第6話 川田さん

「川田まさえさーん。おはようございます。」

陽子が川田さんを呼び入れた。

川田さんは73歳、眼科には白内障と疲れ目で通院している。

白内障というのは目の中のレンズが加齢で濁るものだ。

進行すると視力が落ちて手術が必要になる。

この人のカルテにも星がたくさん書かれている。


目はあまり悪くない。白内障はあるが視力も良くまだ手術をするほどではない状態だ。数年前から肝臓がんを患っていて、そちらの方が大変そうだ。

ご主人もひまわり眼科に通院しているのだが、先日「あいつ、もうダメかもしれん。」と涙目でお話されていたのだ。



らなは数か月前の出来事を思い出していた。

基本的には診察をしないで薬を出すことは出来ない。しかし長期入院の予定が入ったなどの事情があり、目の病状が安定していて副作用の心配が少ない薬の場合は個別に注釈をつけて処方することがあるのだ。

川田さんの点眼薬も副作用の少ない薬だ。


ある日、川田さんから受付に電話がかかってきた。

「肝臓がんで長期入院することになったから、目薬5本ずつ欲しいし処方箋用意しておいて!今から行くから。」

いつもながら一方的な電話である。

しばらくして、大人しそうな女性が医院の中に入ってきて受付に声をかけてきた。

「あのう。医院の表にいる人が、受付の人を呼んでくれって言ってるんですが・・・。」

その日、受付に立っていた修子が対応にあたった。

ひまわり眼科はビルの一階にある。修子が外に出ると、そこには自転車にまたがった川田さんがいた。

「腰痛いねん。自転車降りられへんから、目薬の処方箋を隣の薬局に持っていってもらってきてや。」

眼科の隣には調剤薬局があるのだが、修子は言われるとおり川田さんの処方箋を取りに受付にもどり、薬局にそれを出し目薬を川田さんに渡した。

結局、川田さんは自転車を一度も降りることなく目薬を持って帰っていったらしい。


修子からその話を聞き、らなはびっくりしていた。

「昔から個性的な人だったけど、なんか最近パワーアップしてきたね・・・。」


今日は、退院して目薬が無くなったため久しぶりに受診に来たのだ。

「川田さん。お久しぶりです。退院されたのですね。調子はどうですか?」

「目はぼちぼちや。入院中、暇やったわ。途中で主治医の先生がムカついたから勝手に病院を出て行ったってん。」

「えっ?そ、そうなんですか?」

入院中の患者さんが行方不明になると主治医の責任問題が生じる。


こんな人の主治医に当たって、その先生も可哀そうに・・・。


キャラクターが崩壊した人の担当にあたると仕事の強度が何倍にもなる。

外来で薬を出すだけとは違って、入院患者となると気苦労も計り知れない。

らなは顔も知らない内科の主治医に同情した。


憎まれっ子世に憚る。

そんなことわざが頭によぎった。

旦那さん涙ぐんでたけど、この人絶対死ななさそう・・・。


らなはそう思いながらいつもの目薬を処方した。

この日もいつもの豪快な毒舌をかっ飛ばしばがら元気に帰って行った。


それからわずか3、4か月後に旦那さんから川田さんの訃報が知らされるとはこの時は思いもしなかったのだった。

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