第10話 母親
……で、なんでこうなる?
一人エピローグみたいなことを考えて穏やかな気持ちで過ごしていたはずなのに、ブロロンと再びエンジンを鳴らして帰ってきた親父を見て、俺は思わず固まってしまった。
それもそのはずだ。
車から出てきた親父の隣には、帰ったはずの白峰が何故か一緒にいたからだ。
「それでおじさん、なんでその子まで一緒に戻ってきたん?」
呆気に取られて何も言えない自分の気持ちを代弁してくれるかのように、茜が鋭い声音で親父に尋ねた。
お店の営業が終わってもなかなか帰ってこない時点で何だが嫌な予感がしていたが、まさか再び爆弾を連れて戻ってくるとはさすがに思わなかったぞ。
茜からの追求に、親父が頭をかきながら困ったような笑顔で応える。
「いやーさすがに女の子一人であんな寂しいところで寂しいご飯を食べさせるわけにもいかないだろ」
「……」
ああそうか、きっと親父も見たんだな。あのパスタの山を。
あれが今どきの女子高生の実態だとか変な誤解をされていなければいいが、などと余計な心配をしていた俺だったが、親父の発言におかしな部分があったことにすぐに気づく。
「ちょっ、ちょっと待てよ親父! 食べさせるわけにもいかないってまさか……」
「ああそうだ。今日は白峰ちゃんを我が家の晩ご飯に招待しようと思ってな」
「「はぁっ!」」
思わず俺と茜の声がハモった。
いやいやいや、さすがにそれは急展開過ぎるだろ!
驚愕の表情を浮かべて凍りつく息子をよそに、親父は呑気な口調で話しを続ける。
「なーに一人や二人増えたところで問題ないさ。それに翔太、晩ご飯はこれから作るんだろ?」
「いや俺じゃなくて今日は茜が……」
「そうかそうか、茜ちゃんの料理ならなおさら安心だな!」
わっはは、と今度は何が愉快なのか豪快に笑い出す親父。間接的にディスられた俺からすれば「いやそれどういう意味だよ?」と思わずツッコミそうになったのだが、問題はそこではないのでスルーする。
「ちょっと待ってやおじさん! うちは翔太の家族にご飯を作りに来てんのに、なんで見ず知らずの女子のためにご飯作らなアカンの!」
「まあまあ茜ちゃん、落ち着いて」
またもプンスカと怒り始めた茜に、親父が両手を広げながらなだめる。俺はその隙に白峰に向かって小声で尋ねた。
「おい、これはどういうことなんだよ?」
「私は遠慮したわよ。でもあなたのお父さんが……」
白峰は珍しく困った表情を浮かべながらそう言うとチラリと親父のことを見た。どうやらあの鉄壁の白峰でさえも俺の親父の強引さは防げなかったらしい。
なんで余計ややこしいことするんだよクソ親父、と心の中で呆れ返っていたら、当の本人の声がまたも聞こえてくる。
「茜ちゃんお願いだ。白峰ちゃんの分も晩ご飯を作ってくれないか?」
頼む! と大人げもなく隣人の娘さんに両手を合わせてお願いごとをする親父。対する茜はというと大層ご立腹のようで両腕を組んで黙ったまま頬を膨らませていた。
参ったなこれは……。
予想もしなかった状況に、俺はつい頭を抱えてしまう。
親父のことなので一度言い出したら聞かないし、かと言ってこのまま茜が晩飯を作ってくれないとなると今度は俺が作る羽目になってしまう。
さすがに白峰相手に自分の手料理を披露するのは気が引けると思った俺は、諦めてため息をつくと茜に向かって言う。
「茜、俺からも頼むよ。今日だけでいいからさ」
「何なん翔太まで。そんなにその子と一緒にご飯食べたいん?」
「いやそういうわけじゃないけど、親父は言い出したら聞かないし。それにほら茜の手料理は美味いから誰が食べても文句は言わないだろ」
「……」
俺の言葉を聞いてさらに怒ってしまったのか茜の頬が急にカッと赤くなった。けれども何故か彼女はすぐに言い返してくることはなく、今度は指先でくるくると髪の毛をいじり始める。
「ま、まあ翔太がそこまで言うんやったら別に作ったらんこともないけど……」
しゃーなしで。という言葉を付け足して、珍しくこちらのお願いをすんなりと聞いてくれた幼なじみ。なんだ? 今日はやけに素直だなコイツ。
もしかして実は白峰と仲良くなりたがっていたんじゃないかとそんな希望的観測を抱いた直後、茜がギロっと白峰のことを睨んだ。
「でもあんたのリクエストなんて聞かへんで。だいたい今日作るもんはもう決めて材料も買ってるし」
「べつにリクエストなんてしないわよ」
食べられるのなら何でも構わないし、と売り言葉に買い言葉で応戦して茜の強気な態度にも怯むことなく、白峰が氷のような冷たい視線で睨み返す。
おおい、やめてくれて。店内で火花が派手に散ってるから!
