第二十七話 海の宮
旅行2日目は全員が早起きだった。5時半の起床にも拘わらずみんな快眠できた顔をしていた。
「おはよう」「お早よう」
いつも夜中に起きているマイルスも、昨夜は、枯れ木のように倒れ、泥のように眠った。静はマイルスと父のダブルいびきに挟まれしばらく眠れなかった様だったが、それでもいつのまにか深い眠りに落ちていった。
朝の光は眩し過ぎて、景色がもったいないのにカーテンを引くほどだった。朝は昨夜コンビニで買ってきたパンと家から持ってきたコーヒーセットでドリップを点て始まった。静は義母や母にLUPICIAのグレープフルーツ煎茶を入れていた。マイルスの母は大きな薬箱を抱えてきていたので、血圧降下剤があれば、決してグレープフルーツと一緒に飲まないように注意した。
全員で朝風呂に入ってから観光に出かけることにした。今度はもう一つのお風呂、月読(つくよみ)に入る事にした。何で「つくよみ」と読むのだろうと思った。マイルスはどこかで聞いた気がして思い出そうとした。ここのお風呂は池が目の前にあって、新月に劣らない風情があった。贅沢な時間にしばしうっとりとしたが、女性達は女同士のおしゃべりも決して忘れてはいなかった。
マイルスと義父は女性の長風呂に待ちくたびれて、父子同士で話したり、散歩したりして過ごした。お風呂では、マイルスは亡くなった父の背中を流すように、義父の背中を流した。言葉は少ないのだが、お互いの存在を嬉しく感じていた。マイルスにとっての父だった。
帰り道途中のライブラリーが気持ち良く、お風呂のせいか疲れのせいか静はいつの間にかうとうとしてしまった。マイルスは画集を眺めていたが、静にはページをめくることも出来ないようだった。
気持ち良い転寝から覚めた女性達は、さあ出発だと言ったのもつかの間、迷い込んだショッピングフロアに夢中になっていた。
マイルス達は一路南に向けて、車を走らせた。青島を過ぎた辺りで道は二つに分かれ、マイルスは新しくできた道に一瞬戸惑ったが、海に出る左の道を指した。折れると間も無く宮崎の青い海がせりあがって来て、ここが堀切峠だとマイルスは言った。車を駐車場に止め、さらに近づくと、海は180度に開き、崖の下には鬼の洗濯岩が現れた。
「ずぅーっとアメリカに続く海だと言って、昔アメリカ人の旅行者の女の子をホームシックにさせて泣かせたことがある」とマイルスは静に話した。堀切峠と書かれたバス停は、赤と白そして青の横縞の丸い標識だった。「これは太陽、白い雲そして青い空と海を表すものだ」とマイルスが言った。どこまでも広い海に静は憧れを抱いた。
しばらく青くきらめく海を左に見て走ったが、誰ともなくお腹がすいたと言い出した。次にお店を見つけたらそこに入ろうとマイルスが言ったので、静は以前に海水浴の帰りに寄ったかつお漬け丼のおばちゃん食堂を想像していた。しかし車を止めた店は生簀があって二階に海の見える大座敷がある「星倉」という地元でも有名な所だった。
みんなお刺身定食とオコゼの煮付けを注文したのだが、運転手の静は海も観ず、料理が運ばれてくるまで転寝をしていた。
料理がテーブルいっぱいに並ぶと静は起こされたが、少し寝て元気になった様子で、美味しい超新鮮な刺身にさらに元気になっていった。中でもオコゼの煮付けとカンパチ、鯛で出汁を取ったあら煮は絶品で、合わせ味噌の加減も素晴らしいものだった。
外を見るとそこは小さな漁港らしく、漁船が海に向かって出て行くところだった。山肌に別荘らしき建物がびっしりと並んでいて、こんな所での老後も素敵かなあと静は思った。
静の気分も良くなりしばらく海沿いに走り、海が見えなくなったと思う間も無く、ようやく鵜戸神宮の入り口にやって来ていた。
鵜戸神宮は豊玉姫(とよたまひめ)の産屋として、伝えられる。山幸彦、海幸彦の神話はみんな知っていると思うが、山幸彦は失くした兄の釣り針を探しに海宮(竜宮城)に行き、海神の娘豊玉姫と結ばれる。その子を産むために産屋としたのが、ここ鵜戸神宮だそうだ。鵜の羽を用いた産屋だった事からこの名前が付いたそうだ。
という訳でここは縁結び、安産の神様という事で、大正初期頃まで続いた新婚さんのお参りというか新婚旅行があった。新婦を馬に乗せて新郎がその手綱を曳く。馬に付けた鈴がシャンシャンと鳴りながら鵜戸神宮を目指す「シャンシャン馬道中」が風習だった。
マイルスの母は足が弱いので入り口の茶店で待ってもらう事にした。他のみんなは石段を登った。たいした石段ではなかったのだが、その日は35度以上の暑さだったので、もう汗だくで大変だった。石段を登りきってトンネルに入ったのだが、何か空気の違うものを感じた。確かにトンネルは風が通り抜けて涼しかったのだが、それ以上に神々しい何かを感じた。ここは結界なのだと静は思った。
神宮はその入り口「神門」から海の傍にあって蘇鉄が生い茂っている。南国の強い日差しが朱塗りをさらに赤くしていた。
