許嫁に裏切られ家族にも見捨てられた俺が下心全開のお嬢様に拾われて幸せになるまで

宗真匠

プロローグ

 それまでの俺は、自分で言うのもなんだが、十人に聞けば八人は羨むような人生を送っていた。


 俺は昨今の日本経済を回している三大企業の一角、神宮家の長男として生まれた。

 厳格で規律的な親父と優しく慈愛に溢れたお袋に育てられ、何もしなくても成功が約束された人生。

 それでも努力を怠らず、運動、学業、芸術とあらゆる分野で才覚を発揮し、幼い頃は神童と呼ばれていた。


 そして何より、許嫁の存在が俺への羨望をより強くさせた。

 雪宮紫乃ゆきみやしの。そこらのアイドルよりも優れた容姿に文武両道と隙がなく、その上誰にでも優しく明るい性格と非の打ち所がない俺の許嫁だ。


 成功が約束された人生。俺ほど挫折や失敗という言葉が似合わない人間もそういなかったと思う。

 そのまま何事もなく生きていくだけで、俺は幸せな人生を送れたんだ。

 それが俺、神宮弥太郎しんぐうやたろうの人生だった。


 だが、俺は失墜した。


 油断したわけじゃない。慢心していたわけでもない。ましてや、自己陶酔に溺れたなんてことは断じてない。

 いや、あの出来事をこれまでの慢心の結果だと言われればそうなのかもしれない。


 数日前。俺はいつものように放課後の部活を終えて、許嫁である紫乃を待っていた。

 紫乃の実家も名家であり、親同士が古くからの付き合いだったこともあり、俺たちは長きに渡り許嫁として過ごしてきた。


 だがその日、俺の前に現れた紫乃の隣には俺もよく知る男の姿があった。

 その男、久瀬遼雅くぜりょうがは紫乃と馴れ馴れしく肩を組み、俺を見つけるやニヤリと笑う。


「よお、お坊ちゃま。こんなところで何してんだ?」


 俺と紫乃の関係は学校でも周知の事実。久瀬が知らないはずもない。

 俺はてっきり、紫乃が久瀬に絡まれているのだと思った。厄介な男に捕まり、助けを求めているのだと。

 しかし、紫乃の発した言葉でそんな考えは枯れた落ち葉のように呆気なく吹き飛んだ。


「あれ、神宮君? もしかしてまだ聞いてないの?」

「……聞いてない? 一体何の話だ」


 全く身に覚えのない状況に怪訝な目を向けると、紫乃は久瀬と見つめ合い、それまで見たことのない不敵な笑みを向けてきた。


「私、久瀬君と付き合うことにしたから。君との遊びは今日でおしまいにしたいの」

「いや、意味がわからない。最初から説明……」


 飲み込めない話に説明を求めようとすると、久瀬がグイッと距離を詰めてくる。

 俺でも高校2年生にしてはそれなりの体格だったが、久瀬はさらにガタイが良く、俺はジリジリと後退る。


「紫乃は元々テメーのことなんざ好きじゃねえって言ってんだよ。わかるか? ヘタレで貧弱でナヨナヨした七光り野郎より、顔も体格も何もかもが勝ってる俺の方が良いってことだよ」


