第20話 指導パート2 〜その2〜

「何かございましたらお申し付けください」


 安藤さんの柔らかな雰囲気がそうさせたのか、白峰が珍しくさらりと流れるような口調でそんな言葉を口にしたのが聞こえてきた。


 茜のフランクな接客とはまた違う、彼女らしい真面目で礼儀正しいお声がけだ。


 そんな白峰の言葉を聞いた安藤さんは、「ありがとう」と言って微笑みを浮かべる。


「この棚に飾ってる人形、すごく可愛いね」


 そう言って、目の前の棚を指差す安藤さん。

 その言葉に釣られて白峰も前方の棚をチラリと見れば、そこに並べられているのはリサラーソンなどをはじめとする北欧を代表する人形たちだ。


 まさか自分の方が話しかけられるとは思わなかったのだろう。安藤さんの言葉に白峰は「そうですね……」と今度は何やらもにょもにょとした様子で答えていた。


 白峰、そこは頑張って笑顔で応えるところだ。スマイルで返すんだ!


 俺は心の中で念波を送るようにして白峰に向かって必死に訴えかける。

 視線の先では相変わらずぎこちない表情を浮かべている白峰だが、やはり安藤さんのお心は広いようで、そんな白峰に対しても笑顔で応じてくれている。


「もしかして最近入ったばかりの新人さんかな?」


「はい……」


 安藤さんからの質問に、恐る恐るといった口調で答える白峰。もはやこれではどちらが接客をされているのかわからないような状況だ。

 けれども安藤さんはそんなことを気にする様子もなく白峰の言葉に「そっか」と応えると楽し気な口調で話しを続ける。


「私の名前は安藤紗季。最近このお店に来るようになったばかりだからこれからよろしくね」


 そう言って安藤さんはニコリと笑う。

 くそぅ、白峰のやつめ。あんな間近で安藤さんに微笑んでもらえるとか羨ましいぞ!


 などとお門違いなことを考えていた俺の視線の先では、安藤さんに自己紹介されていた白峰が「こちらこそよろしくお願い致します」とペコリと丁寧に頭を下げていた。


「あはは、そんなにかしこまる必要なんてないよ。普段の白峰さんで接してくれたら大丈夫だから」


「ねっ」と明るい声と共に微笑みかけてくれる安藤さん。


 そんな言葉を掛けられて白峰も少し気が楽になったのか、その口元がほんの少しだけ微笑んだ……ような気がした。


 いやほんとに微笑んだのか? と思わずそんなことを思い目を凝らしていると、その答えを安藤さんが口にする。


「あ、やっぱり笑った顔も素敵だね」


「ッ」


 どうやら目の錯覚などではなく白峰は確かに微笑んでいたようで、安藤さんが嬉しそうな声でそんなことを言ったのが聞こえてきた。

 直後白峰は何やらハッとした様子で安藤さんのことを見つめる。


 まさかあの孤高を貫く美少女が、まともに人と話すどころか微笑むことまでできるとは。


 やっぱり安藤さんに話しかけて正解だったな、と一人うんうんと大きく頷いていると、白峰と話し終わった安藤さんがこちらへと向かってくる。


「それじゃあ私はそろそろ行くね。また今度来るから茜ちゃんにもよろしく伝えといて」


「はい、いつでもお待ちしております!」


 俺は最高のスマイルでそう答えると、小さく手を振りながらお店を出て行く安藤さんの姿を見送る。

 そしてその後ろ姿が見えなくなると、今度は満足げな足取りで白峰がいる方へと近づいていき口を開いた。


「安藤さんとの会話、ちょっとは楽しかっただろ?」


「……」


 俺のしてやったり顔が気に入らなかったのか、白峰は少しムッとした表情を浮かべると、「べつに」と素っ気ない口調で答えてきた。ったく、ほんとこういうところ素直じゃないよなコイツ。


 俺はついそんなことを思ってしまいため息を吐き出すも、せっかく安藤さんが良いきっかけを残してくれたので白峰に向かって話しを続ける。


「あんな風に微笑むことができればべつにうまく話せなくなってお客さんとのコミュニケーションはできるからな」


「上手く話せなくても?」


 俺の言葉を聞いて白峰が意外そうな表情を浮かべた。


「ああ、俺たちみたいな接客業は話すことが全てじゃないからな。そりゃあ話しが上手いことに越したことはないけど、だからといってそれだけでお客さんが商品を買ってくれるわけじゃない」


