四十四話 静かすぎる海

 一心不乱に歩いていた月乃が足止めたは、祭に名前を呼ばれた時だった。もういいの合図に聞こえ、月乃は上がっていた息を整え体の力を抜く。


「……筧、さんは……」

「無理」


 こういう時、祭の言葉は簡潔だ。

 事実を事実としてただ伝える。そこに情はない。


「この先も――最悪の事態を覚悟したほうがいいかもしれない」

「そ、れは……どういう……」


 どういうこと、なんて聞かなくても分かる。マヌケな質問だと、月乃自身ですら思う。けれど、そんな分かりきった問いかけが口をついて出たのは、ただ認めたくないからだ。

 最悪の事態という可能性を考えれば――それが現実になりそうで目を向けたくない。


「提案なんだけど――月乃ちゃんは、ここで待つ? 本部も動いてるから、ここで待っていれば合流できると思うよ。この区域で待機してても、別に彼みたいに半魚人みたいにならないし……一番安全な方法だね」

 

 ちなみに、戻るのはオススメしないと言われてすぐに筧のことが頭に浮かんだ。

 それは正しかったようで、祭は「本部が来れば運び出すって意味でも、ここで待機がおすすめ」と続けた。


「……で、でも」

「ん?」

「でも、もし、和くんと藤原さんが、怪我とかしてて、動けなくなってたら」


 声が震える。

 最悪の事態。

 祭の言葉が頭を回るけれど、それを無理矢理振り払って月乃は腹に力を込めた。


「ふたりが怪我をしてて動けなかったら、祭さんひとりだと大変だと思います! わたしも同行させて下さい!」

「……月乃ちゃんって」


 祭は月乃を見下ろすと、ふと笑った。


「やっぱり、剛毅だね」

「……え?」

「順調に心身ムキムキ計画が進んでるってこと」


 彼らしい軽口に、月乃もつられて口元を緩める。


「頼りになるおふたりが、目標ですから」

「あれ? おじさんも含まれてるの? それじゃ――いいとこ見せないとね」


 行こう、と祭が歩き出す。月乃はそれに並んだ。

 ところどころ水がたまっているところはあれど、足がつかるような場所はなく海水もここまではこない。足を取られることもない


 そうして石の門をくぐるたびに、だんだんとモヤが濃くなり薄暗かった天気が夕焼けのように真っ赤に染まっていく。


 もうそんな時間かと思った。時間の感覚もおかしくなっているのか。そんな風に考えて、月乃は違和感に気がついた。

 

 ここは海だ。

 潮の匂いがするのは、当たり前のことだと思って気に留めなかった。

 けれど、海岸を歩いているのならおかしい。

 

 静かすぎる。


(――波の音すらしないなんて)


 この区域では、自然の音すら聞こえない。

 それがどれだけ異常なことが、町と切り離されたことでよく分かる。


「……筧さんは出られないって言ってますけど……和くんたちも別のところで出られなくなっている、とかでしょうか」


 静かすぎて恐ろしくなる。このままでは悪いことばかり想像をしそうで、月乃は隣を歩く祭に話しかけた。


「出られなかったのは、やらかしたからだよ」

「え?」

「あんな風になったのは、本人がやっちゃいけないことをやらかしたから。……ひとりなら自業自得の結末で終わるけど、部下が巻き込まれている異常は、おじさんも重い腰を上げなきゃいけないよね~」


 やれやれと面倒そうな口ぶりの祭だが、電話に向かって怒鳴っていたのを知っている月乃にはポーズに思えた。口には出さないけれど、祭も和のことを心配しているのだろう。


 ふたりが足早に歩を進めていくと、ようやく岩の門が終わる。

 だが、開けた外の景色が待っているなどということはなく、岩と砂……そして正面にまるで大きな口を開けているかのような洞窟の入り口があった。


「ここが……」

「そう。特別事案調査対策局が封鎖、管理している……地元民ですらほとんど知らない、本物の龍洞だよ」


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