 至近距離で鼓膜が破れそうなほどの大声でそう吐き出すと、


「ついでに、体の相性もな?」


 と俺にだけ聞こえるよう囁く。

 久瀬のおかげでようやく状況を理解する。要は許嫁を寝盗られたのだ、と。

 周囲にはいつの間にか人集りができており、誰もが俺たちの異様な雰囲気に足を止める。

 寝盗られ公開処刑だ。恥ずかしいことこの上ない。

 さっさと退散しようと背を向けると、背後から久瀬の声が響く。


「じゃあな七光り野郎! 二度とそのツラ見せるんじゃねーぞ!」


 クスクスと馬鹿にするような笑い声に包まれながら、俺は足早に帰路に着いた。



 家に帰ると、今度は強い衝撃が俺を出迎えた。

 父さんの拳が脳を揺らし、俺は玄関に倒れ込む。


「よくも帰って来れたな。神宮家の面汚しが!」


 その一言で父さんも紫乃との一件を知っているのだと悟った。

 父さんと紫乃の父親は旧知の仲だし、知っていて当然か。


「貴様のせいで雪宮との関係は崩れた。久瀬に背中を掴まれるやもしれんのだ。貴様のせいで!」


 爪が食い込むほど強く握った拳。俺は咄嗟に顔を守った。頭がクラクラして正常な判断ができなかったが、これが防衛本能なのだろうと思った。

 しかし、その拳が振り下ろされることはなかった。


「父上、ご安心ください」


 聞き馴染みのある声に俺はゆっくりと目を開ける。

 俺の弟である遥太郎ようたろうが父さんの手を握り、宥めてくれていた。

 だが、感謝しようとは微塵も思わない。その後に続く言葉が俺には容易に想像できたからだ。


「僕が愚兄の代わりに神宮家を守ってみせますよ」

「遥太郎……」


 父さんは感動したように声を震わせ、がっしりと遥太郎を抱きしめる。


「よくぞ言った! それでこそ神宮家の跡取りだ!」


 一体何を見せられているのかと心底辟易する。俺が神宮家の落ちこぼれだと揶揄され始めてからずっとそのつもりだっただろうに。

 しばしの茶番を見せられた後、父さんはこちらに向き直る。

 鋭い目を向ける父さんと気味の悪い笑みを浮かべる遥太郎。

 そんな2人の後ろから、どうしていいかとオドオドしている母さん。

 そんな静けさの中、父さんは口を開く。


「愚息よ。貴様を勘当する」


 紫乃に別れを告げられた時、いつかはそうなるだろうと思っていたが、まさかこうも早いとは。

 落ちこぼれでも雪宮家との繋がりがあったから俺は生かされていただけで、それすら失えば用済みということか。

 まあ、それは俺にとっても好都合だ。世間体と名声しか見ちゃいない父さんの跡を継ぐなんてごめんだからな。


「言われなくてもそのつもりだ。今まで世話になったな」


 俺は父さんと遥太郎の間をするりと抜け、自室へと向かう。

 部屋をひと通り見渡し、必要なものだけを選んでバックパックに詰め込んでいく。

 手早く荷物をまとめて部屋を出ると、驚いた様子の母さんがいた。目元には大粒の涙が浮かんでいる。

 母さんだけはこの家の唯一の良心だ。恨みがあるとすれば、あんな男と結婚したことくらいか。


「ごめんなさい、弥太郎。あの人を止められなくて、ごめんなさい」


 何を言い出すかと思えば。

 今回の騒動に関して、母さんには何の落ち度もない。あの父親が話を聞くかと言われれば無理な話だし、俺が出ていくことになったのも元はと言えば俺が紫乃と上手く関係を築けなかったせいだ。

 だから俺は、丸くなった母さんの背中に手を置いて、優しく摩ってあげた。


「大丈夫。気にしなくていいよ、母さん」

「弥太郎、高校卒業までの学費は私が働いてでも払うからね。それと、これ」


 母さんに巾着袋を手渡され、何だろうかと中身を開ける。


「いつか独り立ちした時のために貯めていたあなたのお金よ。一生暮らすには全然足りないけど、少しでも生活の足しにしてちょうだい」


 母さんはそう言って苦しげに精一杯の笑顔を作る。

 心残りはこんなに優しい母親に親孝行のひとつもできなかったことだ。

 その時が来たらどこか美味しいものでも食べに行こうか。


「ありがとう。それじゃあ、行ってくる」

「弥太郎! いつでも帰ってきてね。待ってるわ」

「うん、わかったよ」


 残念ながらその時は来ないだろう。

 そう確信しながらも母さんに優しく微笑んで俺は家を出た。



 俺が神宮家を勘当されたことは、瞬く間に地域一帯に流れた。

 恐らくは父親の仕業だろう。俺の……ひいては神宮の悪評が広がる前に腐った実は切り落としておこうという算段だ。


 それまで普通に挨拶していた地域住民は、俺に対して明らかに冷めた態度を取るようになった。

 友達だと思っていた連中もこぞって俺を避けるようになった。

 今や日本でもトップ企業に肩を並べる神宮財閥。その名前の影響はあまりにも大きかったということだ。

 それと同時に、これまで落ちこぼれとされた俺が邪険にされなかったのもその名に守られていたからだったと実感した。


「これは……思ったより厳しそうだな」


 まずは居住地を見つけなければと思っていたが、今日を生き延びるのも大変そうだ。

 そうだな……まずは隣町にでも行ってみるか。この町はあまりにも神宮の影響が大きい。

 目が合った町の住人にふいっと知らん顔をされ、大きなため息が出る。

 約束のことも忘れ俺を裏切った許嫁。地位と世間体にしか興味のない父親。俺を見下して慢心している弟。神宮という権力しか見ていない町の連中。

 果たしてこの先まともな人生が送れるのだろうか。

 お先真っ暗な未来を案じながら、俺はバックパックを背負い直した。

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