③罪悪感
基本コメディ調で進行していて見やすい映画だった。
嘘の愛や、偽りの忠義などの試行錯誤の末にターゲットを騙しきったのに、味方に裏切られてシリアスな展開が繰り広げられたときはハラハラしたけれど、裏切られることも詐欺師の想定内で仕込み済みだったのは驚かされた。
「面白かったね」
「うん。あたしも詐欺師になろうかな」
「あはは。じゃあわたしが相棒になったげる」
蕾華もわたしも大笑いをしながら適当なことを言い始めた。その後しばらくわいわいと感想を言い合ったり、良かったシーンを見直したりしていると部屋の扉が開かれた。蕾華母が顔を出し、
「楽しそうねぇ。晩御飯にするから、降りてらっしゃい」
「はーい」
「はい!」
返事をすると蕾華がテレビを消して部屋の外に向かい、わたしも続いた。洗面所で手を洗ってからダイニングのテーブルに向かうと、蕾華に椅子を引かれた。
「美蓮はここに座って」
「ありがと」
お礼を言って席に着くと隣に蕾華が座り、蕾華母が夕食を運んできてくれた。
メニューは白米とみそ汁、レトルトのハンバーグだった。みそ汁は短冊切りのニンジンやダイコン、エノキ、肉団子が入っていて美味しそうだ。目の前に置かれるだけで良い匂いがしてきて、胃がグググゥと食事を求めているのが分かった。
蕾華母から蕾華経由でお箸とコップを渡されて、自分の前に並べた。
「さっ、食べちゃいなさい。美蓮ちゃんも、おかわりあるから遠慮しないで食べてちょうだいね」
「ありがとうございます」
「いただきまぁす」
勢いよく手を合わせる蕾華を横目に、蕾華母に会釈してから両手をそっと合わせた。
「いただきます」
「はい。召し上がれ」
箸を右手に取り逆の手で汁椀を持ち上げる。みそ汁に箸を入れて軽く掻き混ぜてから箸を抜き一口飲んだ。味噌の香りと熱が口の中に広がり、少し遅れて肉団子から出ている出汁が相乗効果でさらにうま味を引き出していた。
味付けは我が家で飲むみそ汁より濃いなと思ったけれど、濃すぎるということはなく、とても美味しかった。汁椀を置くと、今度は蕾華がみそ汁を飲んだけれど、普通に飲んでいたので普段通りの味付けなのだろう。良いとか悪いとかではなく、こういうのが家の味というものなんだなと思うと少し面白かった。
家の味、かぁ。
わたしの家の味はもうちょっと薄味で。薄味、だったっけ?
あれ、今わたしが思い出した味って、お兄ちゃんとわたしの作る味だ。
じゃあ、お母さんの味ってどんな味だったっけ?
そもそも、どんな料理を作ってくれていたか、思い出そうとしても記憶に靄がかかっている感じがして、思い出せない。わたしはお母さんの料理で、なにが好きだったっけ。
あ、そうだ!
お母さんはよくお父さんが好きなクリームシチューを作っていて、わたしもお兄ちゃんも好きだった。なんで、忘れていたんだろう?
いつか、お母さんの手作りの味を思い出せなくなる日が、思い出そうともしなくなる日が来るのだろうか。
怖いなぁ。
わたしには好き嫌いとは別に、お母さんの味を忘れたくないから食べられないものがあって、それがクリームシチューだったりする。だというのに、それすらも忘れかけるなんてほんと、ゾッとする。
お兄ちゃんの方は、お母さんの味を覚えているのかな?
