーの手を止める。自分でもわかってる、犯罪だって。絶対に許される行為じゃないって。
「で、でもでも、仕方ないじゃないですの! 弥太郎君はしばらく見習いさんなのでしょう? 私のお世話をしてくれないのでしょう? ずっと弥太郎君に会えないと思うと私気が狂ってしまいますわ!」
「もう狂ってます、お嬢様」
シャーリーにこれ以上ない追い討ちをかけられ、私は何も言い返せない。この子、たまに私の付き人であることを忘れているのでは? まあ、そういうところも好きなんだけど。
今の発言は茂野さん的にはアウトだったようで、これこれと注意されていた。
そしてお説教の矛先は私にも向けられる。
「深愛様。今回は深愛様がどうしてもと仰るため協力しましたが、今後このようなことはおやめください。旦那様が知ったら悲しまれますよ」
「ご、ごめんなさいですわ……」
むう。こうなると茂野さんのお説教は長いんだよね。悪いことをしているのは私だからちゃんと聞くしかないんだけどさ。
そう思っていたけれど、茂野さんはこほんと咳払いをして、
「しかし、私も深愛様の企みに加担した身。あまり強くは言えませぬな」
と話を終わらせる。珍しいこともあるもんだ。
その代わりに、茂野さんはこちらに渡そうとしたペンから力を抜かず、しっかりと握り締めて言う。
「深愛様、誓っていただけますか? もうこのようなことはせぬと」
「しません! しませんわ!」
「それから、このデータはあくまで深愛様がご自身でお楽しみいただくためのもの。くれぐれも他の者には見られぬよう」
「誓います! 誓いますわ!」
そうしてようやく弥太郎君のタキシード姿が収められた映像データを入手する。さらには珍しく声を荒らげ怒っている様子のおまけ付きだ。
彼には悪いけれど、怒っている弥太郎君もちょっと気になる。私も怒られたい。ちゃんときつく叱られて、その後優しく慰められたいぐへへ。
と、妄想に浸っていると2人の視線が私に集まっていることに気づく。危うくヨダレが垂れてしまうところだった。タキシード姿の弥太郎君がかっこいいのが悪いんだ。妄想が捗ってしまう。
「そ、それにしても、弥太郎君ったら大丈夫かしら?」
これまたわざとらしいかもしれないけれど、私は何事もなかったように話をすげ替える。呆れたと言わんばかりの視線に襲われたけれど、我を失った恥ずかしさに比べれば可愛いものだ。
「やはり弥太郎様がご心配ですか?」
シャーリーの質問に私は首を振り否定する。
「鮫ちゃんってば頑固者ですもの。ああいう子ほど、裏表のないさりげない優しさに弱いものでしてよ。私の知らない内に弥太郎君に絆されてしまわれないか心配ですわ」
鮫ちゃんにお友達ができることは嬉しいけれど、あまり仲良くなりすぎても困ってしまう。
ただでさえ弥太郎君エネルギーが足りていないのに、これ以上弥太郎君との時間が減ってしまうと思うと気が気じゃない。
こんなことを考えてしまうのは、私の器が小さいからだろうか。
「弥太郎様の心配ではないのですか?」
シャーリーが不思議そうに聞いてくる。
弥太郎君は何も心配ないと言えば嘘になる。けれど、弥太郎君ならきっと大丈夫。私の知っている弥太郎君なら、鮫ちゃんの張り詰めた心も溶かしてくれる。だって彼は──
「弥太郎君は私の……雲母家の人生を変えた人ですもの。何も心配はいりませんわ」
シャーリーは何のことかと頭にハテナを浮かべる。茂野さんは流石に知っているようで、穏やかに笑って首肯する。
「左様ですな。我々は弥太郎様に頭が上がりませぬ。このようなことをしてバチが当たらぬか心配になるほどですよ」
「ふふ、その時は素直に受け入れるしかありませんわね」
懐かしむように目を細める茂野さんは胸を押さえて、とほほと皺を寄せる。私たちの人生を変えた弥太郎君なら、きっと鮫ちゃんの心も救ってくれる。
そう、これは私たちの勝手な期待。けれど、こうでもしなければ、何も知らない彼は私たちの恩返しを負い目に感じてしまう。
それに、鮫ちゃんが弥太郎君の味方になってくれたら、彼の心も少しは楽になると思う。
だから今は、彼らの行く末を静かに見守ろう。
「さて、茂野さん。もう一つのお願いの件もよろしくお願いしますわね」
「はい。旦那様にも許しはいただきました。後は手筈通りに」
こちらの件もどうやら問題なさそうだ。私も私のやるべきことをやらきゃ。
「お嬢様、どちらへ?」
大広間を出ようとした私をシャーリーが止める。
「私は学校の方々とお話をしなければなりませんの。その準備を整えてまいりますわ」
「お供します」
大した下準備じゃないけれど、シャーリーが居てくれると心強い。私は彼女の申し出を受け入れる。
一度は彼に救われたこの身。今度は私たちが彼に返す番だ。
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