美容師さん、話題のチョイス、間違ってませんか?
市井たくりゅう
美容師さん、話題のチョイス、間違ってませんか?
「実は、付き合っている彼女が妊娠しちゃいまして…。」
僕は美容師にそんな相談をされたのだった。
初来店で。
初対面で。
最初の話題で。
美容師さん、話題のチョイス、間違ってませんか?
「いらっしゃいませ。」
そう言って出迎えてくれたのは、ダンディーな髭を生やした美容師だった。僕と同じ30歳前後といったところだろうか。パーマがかった茶髪の髪を片方に流したような髪型がとてもオシャレだ。
少し気分を変えようと、今日はいつもの美容院ではなく、会社からの帰り道にある、前から気になっていた美容院に入ってみたのだ。
店内も広い作りで、凝った内装の中で美容師たちが客たちの髪をカットしたり、カラーリングをしたりと忙しそうで、かなり繁盛しているようだ。
この店は、当たりかもしれない。
僕は良い店を発見したかもという喜びで胸をワクワクさせた。
ここはシャンプーもカットも同じ人らしく、先ほどのダンディーな美容師が、僕の頭を洗い、そのままカットしてくれるようだ。
簡単に髪型の打ち合わせをした後、美容師は慣れた手つきでカットの準備を始めていく。
ここで僕はいつものように、鏡の前に置かれている雑誌等は手に取らず、無言のまま前を見つめた。
これは、美容師に対して、僕は会話を望んでますよという意思表示なのだ。
美容院で、カット中に美容師と会話をする派としない派に分かれると思うのだが、僕は会話をする派である。
会話をしない派の意見としては、ゆっくりしたいとか、話す事がない、とかだろう。
でも、美容師さんを含めていろんな人と会話をすると新たな情報を得られるかもしれないし、話が合うと楽しいからのという理由で、僕は断然会話をする派である。
そして、美容師は職業柄、話術も巧みな人が多いので、待っていれば適度な話題を提供してくれる。 基本、その話題に乗っかっていけば良いので、僕は、様子見がてら美容師に会話の口火を切ってもらうようにしているのだ。
「あの…。」
案の定、髪をカットしながら、美容師が話しかけてきた。
この美容師は、どんな話題を提供してくれるのか?
「実は、付き合っている彼女が妊娠しちゃいまして…。」
んん?予想してたのと違うな。え?妊娠!?
「そうなんです。先週、彼女から妊娠したって聞かされて、僕、驚きのあまり固まっちゃったんです。そしたら彼女、喜んでくれないんだと言って、デート中に怒って帰っちゃったんです。僕、どうしたら良いですかね?」
「なるほど…。」
僕はそう言ったきり、その後の言葉が続かなかった。それはそうだろう。初めての客に対して、いきなり相談事?しかも、人生を左右するような重いやつではないか…。そんな重いやつ、背負いきれないわ…。
この美容師、話題のチョイスがおかしいだろ!?
普通、初めての客への最初の話題なら、近くにお住まいなんですか?とか、あたりさわりのない話題を選ぶだろう。
まずは軽い話題から始め、お互いジャブを交わし合うみたいに会話をしつつ、相手の様子を見るのが定石のはずだ。
それが、いきなりフィニッシュブローをぶち込んでくるとは…。
「彼女が、ご妊娠されたんですね?」
「そうなんです…。」
とりあえず会話の定石である相手の言葉を繰り返すというやり方で時間を稼いだのだが…。ここからどうしよう? しかしあまり考える余裕がない。
「まあ、彼女にまずは、謝るしかないんじゃないですか?」
「はい?」
え?今僕、聞き返された?そんな滑舌悪かったかな?美容師は鏡越しにじっと僕を、不安そうに見つめている。
「いや、すいません、ちょっとわかんないです。」
僕はそう言って口をつぐんだ。
暗に話題を変えて欲しいと言うメッセージのつもりである。少し気まずいが、この話題を引き延ばすより、次の話題に移った方が良いと思ったのだ。
「こちらこそすいません、あれ、おかしいな…。」
美容師も、僕が話題の交換を希望していることを察したらしいが、おかしいな?
おかしいのはお前だろ!
まあいい…。いや、かなりこの美容師との会話が不安になってきたのだが…。しかし、会話という名のマラソンは、もう始まってしまっている。髪のカットが完了するまでは、2人で走り続けるしかないのだ。会話を始めておいて、途中で中断するなんて、気まずすぎるではないか。ゴールするまでは、立ち止まることなく、会話のラリーを続けていくしかないのだ。
さあ、次の話題カモン!
