『私たちの失くしもの』
本日の私は昨日よりもレベルが一高い。それを証明するように体力気力は十分。そしてこの辺の地理にも強くなっていました。
私は道すがら使えそうな細い木を見つけると、煉瓦石を打って、ちょうどいい長さに折ります。さらにその木で手頃な岩を叩いてみて外側の強度を、切れ目から髄と呼ばれる内側の様子を改めたのち、改めて石もポケットに入れつつ、昨日の河岸に向かいました。
なんだか子供の頃にこうして手頃な枝を振り回して近所を歩いたことを思い出します。
あの頃は……。
ああ、あの頃に観ていた世界というのは、まさしく異世界に降り立ったばかりのようだったのではないだろうか。
成長して、知識が増えて、その度一つずつ不思議や怖さがなくなっていき、私たちはそうして気付くと、元いた世界……すなわち現実に飽きているのです。
そして代わりをゲームや漫画や異世界に求めた。
発見や驚きは歳を重ねるとともに、その新たな獲得や入手の難度があがっていき、一つ見つけるのにも多大なる苦労を強いられるようになり、やがて私たちはこの工程に疲れ、ひいては人生そのものにも嫌気が差してしまうというわけです。
ゲームや漫画や異世界というのは、擬似体験ではありますが、それを手軽に味わえるもの。
そうした仮想の娯楽だったのでしょう。
それが実体験の埋め合わせにすぎないとしても、されども私たちはそれを含めて人生の実体験と称して、あるいは信じて、そんな世界の冒険を夢見み、もしくは追体験していたのです。
タバコやお酒やクスリに溺れるように。あれらもまた同じように、現実では味わえない陶酔。だから、辞めるときにはそれを悟り、あの夢がもう二度と見られないというのが苦しくて、苦しくて、目が眩む。現実が厳しくて、辛いあまりに、楽になりたいと手を伸ばす。
それは初めから、今にして思えば、なんということでしょう。
それこそ臨死体験のようではないか。
現実に嫌気がさし、身体が壊れることを知っていてなお未知でいて安易に手に入る快楽に溺れるなんてことは。
すなわち、すでに未遂なだけの自殺に等しい。
なんて愚かな私たち。
あの丘のような広大な草原に、朝日に照らし出される光景に、そんなのはきっと、まだ自分たちが自分たちの周囲に見つけていないだけのことだったのに。
私たち生命の本分が何かと問われれば、それは生きて子孫を、つまり証を残すこと。……本当にそうか? 私たちはただただ生きてあるだけで価値があったのではなかったのか。
明くる日には、この世界に降り立ち見れたあのような光景も、見られたかもしれないのに。
本来リハビリのように現実の足掛かりとすべきはずの擬似体験を、そこがあまりに居心地が良すぎて、現実そのもののように都合よく解釈するようになるばかりか、私たちはそのうちそんなぬるま湯の世界から抜け出せなくなって、それを中心に考えるようになっていたのです。これは何も娯楽だけではないように思われます。
いわく私たちが日頃手にしていたコミュニケーション手段の一つから、そのようだったように思われてならないのです。
ありがとう。
さようなら。
そんなやりとりさえ、機能的ではなく、心から動いていれば、もっと感じられたのではなかったか。
しかし、しかし。私は恥ずかしながら自分の立場からの意見を捨てきれません。
容易に抜け出すことのできない状況だってある。
親族、学校、会社。それら、人間関係。
それら、いわく弱さも強さも決して免罪符ではない。いえ、そもそも免罪符となり得るものなど、人の世にあるのでしょうか。
有名だから許される? 立場があるから許される? 何者でもないから許されない。持っていないから許されない。
権利なんて本来、誰にでもあって、同時にないもの。
しかし、前述の手段に溺れてしまうのにはそれらの要素はまったく好都合な言い訳ですし、私がここに来て感じ、想えたことの全ては抜け出せたからこその結果論に過ぎないのです。
私自身が誰よりもそれを知っている。
だからこそ、私は……皮肉にも、ここにいるのです。
だからこそ、人は、代わりの仮装体験を求めてやまないのです。
ああ、なんてバカな人間たち。
そうしてぐるぐると、気付けば一人相撲に生涯を、その大切な時間を捧げているだなんて。
しかしながらそれが私たち、儚くも愚かなるかな、人間の正体なのだと言えるのかもしれません。
何やら衝動的にうずくまり、泣き出したくなるくらいの侘しさに気付いてしまったものでしたが、今はそんなことは言ってられません。
私は滲んだものをかぶりを振って払うと、森の奥へと分け入っていくのでした。
河岸に着くと、私はまず一口手ですくって喉を潤し、水筒の製作に取り掛かります。
持ってきた煉瓦石を岩場にぶつけて割り、先端をナイフのように鋭くすると、入り口近くで手折った枝木。この真ん中にノコギリのように切れ目を入れていきます。
しかし、なかなか切れません。おかしいなぁ、記憶にある動画では上手くいっていたのに……それから三十分は格闘したでしょうか、その間私にどうにか出来たことは、枝に蟻さんが通れるほどの細い道を開通した程度で、一向に真っ二つにはできませんでした。
やはりナイフが必要に思われます。
お天道様は直上に昇りきり、薄暗い森の中にすら日光が差し込んでくる時間帯。辺りを見れば動植物が活気付いてきたかのように見えてそれはいいのですが、梢の隙間から降り注ぐ光線は私のうなじをひたすらにしつこく焼きこがし、朝の寝冷えが嘘のようにじっとりと汗をかいて、堪ったものではありませんでした。
改めて考えてみると、私は細くもやしのような現代っ子も甚だしい。それが異世界とはいえ突然一人、道具もなく野にほっぽり出されて、即日対応できるならサバイバルなんて技術は大したことがありません。サバイバルとはそんなに甘いものではなかったのでしょう。
これは別の方法を探したほうが賢明かもしれない。
私は己の力量不足や不甲斐なさに落胆しました。考えるうち、げっそりとやつれたしめじの茎のように成り果て、一度川で水分補給。それから顔を洗い出したその時でした。
ぴんぽーん。
まるで不可思議なアラームが突如として鳴り響いたのです。
頭の中……? のようにも思えましたし、現実に鳴っているようにも思えました。そして次の瞬間こそ、私は心の底から驚いて、目を見開きました。
ぴこっ。
そんなポップアップSEとともに、宙にメッセージが現れたのです。
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