第14話・元団長ペテルの板挟み
ウッドバルト王国はリム王国の軍事侵攻を阻止した。失ったものは、二十の集落、三つの街、二千人の国民と十二聖騎士団副団長・ラルフォンだった。ジャンヌは祖父に続き父を失った。
ジャンヌは考えていた。父を失った悲しみを堪えながら、どうしても
アンデッドたちを蘇生して、人間に戻す【エイム・リバウム】。いわゆる蘇生の儀のために必要な
最後の結界は、オーギュスター公国国境近辺。元四天王にして国王バルス・テイトが治める。ウッドバルト王国とは不戦の契りを交わしているものの、それは形式上だ。
元勇者でありつつも、非情の男として噂されているバルス・テイトがそうやすやすと、結界を張らせるはずはない、とジャンヌは考えた。
今から二時間前、オーギュスター公国国境付近
十二聖騎士団、重鎮ペテル・ローグが大弓、【
「ワシみたいなジジイが、こんな重要な役回りたぁ、ホント、年寄りは大事にせにゃならん、ヨッと!」 ペテルは軽々と蒼く光る大弓を引く。矢は十本、同時に射る。射程距離は五十メートル。マジックアローではないが、放たれた矢には【
オーギュスター公国国境付近で警備にあたっている兵はざっと三千。
それは小さな細胞が集まっては、散るように
全員戦闘不能にするには、ちと時間がかかるなと、ペテルは戦況を分析していた。すでにサグ・ヴェーヌに入ったダダイ・デディ姉妹は二つの結界を生成するのに成功していた。立ち上る火柱を見て、ペテルはこの地が最後の結界生成の場だと理解していた。
―――ペテルは八十八歳、十二聖騎士団に所属するには歳をとりすぎていた。若いころのようには動けない。団長の座もギャザリンに譲った。引退も間近と噂されるなか、ウッドバルト王国・フォーレス王より呼び出されたのだ。
「国王、および頂いた件、何用でございましょう」
「ペテル、ちょっと、こっち来て」
フォーレス王はペテルよりも二つ年下。二人は幼馴染だった。 無邪気に、玉座の近くまでペテルを呼びつけるフォーレス王。ペテルはフォーレス王に近づいた。二メートル手前で膝をつく。フォーレスはおもむろに、玉座の側に置いていた書を取り出し、ペテルに近づいて渡した。
「こ、これは?」
「これは【
「それは、王国の至宝と言われる…」
「これをもらって欲しい。ペテルにはまだ引退は早いよ」
「フォーレス王、私はあなたより年上です。もうすぐ九十になるというのに、まだ引退させてくれないのですか?」
ペテルはスキルの書を手にしながら、不満そうに言った。
「いまは、我が王国はサグ・ヴェーヌ、リム、オーギュスターと三国に囲まれている。いつ攻め込まれてもおかしくないんだ。不戦の契りなんて形だけだし」
「だから…」
「そう、だから、まだペテルには働いて欲しい」
生まれながらにして王を継承することから逃げられない、フォーレス・ウッドバルト。唯一無二の親友ペテルへの信頼は厚い。仕えられる・仕えるという立場ながらも、フォーレス王は一度もペテルを従者と思ったことはなかった。兄として慕っている。それはペテルも感じていた。ともに、フォーレスの初陣にも参じ、何度もフォーレスの命を救ってきた。
「わかったよ、フォーレス。まだ、戦ってやるよ。お前のためにも」
ペテルは【
オーギュスターの重装歩兵がペテルの目と鼻の先にまで迫っていた。
ペテルは自身の一個師団に相当する部隊を置いてこの任務にあたっている。できるだけ戦闘を避けて、隠密に結界を生成するということが任務の骨子だからだ。部隊を編成してだと、何かと目立つ。それに、オーギュスターの重装歩兵たちは精鋭だ。まともに戦っては、一個師団程度では無駄に命を落とすと、ペテルはわかっていたからだ。