「えーと、これ、他のお客さんから聞いた、実話なんですけどね。」
「実話ですか…。」
興味を引かれる語り口ではあるが…。声のトーンが若干暗いのが気になるな…。
「そのお客さんが以前行った美容室でね…いざカットしてもらおうって時に、鏡越しに見た美容師さんのハサミが、すごく赤かったらしいんです。それで、あれっと思ってよく見たら、べっとりと血のようなものがハサミについてたんです…。」
あれ?なになに?ハサミに赤い血?
「それでね…そのお客さん、思わず血が付いてる!って叫んじゃったらしくて…そしたらずっと笑顔だった美容師さんの顔が急に真顔になって、すいませんと小さく言って、その血のついたハサミを持ったまま、店の控室に引っ込んじゃったんですね…。その時、店の中にはそのお客さん1人だけで…。他の客も、他の店員も1人もいないんですね…。なんかおかしいなってお客さんも思い始めてきたところで、控え室から痛い…痛い…ってすすり泣きが聞こえてきて…。」
おいおいおい!ガチに怖い話じゃねえかよ。この美容師、会話じゃなくて、怪談始めちゃった!?しかも、美容院で美容院の怪談するなよ!余計怖いだろ。
「あの…すいません、怖い話はちょっと苦手で…。」
「はい?」
また疑問文で聞き返されたよ?そして美容師さん、鏡越しに僕のこと少しにらんでないか?にらみつけたいのはこっちだわ!なにこの店?コンセプトカフェみたいな店なの?美容師から変わった話が聞けますよ〜的な。そんな事、どこにも書いていなかったと思うのだが…。
とりあえず、この美容師の持っているハサミには、血はついていないようだ。ついつい確認してしまったではないか。
その時、カキンと音がして、見てみると、隣の美容師がハサミを床に落としてしまったようだった。 慌ててその女性美容師は、失礼しましたと言いながらハサミを拾ったのだが、この話題、隣にも聞こえちゃってるんじゃ…。となりの美容師も、同僚がこんな怪談を客に披露して、びっくりしてるんじゃないだろうか。
そろそろ頼む…。次の話題は適切なモノであってくれ…。
「あの、僕、占いができるんですよ。お客さんのこと、占ってあげましょうか?」
「占いですか…。」
うーん。占い師でもないのに、初対面の人に占ってあげましょうかってなかなかどうなんだろう…。
しかも僕、けっこう占いは気にする方なのである。でも、今までの話題よりはまだマシか…。次の話題がぶっ飛んでても困るしな。
「じゃあ、お願いしようかな。」
「わかりました!では、お客さんの星座を教えてください。」
星座占いかよ!得意とか言うから本格的なやつかと思ったわ。
まあいい…。
「僕は水瓶座です。」
「水瓶座ですか。えーと、水瓶座は、今日最悪の運勢ですね。」
最悪なのか…嫌な事聞いたわ。
てゆうかやるんじゃなかったわ…。
「でも安心してください!今日のラッキーアイテムがあれば、運気アップです。」
よくあるやつね。一応聞いておくか。
「ラッキーアイテムは、ピンクの口紅です。」
…いや、僕、男なんだけど。ピンクの口紅を塗れと…。
持っていても良いのか?
いやいや、その占い、絶対女性雑誌に載ってるやつだろ?男にも使うなよ…。
「実は、僕は射手座なんですが。」
ん?誰もお前の運勢なんて聞いてないが。
「今日、1番ラッキーなんです!」
今日1番最悪な人によく言えたな!
というか…。
おかしい。
おかしいぞこの美容師…。会話がポンコツ過ぎる…。
しかし、なんだろう、この違和感は。
ここまで変な人なら、目がイッてるとか、外見からもそういうヤバいオーラが出てそうなモノだが、この美容師は、見た目もさわやかだし、そんなおかしい人に見えないのだが…。
何かが噛み合っていない感じというか…。
でもそれが何なのか、全然わからない…。
「そして、こんな1番ラッキーな僕の運勢をさらにあげてくれるアイテムがあるんです。」
占いまだ続けるのね。正直、興味がないのだが。
「それは血のついたハサミなんです。」
え?血のついたハサミ?
僕はそれを聞き、呼吸が止まる。
聞き違いか?
いや、後ろの美容師は確かに言った。血のついたハサミと…。今日のラッキーアイテムが血のついたハサミ?
「え?お客さん、まさか、血のついたハサミをお持ちなんですか?」
はい?
血のついたハサミを持っているかと僕にききましたか?