手作りといえば、わたしはお母さんのお弁当を知らない。もちろん小学生のころに学校行事や遠足で食べたことはある。けれどそれは普段よりも凝られた非日常のお弁当で、中学校のお昼休みに食べるための日常のお弁当ではない。
ああ、そうか。
わたしがお兄ちゃんのお弁当を食べられない理由が、今分かった。
きっかけは家庭科の授業で先生が出した何気ない宿題だ。『普段お母さんが作ってくれているお弁当について取材してみよう!』というお題の書かれたプリントが配られて、先生が説明を始めた。
わたしは出された宿題の何気なさと同じくらい何気なく、お母さんが居ないからお兄ちゃんのお弁当を取材した。その宿題や先生に対してどうこう思ったりはしなかったけれど、当時からわたしは「普段お母さんが作ってくれているお弁当」なんて知らないと無意識に引っかかっていたのだ。
だから、わたしがお兄ちゃんのお弁当を食べられないのは、お母さんの味じゃないから食べられなかったんだ。
自分のことながらショックを受けた。
なんて我儘なのだろう。
わたしと出会ったころの蕾華なんて比べ物にならないくらい我儘だ。蕾華の我儘は子供特有のもので、子供なら許されるものだった。だけど、わたしの傍に居てくれているお兄ちゃんを蔑ろにしていたなんて、子供だからで許されるようなことじゃない。わたしのためになんでもできるようになろうと頑張ってくれていたのに。もしかしたらわたしは、お兄ちゃんを傷つけてしまっていたのかもしれない。
家に帰ったら謝らないと。
罪悪感に苛まれつつも、蕾華母に作ってもらった御飯に感謝しながら丁寧に食べた。
食事が終わると、お風呂が沸いたから入ってしまうよう蕾華母に言われた。他人の家のお風呂に入るのは久しぶりで変な緊張をしてしまったが、シャワーの温度設定が我が家の給湯器より高くなっていることに気付かずびっくりした以外はなにごともなく入浴した。洗面所も兼ねられた脱衣所で上下とも長い赤のパジャマに着替え、髪の毛を拭いているとガチャリとドアが開いて蕾華が入ってきた。
「あ、もうあがった?」
「うん」
「ちぇ、覗こうと思ってたのに」
「ちょっと?」
蕾華は厭らしい笑みを浮かべていた。
一緒に入るとかならまだいいけど、覗かれるのは嫌すぎる。
「でも風呂上がりの生娘……ぐへへ」
「生娘って。蕾華ってほんと、たまにおじさんっぽいこと言うよね」
「えへへ」
「えへへって。それで結局なにしに来たの?」
ジロリと視線を送ると蕾華は、
「そうだった!」
両手を顔の前でパシンと合わせてそう言うと、蕾華は洗面所の鏡の横の棚からドライヤーを取り出してコンセントに差し込んだ。
そして送風口をわたしの顔に向けて温風を出し、
「普通のドライヤー!」
某猫型ロボットみたいに言った。
「小学生か!」
「えへへ」
笑いながらドライヤーを受け取って髪の毛を乾かし始めると、シャツに手を掛けて脱いでいる蕾華が鏡越しに見えた。振り返えると今度は短パンを脱ぎ、下着姿になった。
「な、なにやってるの?」
「あたしもお風呂入ろうと思って。美蓮なら覗いてもいいよ?」
「覗かないよ!」
慌てて抗議するも蕾華はブラを外して洗濯籠に入れた。良いとか悪いとかじゃないけれど、蕾華は下着どころか裸を見られても気にしないタイプなのだろう。わたしは振り返って、鏡の向こうの蕾華を見ないようにしながら髪の毛を乾かした。
背後で浴室のドアが閉じる音が聞こえ、シャワーの音が続いた。
髪の毛を乾かしきり、ドライヤーをあった場所に戻してから前髪を整えた。お風呂の前に着ていた服を回収して蕾華の部屋に行き、脱いだ服用のビニール袋を鞄の中から取り出した。服を入れた袋を鞄に詰めて蕾華母の居るリビングに下りる。
お風呂のお礼を言うのともう一つ、訊きたいことがある。
「お風呂、ありがとうございました」
「温まったかしら?」
「はい。いいお湯でした」
「そう。よかったわ」
「それで、あの。訊きたいことがあるんですが」
「あら、なにかしら?」
「蕾華のお母さんは結婚していて、子供も居る訳じゃないですか?」
「ふふっ。変な聞き方」
「す、すみません」
確かに変な尋ね方だったと思い謝ると、蕾華母はにこやかに笑った。
「いいのよ。気にしないで」
「あ、ありがとうございます。それで、その。好きって、どういうものなんですか? 例えば、蕾華のお母さんが結婚相手を選んだ理由ってなんですか?」
尋ねると蕾華母は、蕾華がおじさんみたいなことを言うときと同じような表情になり、
「あらぁ、恋バナなんていつ以来かしらぁ」
「そ、そういうのじゃなくて、その。わたしは、好きというのがよく分からなくて。勿論、お兄ちゃんを兄妹として好きという気持ちも、蕾華を友達として好きという気持ちもあるんです。でも恋人とかそういうのに対するような好きが、わたしには分からなくて」