やっぱコイツらは犬猿の関係だ。とまたも頭を抱えていたら、パンとこの場を仕切り直すかのように親父が手を叩いた。
「よーし、そうと決まればさっそく準備だ。翔太、白峰ちゃんを連れて先に二階に上っといてくれ」
「はぁ……わかったよ」
俺たちが了承したことに満足したのか上機嫌にそんなことを言ってくる親父に対して俺は盛大にため息をつく。
そして白峰に向かって小さく手招きすると、彼女を後ろに連れてそのままレジ横にある階段を上がり始めた。
「お店の上に家があるのね」
「ああ、そうだよ」
不意に背中から聞こえてきた問いかけに俺はぶっきらぼうに答える。
おそらくあんな豪勢なタワマンに住んでいる白峰からすればお店と家が一緒になっていることが珍しいのだろう。
ちなみに白峰の足音の後ろからは、「なんでウチがこんなことしなアカンの」と何やらぶつくさと文句を呟いている茜の声が聞こえてきたのだが、ここは聞こえなかったことにする。
俺は重い足取りで二階へと上がると小さな玄関で靴を脱いだ。
そして一歩家の中へと足を踏み入れればそこはすぐにダイニングルームになっており右手側にはキッチン、そして左手側にはリビングが続いている。真っ直ぐ進めばトイレやお風呂場、それに親父が使っている小さな書斎もあるのだが、まあ白峰にそこまで案内する必要はないだろう。
「そしたらウチは晩御飯作るから二人は邪魔せんとってな」
さっそくキッチンへと向かった茜が念押しとばかりにそんなことを言ってきた。
先ほどまで晩飯を作ることを嫌がっていた彼女だが、常備している自前のエプロンを身につけるとどうやらスイッチが入るらしく、こちらが中途半端に手伝おうものならマジで包丁が飛んできそうな気迫で怒られてしまうのでここは素直に従っておくことがベター。
なおそんな獰猛な彼女ではあるが、意外にもエプロンの柄はマリメッコの赤い花柄という可愛いチョイスだったりする。
俺は茜の言葉に従いキッチンから離れると白峰をリビングへと案内した。
「あ、俺はちょっと挨拶してくるよ」
「え?」
リビングに置いているカリモク60の黒いレザーソファに白峰を座らせた後、俺はそう言うと隣室がある方へと歩いていき襖を開けた。そしてし六畳の和室へと足を踏み入れると、部屋の片隅へと向かっていき、
「――ただいま、母さん」
目の前にある写真立てに向かって、俺は静かにそう告げた。
その言葉の代わりに返ってくるのは、鼻腔をつつくような線香の香り。
写真立ての中ではかつての記憶とそっくりな優しい笑顔を浮かべている俺の母親がいる。
親父と一緒に自分たちの店を作り、誰よりもインテリアが好きで、お客さんみんなのことが大好きで、そして俺たち家族のことを誰よりも愛してくれていた人。
そんな母さんは俺が小学三年生の時に病気でこの世を去ってしまったけれど、それでも母さんが残してくれたものは今でもたくさん残っている。
お店にある商品もそうだし、母さんの接客に惹かれてファンになってくれた数多くのお客さんたちもそうだ。
インテリアは人の心を豊かにして幸せを運んでくれるもの。
いつか母さんが教えてくれた言葉で、俺はそんな母さんの想いがお店に来てくれるお客さんに少しでも伝わればいいなと思いながらいつも働いている。
仏壇に向かって小さく手を合わせた後、顔を上げてふと和室の入り口の方を見てみると、白峰が何故かそわそわしとした様子で立っていた。
「その……昨日はごめんなさい」
「え?」
いつもの強気な口調ではなく、白峰がどこか申し訳なさそうな声で急にそんなことを言ってきた。
その言葉の意味がわからずきょとんとした表情を浮かべていると相手が再び言う。
「あなたのお母さんのこと知らなくて、だからその……」
目を逸らしながらぼそぼそと歯切れの悪い感じで話し出す白峰。そんな彼女の態度を見て、「ああ」と先ほどの謝罪の意味を何となく察した。
「別に気にしなくても大丈夫だって。俺の母さんが亡くなったのはもう随分前の話しだし、それに人それぞれ家庭の事情は違うからな」
「……」
黙り込んでしまった白峰に対して、俺はあえて明るい口調でそう言った。
きっと白峰は、昨日母親の件で自分が口にした言葉について負い目を感じているのだろう。
意外とそういうところは気にするんだなと思いながら、「晩飯ができるまではとりあえず座って待ってろよ」と言って俺は白峰を再びソファへと案内した。
そして彼女にお茶でも出そうかと思ってキッチンに向かったのだが、料理中の茜にギロリと睨まれてしまったので、結局自分も大人しくソファに座って待ってることにしたのだった。
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