ペテルは構えて矢を放つまでにほぼ一秒。一度に十本、魔力が付与された矢は盾をも貫く。盾を貫通し、一本の矢で三人を同時にくし刺しにした。それが一度に十本。一秒の攻撃で三十名を絶命させていた。だが相手は三千。最速で百秒はかかる。それまでに、ペテロが重装歩兵に囲まれれば、いくら十二聖騎士団といっても命はない。
渇いた夜の大地に汗が落ちる。夜の月明りすらない。雲っている、ジメっとしたぬるい風が吹く。どこか血なまぐさい。
一気に重装歩兵たちが詰め寄る。ペテルが矢を放ち、貫かれ、血を吐き、倒れる敵兵たち。だが、オーギュスターの重装歩兵たちは歩みを止めない。穴の開いた部分は、別の兵たちが寄り添い固まり、ひと塊になる。矢で貫かれるとわかっていても、盾を重ねて防御を強める。敵も必死だった。
ペテルの指先に感覚がない。もうずいぶん前からだ。矢を手に取る時間すら惜しい、徐々に放つ矢の軌道が狂い始める。ペテルに限界が近かった。
「敵は、十二聖騎士団ひとり。我らでうち滅ぼすのだ!」
小隊長らしい、
「クソっ、これまでか」
ペテルは【
「こりゃぁ、降伏かな」
ペテルのつぶやきを、斥候たちが聞きつけ、連携して、状況を報告する。
「敵、一名、十二聖騎士団、前団長ペテル、弓を地面に置き、降伏の意思を示しています」
「よし!降伏など
重装歩兵・総長ハンニバーグは
二千の兵を失ったが、部下を自分の道具としてしか思わないハンニバーグにとってはどうってことのない話だった。ペテルを生け捕りにすると命じたバルス王のせいで、二千の兵を失ったのだと主張するつもりだった。
ハンニバーグの合図で一気に攻め込む、千名もの重装歩兵。隊列の乱れはない。横に広がっていた隊列は、そのまま円を描くようにペテルを取り囲んだ。
「ペテル・ローグ殿!降伏なされるか?」
勝利を確信したハンニバーグがニヤついた顔でペテルに向かって言い放つ。
「あぁ、降参だ!」
「いやいや、正確におっしゃってくださいよ。降伏なされますか?」
「わかったよ、降参する」」
ハンニバーグのニヤついた顔が、笑顔で崩れる。
「言葉わかんねぇーやつだな。公用語でならわかるのか?ま、いいか、このバカ殺しちまえ!」
その瞬間だった、二千の重装歩兵たちを貫いた矢が自立して動き始めた。兵士たちの骸から抜け、ひとつの生物のように連なる。それは小型の龍のようにも見えた。
「よし、出たか」
ペテルは印を結び、龍を操る。
「な、なにを!」
「【板挟みの蒼穹】奥義・
奥義・板挟み、術者が放つ
この効果により、【板挟みの蒼穹】から放たれた矢は、
千の重装歩兵たちは小龍に
「この、イカサマ士め!貴様!タダで済むと思うなよ!!!」
ハンニバーグの負け惜しみが空しく戦場に響く。だが、ハンニバーグが無傷だったことにペテルは違和感を受けていた。ブレスを浴びて無傷だったということか?どうして?ペテルの悪い癖だ、分析癖が一瞬の判断を誤らせた。
「戦場で考えごとをするな」
と、ギャザリンとラルフォンには教えてきた。だが、自分がその過ちをしてしまうとは、なんと皮肉なことだとペテルは
ペテルは両腕を見た。両腕が折れている。攻撃を受けた覚えはない。同時にハンニバーグの姿がどんどん若返る。逆戻しでも見せられているかのような、不思議な光景だった。ハンニバーグの身体から体毛が伸びていく。牙がむき出しになる。身長が倍ほどの三メートルに、ハンニバーグは
「ぐぅッ、厄介な。
「いいえ、
「そうか
「言わせませんよ!!!」
ハンニバーグは奥義・板挟みを阻止した。【人狼・狼人・人狼】と言えば再び奥義・板挟みが発動するのをわかっていたからだ。
