踊る猫のグローリーデイズ / 跳舞猫日録

踊る猫

2024/01/25 BGM: The Other Two - Selfish

なぜぼくはこんなにもたくさんの本を読んでしまうんだろうか。ぼくは実を言うとウェブサービス「読書メーター」を使っているのだけれど、それによるとこの9年間(およそ3000日ほど)でぼくは1500冊の本を読んできた計算になる。子どもの頃を思い出してみて、ぼくはもともとはそんなにたくさん本を読む子ではなかったことに思い至る(とはいえ、すでにその頃からぼくはつらい思いをしていたのできちんと思い出すことはできないのだけれど)。最初にぼくが夢中になった本といえばスティーブン・キング『スタンド・バイ・ミー』で、姉が持っていたものを読ませてもらったのが出会いだった。その本から、ぼくの華麗な(?)読書遍歴は始まる。


そして高校生の頃、たまたまクラスメイトが文庫本を読んでいたことから村上春樹と出会う。彼の『ノルウェイの森』を読み、彼のさまざまな偉大な傑作群を読みふける日々が始まる。たくさんのクラスメイトにいじめられたり、あるいは端的に孤立したりしていたので読書はそんなぼくにとって唯一のたましいを解き放つ術だった。そして同時に、そうすることによって心を正常にかつフレッシュに保っていたのだった。


そんな痛ましい日々を経たあと、ぼくは大学に入りもっともっと読み始める。思い出す――大学近くにあった、ぼくが借りたせまいアパートの四畳半の一室で壁に背をもたれかけて生真面目にたくさん読んだっけ。当時ぼくはアメリカ文学を学び、そして友だちも作れなかった。ただ読み、聴いた。そんな過ごし方がぼくの青春だった。


そしていま。ときおり、イオンで本を読んでいると人が尋ねてきてこう言う。どうしてそんなに真剣に本を読んでいるのか(「えらくなるために勉強でもしているのか?」というような感じで)。あるいはいったい自由時間にどれだけ本を読んできたのか、と。答えるに当たって、この事実を言わないといけない。ぼくは心のなかに、どんなふうな未来のステージに立ちたいかという思いはない。やりたいことをやってきている。それに尽きる。だから満足だ。


思えば、たぶんぼくはたんにみじめな人間かもしれないのだ。というのはそんな過ごし方で生きてきたからロマンスも色恋も経験していないのだった。青春すらなかったかもしれない。でも、それがぼくの人生。読書が崇高な趣味だというつもりはない。退屈しのぎや楽しみのための手段ならたくさんある。でも、この行い・いとなみを止められる予感がしない。ある意味では読書にふけることでぼくなりにたましいの「ソウルフード」を堪能しているのかもしれない。あるいは、そうすることでたしかな大きな楽しみを得られているのかな、とも。何物にも代えがたい、かけがえのない楽しみを。

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