持ってるわけないですよ。
ん?本当に僕持ってないよな。
僕は念の為、自分のズボンのポケットに手を入れて確認してみた。
もちろん、ポケットには何も入っていなかった。
「いや、持ってな…」
そこまで言いかけて、ふと鏡越しに美容師の顔を見て、僕は固まってしまった。美容師は完全に無表情で僕を見つめているのだ。その顔を見て、美容師は僕に対してとても怒っているのがわかった。僕が血のついたハサミを持っていないから怒っているのか?
いや、もしかしたらずっと前から、この美容師は僕に対して怒っていたのかもしれない。
…意味がわからない。
美容師がなぜ怒っているのかもわからない。
美容師が、なぜ僕が血のついたハサミを持っていると思ったのかもわからない。
そもそもラッキーアイテムが血のついたハサミというのも意味がわからない。
美容師の話題全てがわからない。
…
いつの間にか、店内には物音ひとつしていないことに僕は気づいた。店内にかかっていたおしゃれなBGMも止まっていた。
僕はあわてて店内を見まわした。
店員たちのハサミを動かす手も止まり、他の客たちも1人としてしゃべっていなかった。そして、全員が、僕を見ていたのだ。
なぜ、店のみんなが僕を見ている?
僕がハサミを持っていないから?
血のついたハサミを持っていないから?
わからない
わからない
ワカラナイ…
訳のわからない店の状況に、僕の何かが爆発しそうになる寸前、突然、明るく軽快な、何かダンスミュージックのようなものが店内に流れ始めた。
美容師は笑顔を浮かべながら、僕について来いという風にあごで合図を送ると、お店の中央にある、広めのスペースに移動していった。
美容師の目には、何か、有無を言わさない迫力があった。
僕は場の雰囲気に完全に呑まれ、店内の人間全てが見守る中、ゆっくり美容師の後についていった。
服の上から着ていたビニールカバーが異常に白く感じられ、自分が、まるで何かに捧げられる生贄のように思えた。
何が、どうなってイルンダロウ。
店内に流れる、ドラムの音がズンズン響くような音楽に合わせ、美容師は踊り始めた。不思議なことに、美容院でいきなり踊り出した美容師を見ても、特に違和感を感じなかった。むしろそこで踊ることが当然のようにさえ、僕には思えた。
美容師のダンスは、今時の若者がやるようなカッコいいダンスでとても上手かった。そしてなぜか、僕に向けて踊っていた。美容師は踊りながら、しきりに僕に向けて、目で合図を送ってきた。その意図していることは明らかだった。
僕に、一緒にダンスを踊れと合図しているのだ。
本当に意味がわからない…。僕はダンスなんてやったこともないし、急にやれと言われても、できる訳がないのだ。
しかし、血のついたハサミを持っていない僕は、ここで踊らなければどうなってしまうのだろう?という、わけのわからない恐怖が僕を包み込んでいた。
僕は踊り始めた。
美容師に対面する形で、美容師のダンスを見よう見まねでダンスを始めたのだ。
ダンスなどした事のない僕の動きは妙にクネクネしてしまい、動きの早い美容師のダンスに全くついていけてなかった。明らかに、すごく気持ち悪い動きをしているなと自分でもわかった。店内のみんなが無言で見守る中、僕たちは踊り続けた。
踊りながら僕は考えていた。
僕はもしかしたら、いつの間にかこの世界とは似て非なる、別の世界に迷い込んでしまったのかもしれないと。
この世界ではみんな、僕の知る世界とは別のルールで動いているのだ。
この世界では、美容師がわけのわからない話題を提供し、客とダンスを踊るのだ。
この美容院の扉を開けた時から、僕は異世界に入り込んでしまったのだろう。
そして、このダンスタイムはいつまで続くのか?全身の関節がきしみ、肺が悲鳴を上げていた。何よりも、みんなの前でこんなクネクネした気持ち悪いダンスを披露させられていることがキツイ…。
神様、どうか僕を助けてください…。これは何かの罰なんでしょうか?だとしたら本当にスイマセンでした!どうか、どうか僕の元いた世界に戻してください…お願いします…!
