八話 何事もなかったように


 二〇××年 △県●●市……五歳の女児、溺死、事故として処理。

       同年、現場付近にて不審な反応アリ。

       一過性のものとし、特定事象に非ず判断。



      ◆◆◆          ◆◆◆          ◆◆◆        


  そこは静かな川原だった。

 車を停めて川原に降りて周りを見回しても、さしたる深さもなく水の流れも穏やかな川がながれているだけで不思議な点はない。

 事故が起きた当時は、ここに花やお供えを持って来て手を合わせる人も多かったようだが年数が経過した今、そんなことをする人はよほど縁深い者たちだけだろう。自然に生じた草花以外はなにもなかった。


「静かなモンだねぇ」


 祭がぐぐっと伸びをして言う。

 平日の昼過ぎなら、こんなものだ。月乃が苦笑してそう告げると、祭は「違う違う」と首を振った。


「若い女の子が川に浮かんでいたなんて一大事なのに、噂にすらなってない。なーんにも起きてません、みたいなさぁ。そういう、薄気味悪い静かさだよねってこと」

「……ぁ」


 言われてハッとする。

 病院にいた月乃を訪ねてきた者は、誰もいなかった。このふたり以外。

 そして、ここにも誰もいない。

 警察すらも。


「……で、も、わたしを見つけて通報してくれた人は……」

「あぁ……それさぁ……妙なんだよねぇ。なんでか知らないけど、うちの局に直通でかかってきたんだって」

「え……?」

「だから、月乃ちゃんは最初からこの手の事件に免疫のある病院に運び込まれたし、おじさんたちも、すぐ駆けつけられたわけ」


 救急車ではなく、警察でもなく、普通は知らないだろう場所への連絡。

 一体誰がそんなことをできるのか。

 まさか、自分になりすましているアレが?

 せめてものお詫びとか、そういう類のものだったら腹立たしいと月乃が呟けば、祭が「いやぁ、そんな殊勝な気持ちがあったら、そもそもやらないでしょ」と笑う。


「子どもの声だったらしいよ」

「子ども、ですか?」

「そう、正確には子どもが話してて近くで犬の鳴き声が聞こえたって。とっても心配そうな鳴き声だったってさ」


 あの時、近くに犬なんていただろうか。

 月乃は自分の記憶を思い返すが、夜道であったし自分が見つけなかっただけかもしれない、なので――たぶんいなかった、という頼りない答えしか出せない。


 困惑していた月乃に、祭が不思議なことを言った。


「よかったね」

「え?」

「守ってくれたから、ちょっとかじられるだけですんだんだよ」


 今のはどういう意味だろうか。

 パチクリと月乃が目を瞬くも、祭は悪戯っぽく笑うだけだ。


「――あの……」

「おい、おっさん。仕事しろよ」


 なにか引っかかって月乃がさらに深く尋ねようとしたところで、ひとり川の近くに向かっていた和が戻ってきた。

 その眉間にはくっきりとシワがよっている。


「月乃ちゃんのそばにいて、不安を和らげ守るのも、大事な仕事でしょ~? だいたい、水はなごちゃんのが得意でしょーに。適材適所ってやつだよ~」

「…………」


 和はじろりと祭をにらむが、にらまれた年上の男は飄々としている。


「それで? なんか分かった?」

「……局に連絡して、見送れる奴を派遣してもらえ」

「ふぅん?」


 そこで和は一度言葉を切って、月乃を見た。話を続けていいものかどうか、考えあぐねている様子に、自分がいたら話しにくいことと察した月乃は「車に戻ってるね」と一声かけたのだが、祭がそれを止めた。


「構わないよ」

「……おい、おっさん」

「ちょっとだけ月乃ちゃんにも関係するんだから、いいじゃないの~」


 祭の軽い物言いに対して、和は眉をひそめている。

 どうしたらいいのかと月乃がオロオロ視線を迷わせていると、すぐ近くで「わん!」と犬の鳴き声が聞こえた。


「――え?」


 それから「グルルル」と威嚇するようなうなり声。

 どこかに犬がいるのかと川辺の原っぱをキョロキョロと見回すが背の低い草花しかないそこに、動物の姿は見あたらない。

 ただ、うなり声は祭と和に向けられているように聞こえた。

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