第2話 俺には不要なものだ

 ついに娼館の前へ来た。


 人生で初めて経験する高揚感を覚えている。


 だらしない顔をした男たちが次々と吸い込まれるようにして建物へ入っていく。


 全員、股間は膨れている。


 何をしに来たなんて言葉を交わさなくても分かるのだ。


「ふぅ……」


 心臓がバクバクと激しく動いている。中型レベルの汚染獣と出会ったときよりも緊張している。


 足は重いが、立ったままでは何も始まらない。


 怖じ気づくな。


 俺は元勇者だ。


 危険な場所に切り込む仕事をしていた偉大なる男なのだ!


 頬を叩いて気合いを入れると娼館の中へ入った。


「いらっしゃいませ?」


 疑問を浮かべながら黒服の男が近づいてきた。


「娼婦を紹介して欲しい」

「それはできません」


 この反応は予想通りだ。

 落ち着いて反論する。


「俺はもう勇者ではない。これを見ろ」


 取り出したのは国王からの手紙だ。このためにとっておいたのである。


 黒服の前にぶら下げる。


「ふむ、ポルン様は勇者ではないと」

「そうだ。だから問題ないだろ?」

「それでもダメです」

「…………えっ?」


 これは予想してなかった。


 勇者じゃないと分かれば娼婦と遊べたはずなのに。どういうことだ?


「金ならあるぞ。相場の倍出してもいい!」

「そういう問題ではないんですよ」

「ならどういう……――」


 紳士が集まる場で、黒服と揉めている俺に注目が集まっている。


 圧力に負けて黙ってしまった。


「申し訳ございません」


 黒服が頭を下げた。どうしても理由は言えないらしい。


 これで俺はピンときた。


 娼館に圧力をかけた相手は国王だな。きっと他の店に行っても同じ対応をされてしまうだろう。


 元勇者の不祥事すら許せないのか!!


 戦災孤児だった俺を拾ってくれたのは感謝しているが、だからといってこの仕打ちは許せない。


 楽しみに取っていたステーキを目の前で食べられてしまった気分だ。


「気にするな。誰も悪くない」


 黒服の肩をポンと軽く叩いて励ますと、くるりと反転して店を出る。


 夜道を歩いて人気の無いところに行くと顔を上げた。


「月が綺麗だな」


 少しにじんでいるのは気のせいだと思いたい。


「おじさん。悲しいの?」


 道ばたで膝を抱えて座っている少女が声をかけてきた。


 目は半分しか開いていない。眠そうだ。


「違う。この理不尽な世界に怒りを感じている」

「私と同じだね。でもお母さんが恨んじゃいけないって言ってた。心が綺麗ならきっと良いことはあるって」


 こんな時間に路上で座り込んでいる少女は社会に弾き出されても、心までは穢れていなかった。


 少なくとも助けてもらったのに「遅い!」と罵倒するような人たちよりも美しいだろう。


「君のお母さんの言葉は正しい」

「うん。私もそう思う」


 左右を見るが親の姿はない。


「その立派なお母さんは?」

「今、お客さんの相手をしているよ」


 指さしたのは小さな小屋だ。娼館では働けないような女性が、あそこで客を取っているのだ。


 今頃は行為にふけっているのだろう。


「だったら仕事が終わったお母さんに、これを渡してくれ」


 初めてを捧げる相手にプレゼントする予定だったワインボトルと銀貨を数十枚渡す。


「いいの?」

「もう、俺には不要なものだ」

「でもお金もあるよ」

「そのワインを処分する費用だ。受け取ってくれ」

「……うん。ありがとう」

「それはこっちのセリフだ。ちゃんと処分してくれよ」


 ウィンクをしてから立ち去る。


 大見得を切った手前帰りにくいが、何もすることがないから宿で寝ることにした。


 マスターの痛ましいものを見るような目が、今日最も辛かった。


 * * *


 翌朝。まだ薄暗い中、ベッドから出て部屋を出ようとしてドアノブを握る。


「あ、もう訓練する必要はないか?」


 今までは勇者として体を鍛えていたが、クビになったのでこんな早朝から頑張らなくても良い。


 くるっと回ってベッドへ倒れ込む。


 目を閉じるが眠くはならない。長年染みついた習慣というのはこういうとき不便だ。


「あーーー。女の子とイチャイチャしてぇ」


 昨日の一件で、王都にいる限り実現しないとわかっている。


 結婚なんてするつもりはなく、いろんな女とたっぷり遊びたいため、清く正しい交際なんてするつもりはない。


 邪魔が入らない場所で遊びまくろう。


 他国に行くのも良いし、田舎にいる未亡人のお相手をするも楽しいだろう。


 パーティメンバーがいなくなったから、俺を止められる存在はいない。よし、ムラムラしてきたし早速行動だ!


 袋に荷物をしまい込むと背負い、布に包んだ槍を持って部屋から出る。


 一階で鍵を返却して外へ出た。


 太陽が眩しい。今日は良い天気だ。俺の旅路を祝福しているように感じた。


 朝焼けの中を歩く。目的地は乗合馬車の停留所だ。


 姿を隠して移動するにはもってこいの乗り物である。


 列の最後尾で立ち止まると地面に座り込む。


 町ゆく人を眺めていると声をかけられた。


「ここにいたんですね」


 見上げると黒い髪をしたベラトリックスが覗き込むようにして俺を見ていた。


「どうしてここに?」

「一緒について行くからですよ」


 隣に座られてしまった。

 本気のようだ。


「もう勇者じゃなくなったんだぞ。新しい男の方に行けよ」

「嫌です」


 即答されてしまった。新勇者の方がイケメンなのは間違いないのに将来性ゼロの俺の側にいる理由が分からん。


 ミステリアスな雰囲気もあってベラトリックスは魅力的だとは感じるが、手を出したら終わりな気がする。数々の死線をくぐり抜けた俺の本能が訴えてくるのだ。


 どこかに行って欲しい。そう、切に願っていた。

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