許してください…。
僕が神に助けを乞うていた時、美容師は突然くるりと向きを変え、先ほど隣でカットしていた女性美容師の方へ、ダンスしながら近づいていった。私もそれにならい、腰をくねらせながら、美容師とともに女性の方へ近付いていった。
二十代後半くらいだろうか?美容師っぽく髪をキレイな金髪に染めたその女性美容師は、近づいてくる我々に当惑した様子で立っていた。そういえば、この店員とその客だけは、周りの状況についていけず、ただただ固まっていたように見えた。
そして、突然音楽が止まった。
美容師がダンスを終えたのを見た瞬間、私はその場に座り込んだ。
そして美容師は、腰に巻いた美容師の道具入れみたいなもののポケットから、小さな箱のようなものを取り出した。それから片膝をつき、女性美容師にその箱を捧げるようにして両手で持ち、その箱をパカリと開けた。
その箱には、高そうな指輪が入っていた。
「結婚してください。」
美容師がそう言った。
プロポーズを受けた女性美容師は最初自体を飲み込めず、ポカンとしていたが、やがて嬉しそうに微笑みながら、
「こちらこそ。」
と言ってプロポーズを承諾したのだった。
「人違いでした。本当にすいませんでした!」
身体を90度以上に曲げ、僕に平謝りする美容師から聞いた説明はこういう事だった。
先ほどプロポーズされた女性美容師と、バツイチのこの美容師は、親密なお付き合いをしていたらしい。それで彼女に妊娠を告げられた美容師は急な話で固まってしまい、彼女にキレられてしまったのは最初の話題の通りである。
しかし、美容師は本当は子供ができたことを心から喜んでいたのだ。そして何とか彼女と仲直りしようとしたらしいが、彼女は電話にも出てくれず、職場でも避けられてしまっていた。
そこで、美容師は友人に相談したところ、サプライズ的なことをやった後に、プロポーズしたらどうかということになったそうだ。
それで今話題になっている、突然客と一緒にダンスを始めるというフラッシュモブとかいうのをやることになったわけである。
しかし、美容師自身は学生時代にダンスをやっていたので踊れるが、その友人はダンスをやった事がなかった。
それで、美容師とは面識がないが、友人の知り合いにダンスが上手い人がいるので、その人に客として来てもらう計画を立てたわけである。
「それで、僕がその助っ人と間違われてしまったんですね。」
「そういうことなんです…。それで、お客さんにあんなダンスまでさせブフッ、本当に申し訳ありませんでした。」
美容師、途中で吹き出しやがったな…。僕のダンスを思い出したに違いない。この野郎…。
「正直、もう少しで人格が崩壊するところでしたが、まあいいですよ。今日のカットの料金もタダにしてもらえるとのことですし、せっかくのプロポーズ成功に水をさすのもね。ただ、どうしても気になるのがあの謎の話題なんですけど、どれも初対面の客にする話題じゃないですよね?」
「いきなりの悩み事相談ですよね?あれは、あの話を助っ人にした後、助っ人が僕をフォローしてくれるはずだったんですよ。」
そういうことか。妊娠を告げられて固まってしまったが、本当は喜んでいたんでしょ、とか言ってもらうつもりだったのだろう。セコいな、美容師…。
「次の怪談話は何のためだったんですか?血のついたハサミとか、このプロポーズに関係なかったような…。」
「あれは彼女との大事な思い出なんですけど、うっかり彼女がハサミで指を切っちゃって。そのハサミを僕が気づかず使っちゃって、お客さんをびっくりさせてしまったんです。あわてて控え室に戻ったら、痛い痛いって彼女が泣いてたんです。それで、僕が応急処置をしてあげたことがきっかけで、僕たち付き合うことになったんです。それを彼女に思い出してもらおうというつもりだったんですね。」
あの話題は、怪談じゃなくて、実話だったのか…。途中で僕が話を中断してしまったから、怪談みたいに聞こえたということか。
それを聞いて、最後の話題がなぜ占いだったのかもわかった。思い出の品である血のついたハサミを助っ人が用意しておいて、ラッキーアイテムとして取り出すという筋書きだったのだろう。
「いやー会話してても、お客さんのご返事が打ち合わせと全然違うんで、おかしいなと思いながら、聞いていた特徴通りの方だったんで人違いとは思わなくて…。」
「特徴通り?その助っ人と僕、そんなに似てるんですか?」
「似てるというか…。」
そんな中、美容院に1人の若い男が入って来た。
「あ、例の美容師さんですね。すいません、だいぶん遅れちゃって…例のやつの、助っ人です。」
「え?あなたが…。」
他の人にバレないように小声で美容師に話しかけたその若い男は、私とは似ても似つかない男だった。
「美容師さん、この人、僕と全然似てませんけど…。」
「いや…似てるというか、助っ人の人は、あるモノを身につけてるから、絶対わかるって聞いてただけだったんです。」
「それは何ですか?」
「アディダスのスニーカーですね。」
…
けっこう履いてる人いるう…。
完
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