 俺はそこで一呼吸置くと、不思議そうな表情を浮かべる白峰に向かって再び話しを続ける。


 実際、接客の中でどれだけ話しが上手だろうとお客さんの信頼を得ることができなければ商品を売ることは難しいし、反対に口下手だからといって必ずしも接客業に向いていないとは言い切れない。

 むしろ口下手な人ほど相手の話しをよく聞こうとして、それが結果的にお客さんからすれば好印象に繋がりリピーターになってくれることだってあるからだ。


「だから白峰も無理に上手く話そうとする必要なんてないから、まずはさっきみたいに微笑みながらお客さんの話しを聞くことから始めればいい。それだけでも相手からすれば話しやすい人だと思ってもらえるからな」


 俺はそう言うと、まずは自分がお手本を見せるかのようにニッと笑った。

 すると白峰は少し考えるような表情を浮かべた後、目を伏せて「そう……」とだけぼそりと呟く。


「そういえば、この人形って何なの?」


「え?」


 再び視線を上げた白峰が、今度は棚の方を見つめながらそんなことを尋ねてきた。


「ああ、これは日本でも人気のある北欧の人形だよ。このライオンとかネコの人形見たことあるだろ?」


 俺はそう言うと、棚に置かれている陶器で作られたライオンを手に取った。


「リサラーソンが作る動物といえば今やムーミンとおんなじくらい日本でも愛されてる北欧のキャラクターだからな。特にこのライオンとか一度見たら忘れられないぐらい愛嬌のある顔がたまんないんだよなぁ」


 まるで我が子を撫でるかのように右手でライオンの頭を撫でていると、白峰が変質者でも見るかのような険しい視線を向けてくるではないか。

 ……おい、だから微笑みながら人の話しを聞けって言っただろ。


 さっそく俺の教えを無視してくる相手にこちらも負けじとジト目で睨み返していると、「これもそうなの?」と俺の視線を無視して白峰が隣の棚を指差す。


「そっちはカイ・ボイスンのモンキーだ」


 白峰が指差す先にあるお猿の人形を見て俺はすかさず答えた。


 カイ・ボイスン。デンマークを代表するデザイナーの一人で、彼が数多く生み出した木製玩具は母国だけでなく今や世界中で愛されて名作オブジェとなっているほどの人気っぷり。


 中でもカイボイスンのアイコンともなったこのモンキーはどこか気の抜けた可愛らしい顔と長い両腕が特徴的で、その腕を棚に引っ掛ければまるで本物のお猿さんかのようにぶら下げて飾ることもできるという遊び心が魅力的なところ。

 リサラーソンの人形たちと同じく、お部屋に一つ飾るだけで心が豊かになれるアイテムなのだ。


「どうだ、白峰も自分の家に飾ってみたくなっただろ? こういう雑貨が一つあるだけで部屋の雰囲気っていうのは――」


「いらないわよこんなもの。そもそも家に物を飾る必要性なんてないじゃない」


「おいっ! ここで働く店員がなんちゅーこと言いやがる!?」


 いきなりとんでもないことを言い放つ相手に俺は思わず声を上げた。

 まったく、これだからインテリアに興味のない人間は物を飾るという良さがわかってないから困るんだよな。

 俺はそんなことを思うとため息混じりに言葉を続ける。


「あのな白峰、頼むからお客さんの前ではぜったいそんなこと言うなよ」


「わかってるわよ」


 こちらの忠告に相変わらずツンとした態度で返事を返してくる白峰。

 そして彼女は興味無さそうな表情を浮かべたまま棚に並べられているモンキーへと手を伸ばした。っておい白峰、そいつはキュートな顔つきをしてるけど価格はまったく可愛くないほどぶっ飛んでるから丁寧に扱えよ!


 そんな不安が一瞬頭の中をよぎった直後だった。

 視線の先で「あ」と白峰が何やら声を漏らしたかと思いきや、次の瞬間そのほっそりとした指先からお猿がするりと抜け落ちて――。


「――モンキィィィィーッ!!」


 俺の大絶叫と、ガシャンという嫌な音が店内に響き渡ったのはほぼ同時だった。

 硬直する視線の先、自分の足元には無惨にも右腕がもげた瀕死のお猿が一匹。


「な……な……」


 もはや言葉にもならない声を漏らして、俺はそのまま膝から崩れ落ちてしまう。


 そして両手でそっとお猿を持ち上げてチラリと顔を上げれば、さすがにこればかりは申し訳ないと思っているのか、珍しく白峰がひどく気まずそうな表情で俺のことを見下ろしていたのだった。

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