第八話 セントラルパーク

 マイルスはニューヨークで、黒猫を飼っていた。CoCoという名の、黄色い瞳の黒猫で、アップタウンイーストのアパートにやってきた時は、まだ2ヶ月足らずの子猫だった。真っ赤な舌を出して、ミャーと鳴く。マイルスと子猫は、すぐに仲良しになった。

 ある日、マイルスと黒猫はセントラルパークに出かけた。ここはマンハッタンの真ん中にある巨大な公園で、貧乏人も金持ちも集まるところだ。世界中の人種が、ここに集まると言っても良いかもしれない。その日は夏の休日で、沢山の人々が芝生に寝転んだり、フリスビーをやったり、ボール遊びをしていた。見ていられない程イチャイチャの恋人たちもいる。どこからか、ラテン・パーカッションが聞こえてくる。マイルス達も、木陰にシーツを敷いて寝転び、本を読んだり、公園で楽しんでいる人々を眺めて過ごした。

 うとうとして気が付くと、黒猫が居ない。慌てて回りを探すがやはりどこにも居ない。鳴き声に気づきふと見上げると、木の上に黒猫が居てこちらを見下ろしていた。


 何度呼んでも、黒猫は下りてこない。仕方なしに、マイルスは木に登って捕まえたが、今度は猫を抱いたままでは木から下りられない。どうしようかと思っていると、事態を見かねたスパニッシュの家族が、猫を落とせという。自分達が受け取るというのだ。木の下で5、6人がシーツを広げ黒猫を落とすのを待ち構えた。彼らの善意に感謝し、黒猫を落とした。そしてこれが事件の始まりだった。


 シーツでジャンプした黒猫は、驚いてシーツから飛び降りた。そしてそれを捕まえようとする子供の手からすり抜けた。子供が追う。黒猫が逃げる。それを見た犬が追いかける。黒猫が逃げる。

 そして黒猫はあっという間に、マイルスが今登っている木の、5倍ほどはあろうかという高い高い木に、登ってしまった。


 マイルスは木から飛び降りると、50mほど先の、黒猫のいる高い木の下に走っていった。黒猫はすでに、かなり高い梢にまで登っていた。見るとその梢にはリスがいて、突然の侵入者を威嚇している。黒猫はさらに細い枝に後ずさりして、後ろ足を踏み外した。

 もう駄目かと思ったが、猫天性のバランス感覚で、かろうじて踏みとどまった。よほど怖いのだろう、大きな声で鳴いている。マイルスも下から呼びかけるが、一向に気が付く様子がない。周りは相変わらず楽しそうに、公園を満喫している。楽しげな音楽も聞こえる。事件に気が付いた人々も、夏の公園のイベントか、という風に眺めている。

 さあ困った。こんな高い木に登った事がない。取り付こうにも、大人3人分の手を広げたような大きな幹で、真っ直ぐ空に向かって伸び、横枝もない。全く取り掛かりがない。周りを見渡しても、自分が登ろうという人はいない。先程のスパニッシュの家族も、消えてどこにもいない。

 木を見上げる人に見張りを押し付けて、マイルスは消防署に走った。こんな事になるなら、公園に連れて来なければよかった、と後悔しながらマイルスは走った。消防署に人はいたが、猫ごときで、出動は出来ないという。ならば、はしごを貸してくれと言ったが、それも出来ないという。

 埒の明かない問答に、捨て台詞を残して、マイルスは消防署を立ち去った。木の所に戻ると、相変わらず黒猫は元の梢にいた。日が傾いてきた。黒猫は陰になって、少しずつ見えなくなって行った。もうすぐ誰も寄りつかなくなる恐怖のセントラルパークの夜が来ようとしていた。

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