「タネがわかれば、チンケな技だ。そんなものが奥義とはちゃんちゃらおかしいぞ」ハンニバーグは余裕の表情を取り戻した。
「さぁ、ぶち殺してやる!」
大剣が天から降り落ちる、【
「うぉぉごぉお、痛ぇっぇええ」
「お、ワンちゃんでも痛いんだねっ」
「てぇええめぇは!!」
ハンニバーグの濁った眼に映った男が調子よく軽口を叩く。
「ペテルさんすみません、ウチの若いもんが。ちょっとお仕置きしておきますんで」
闇夜でその姿が見えない、だがペテルはこの男が誰かすぐにわかった。【
「あなたは!」
ペテルの両腕の骨折が治癒していた。バルスの【
「てめぇは、バルス・テイト!」
ハンニバーグの失った左肩から先が再生している。
「国王に向かってその口の利き方、いけないなぁ。ハンニバーグ!でも、やっと見つけた。探してたよ、
「
「なぁ、こいつは、
バルスがペテルに尋ねた。
「あぁ、このワンちゃんは
ペテル・ハンニバーグ・ペテルの順で言霊が板挟み化した。ペテルは印を結ぶ、再び矢を使い召喚した。奥義・板挟み、一日に二度は初めてだった。
「おらぁ、炎につえぇんだっーの」
ハンニバーグが得意げに叫ぶ。再生した腕を振り回す。 バルスは一歩後ろに下がった。「こりゃぁ、ヤバいね」「だろぉ、ヤバいだろ!バルス!!!」 ハンニバーグはペテルとの距離を詰める。「ヤバいのは、お前だよ。
ペテルが召喚したのは、スライム・オブ・スライム。高速で動くその姿は目では補足できない。ハンニバーグは両腕から打撃を繰り出す、スライム・オブ・スライムは攻撃を容易にかわす。
たった一体のスライムだが、十二騎士団団長時代に討伐した伝説のスライムだった。召喚は基本的に、討伐した際に使役契約を結ぶと召喚できるようになる。召喚される側のメリットは不死の命だ。倒されると、バックヤードに戻るだけ。再び召喚することは可能だ。
「あれは、スライム・オブ・スライムか。スライムの中のスライム、いわゆるスライムの王だな。ペテルさんが討伐して使役していたのか」
「くぅ、このチョコマカと!」
ハンニバーグの腕が空を切る。
スライム・オブ・スライムがハンニバーグの耳から入り込み、体内を侵食する。まさに食べつくしている。不死の肉体を持つものとして、ヴァンパイアと人狼がいるが、食われてしまえばさすがの不死も形無しだ。
ものの一分ほどで、ハンニバーグは皮だけになった。骨までも食い尽くされた。三メートル近くあった肉体はこの世から消え去っていた。
「こぇえええなぁ、伝説のスライム」
バルスはおどけて言った。
「ありがとうございました、バルス王。ですが、なぜ私を」
「まぁ、固いことは言いっこなしで。俺は、王辞めてきたから。とりあえず詳しいことはあと、あと。それよりも結界の合図を送らなくていいのか?」
「そうでした。火柱を…うっ」
ペテルは回復したとはいえ、両腕の痛みで顔が歪んだ。
「俺が火柱立ててやるよ」
「ブレイド・スレイド・オーグ。焔の中に、潜みしその暁。然して、忌むるべきもなし。ブレイド・スレイド・オーグ!【
バルスは火炎系呪文の中位クラス【
オーギュスター公国国境付近で最後に上がった炎はひと際大きかった。ウッドバルト王国から火柱の合図を待っていたジャンヌは、その大きさに気づいていた。
「ちょっと、デカすぎたかな」
「いえ、ありがとうございます。バルス王」
「いやいや、もう王じゃないって」
バルス・テイトがオーギュスター公国国王の座を退いた。リム王国とウッドバルト王国が戦っていた最中、この報せはいち早くリム・ウェルの耳には届いていたのだった。
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