「あら。そういうことなのね。うふふ、大丈夫よ。それはまだ、誰も好きになっていないだけ。誰かを好きになれば分かるわよ。こう、ずきゅーんってね」
蕾華母は、ふへへと目尻の皺を深くしながら笑ってそう言った。
「でも、わたしは……」
いつか自然に分かるとしても、わたしには今必要なのだ。でもそのことをどう言葉にすればいいのか分からない。「ちゃんとした大人」である蕾華母に、兄と付き合っているから好きにならないといけないなんて事情を説明する訳にもいかないし。
「そう、ですよね」
わたしは笑顔を作って返事をした。
「そのうち、分かりますよね」
「ええ。私が旦那を好きになったのは大学を出てからだから、安心しなさい」
「ありがとうございました。失礼します」
「ふふ、またいつでもどうぞ」
一度頭を下げてから、わたしは蕾華の部屋に向かった。
蕾華の部屋でソファに座りスマホをチェックしけれど、これといって通知はなかった。だというのに癖でラインを開いてしまい、首を振ってスマホを置いた。
お兄ちゃんは今なにをしているんだろう。そんなことを思っているうちに蕾華が上がってきた。蕾華のパジャマはピンクの半袖ワンピースタイプのもので、バスタオルを頭に巻いていた。
「早いね」
「美蓮が暇してるんじゃないかって思って急いだぁ」
蕾華はえへへと笑いながらわたしの隣に飛び込むように座り、その流れでわたしの脚の上に身体を乗せてきた。
「ありがと。でもそんなに急がなくてよかったのに」
犬みたいだなと思って蕾華の喉を撫でると、
「むふー」
と鼻を鳴らした。
四、五回ほど撫でていても蕾華が退く様子がなかったので蕾華の頭のタオルを取り、髪の毛を拭き始めてみた。
まるで世話が焼ける妹だ。
「あたしね、小学生の頃すごくお姉ちゃんが欲しかったんだ。短冊に書いたりするくらいに」
「んー?」
「なんか今ね、そのときの願いが叶ってる感じがする」
蕾華もわたしと似たようなことを考えていたらしかった。
「わたしもなんか妹みたいだなぁって思ってた。友達なのにね」
「うん。友達なのにね」
「あー、でも、わたしは小学生のとき、妹が欲しかったかも」
「え、ほんとに?」
蕾華は半分だけ顔を上げて尋ねてくる。
「うん。今まで忘れてたし、短冊に書く程じゃなかったけどね。でも蕾華に甘えられるのは悪くないかも」
「えへへ。あたしも美蓮にくっつくの、安心するから好き」
こうやって交流していると、やっぱり蕾華は可愛い子だなと思ってしまう。自分より小さいものに対する庇護欲のような感情や、単純に甘えて来て愛らしいといった感情が湧いてくる。
髪を乾かし終えて頭を撫でると、蕾華はくすぐったそうに、ふへへと笑った。
「ねえ美蓮。ずっと、ずうっと友達でいようね」
わたしはタオルを畳んで横に置いてから、微笑んで答えた。
「うん。いようね」
そのままの姿勢でしばらくお喋りしたのちに、二本目の映画を見ることになった。アニメ映画と洋画の二択だったけれど、やっぱり洋画は少しハードルが高くてアニメ映画を選んだ。
二本目の映画も始まってから基本コメディが続き、ピンチが訪れるもコメディな方法で乗り越えていった。しかしここぞというところで泣かせに来ていて、物語作りに詳しくないわたしでも「見せ方が上手い」というやつだと分かった。
「家族の絆って、すごい」
映画が終ってから涙を溢れさせてそう呟いた蕾華に、わたしも頷いて同意するしかなかった。
「ティッシュ、ティッシュ」
蕾華はテーブルにあったボックスティッシュをとってわたしたちの間に置き、わたしも二枚取って涙を拭いた。テーブルの上をみると、途中から存在を忘れていたジュースの入ったグラスがあって、落ち着くために飲むと更に涙が溢れてきた。
一旦落ち着いてから感想を言い合って、よかったシーンをもう一度見てさらに泣き、映画鑑賞は一旦休憩にした。
「あたしテレビアニメの方は毎週見てるんだけど、映画は最近のやつしか見てないから、また今度、一作目から一緒に見よう?」
「いいねぇ。あ、じゃあ今度はわたしの家に泊まりに来てよ」
「うん! それは良い考え! ありよりのあり」
笑顔で頷かれ、わたしも自然と頬が緩んでくる。
「ねえ美蓮」
「んー?」
「オールしようって言っててあれだけどさ、たぶんもう一本見たら途中で寝落ちするかも。十のうち七くらい眠い」
「えー、行き当たりばったりだなぁ」
「そういうのも悪くない、でしょ? あはは」
「自分で言う?」
わたしもあははと笑い、
「悪くないどころか最高」
二人で声を合わせて笑った。
三つ目の映画は仮面をつけた怪人の男と歌姫の愛の物語。
寝落ちしてもいいように、というか寝落ちするつもりで蕾華が薄めの毛布を二枚持ってきて、それぞれ包まってから映画を再生した。
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