参道はさらに楼門に続き、そこから断崖絶壁の上を通っていく。千鳥橋、玉橋を渡り、いよいよ本殿の建つ海蝕洞への最後の急な石段を降りていくとそこが本殿入り口で、本殿は巨大な洞窟の中にあった。その屋根の上に岩塊が覆い被さるように迫ってきて、豊玉姫がここを産屋に選んだ理由が分かるほど荒々しく神々しい気がした。ものすごく暑かったけど、これを見ただけでもここまで来た甲斐があると思った。中に入るとひんやりして空気が違うのを感じ、さらに奥に入ると末社が並んでいた。
本殿の真裏辺りに御乳岩というのがあって、低い天井から垂れ下がった形になっているのだが、ここからぽたりぽたりと水が落ちていてお乳水というのだそうだ。
豊玉姫が山幸彦の子供を生む時、本来のワニ(アリゲーター?きっと鰐、鮫のことだよね)の醜い姿に戻らなくてはいけないので、絶対に姿を見ないでといったのに、つい山幸彦は見てしまう。この事を悲しんだ豊玉姫は実家に、海に帰ってしまった。その時、我が子の鵜葺屋葺不合命(うがやふきあえずのみこと)に乳房を置いていったのがこの御乳岩だそうだ。鶴の恩返しもそうだけど「やっぱり見ちゃいけないというのは見ちゃいけないんだなあ」とマイルスは思った。
「しかし見るなと言われると、余計見たくなるよな」とも思った。
我が子の面倒を見るために豊玉姫は妹の玉依姫(たまよりひめ)を乳母として遣わすが、この玉依姫と鵜葺屋葺不合命は結婚して、生まれたのが神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)、後の神武初代天皇だった。おお!昨日の平和台(八紘台)と繋がったぞ。
御乳岩を見た後、静は自分の分と幸せになって貰いたい友達に、お乳水の入った透明な玉のお守りを買った。そしてマイルスが「運」と刻印の入った粘土の「運玉」をみんなの分買った。
1組5個の運玉を、崖の下の亀の形をした岩の、しめ縄で囲った四角い穴の中に投げ入れるのだが、女性は利き腕で、男性は逆の腕で投げ入れる。岩は崖の下の海の中にあって、何か入りそうな、入らなさそうな微妙な距離だった。入れば願いが叶うそうで、岩には波が打ち寄せていて砕けていた。
家族皆で投げ入れたが、入ったのはマイルスだけだった。子供の頃から何度も挑戦したが、入ったのは生まれて初めてだった。カメラを肩に掛けていた少し不自由な手で投げたのが良かったのかと、マイルスは思った。
崖の向こうには様々な形をした奇岩が立ち並んでいて、その向こうには青い海、船も見える。山側には羊歯やシュロ等の緑が茂り神宮の朱色が映える。擬宝珠の形に頭を刈られた蘇鉄が本物の擬宝珠と並んでユーモラスだった。
マイルス達は暑さで疲れて敗残兵の様に少し足を引きずりながら、再びトンネルをくぐりマイルスの母の待つ茶店へと戻ってきた。母は待ちくたびれた様子だったが、みんなの楽しかった様子を見て、微笑んだ。かき氷を食べたみんなは元気を取り戻し、兄の待つ夕食会に向かう事になった。
マイルスの兄のアトリエと自宅は宮崎市街地から少し離れた清武町の山裾にあって、着くとまだ仕事の仕上げに追われていた。仕事が終わるのを待つ事にして、自宅から1階分低いところにある庭に下りて、目の前の田んぼや山を眺めてくつろいだ。
庭は横に細長く5〜6軒分のかなり奥行きがあって、そこにデッキの上に3棟の東屋風の小部屋が建っていて、それぞれが兄夫婦のアトリエになっていた。それらは可愛らしい造りで義父母はとても気に入ったようだった。
陽も落ちてくると、兄夫婦も庭に下りてきて、パーティが始まった。ワインクーラーからワインを出してきて、マイルスはこれが目当てだったのだが、パーティは始まった。キッチンから次々と料理が運ばれて来る。兄の雇ったイタリア料理のシェフがキッチンで忙しく働いていた。もちろんワインは飲みながらだが...
土足で暮らす家なので、キッチンやリビングの行き来はシェフ達にとって楽なのだが、料理を運ぶ度に庭に下りて来なくてはならない。後で聞くとウェイトレスの女性は妊娠していたそうで、かわいそうな事をしたかなあとも思った。
マイルスの母はパーティの前に少し具合が悪いと言っていたが、食事になると元気になり料理をほとんど平らげていた。山蔭がだんだん暗くなり、とうとう見えなくなる頃にはパーティも最高潮でみんなが笑っていた。シェフもスタッフも降りてきてパーティに参加した。
帰り道、酔っ払ったマイルスのせいで、義父は知らない道をかなり走らされたが、何とかホテルにたどり着いた。兄宅から酔っぱらってかっぱらったワインを抱いた息子に、マイルスの母は少し怒っていた。
~とても美味しかった本日のメニュー~
フランスパンとカレービスク風
高菜とひじきの前菜
ジャガイモのローズマリー香草焼き
ベビーリーフと蛸のサラダ
オニオンスープ
キッシュ
パスタミートソース
チキンオーブン焼き
ドルチェ
珈琲、紅茶
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