第3話 *数蓮



「待って、待って。なんでもする。だから、殺さないで。」土壇場で出てきたのは、そんな、使い古された、陳腐なセリフ。


「ああ、なんて無力なのだろう」と記憶の最後に頭に浮かんだことまで、実に平凡だった。





「おい!蓮!遅いぞ!」

「待ってよ〜僕は君みたいに早くないんだよ〜」


薄暗い夕暮れ時、私たちは鬼ごっこをして遊んでいた。


人間である蓮は私よりずっと遅いので、鬼ごっこになっていないが。


それでも、楽しかった。


「はあ、はあ、やっと、追いついた。君、もう少し手加減してよ。」

「ごめんな蓮!私は速いんだ!人間じゃないからな!」


私は、いわゆる“人外”と呼ばれる種族だ。名前は「数」という。“人外”とはいえ、私はほぼ人間の少女の姿だ。意識がはっきりした頃から、姿も変わらず、(精神年齢も変わっていない)極めて高い運動能力、そしてこの!美貌!!


共に遊んでいる人間の名は、「蓮」という。気弱だが、この人間の心は穏やかだ。なぜか、私の心まで浄化されていくようで、それでいて熱くなる。


今まで私は、ずっと独りで暮らしてきたのだ。私たち“人外”の類は、人間に視認されることが極めて稀だ。見えていたら、大問題だろう。中には、街中で人間を狩って喰らう種族もいるのだから。


だが、ある日私の領域に踏み込んできた此奴は、襲った私を認識したのだ。


「え!?人間?こんな山奥に、人間!?いや、あれ、」

「お前、私が見えるのか。人間のくせに。」

「あ、ああ。見えるよ。君、もしかして人間じゃないの!?」

「そうだ。私は人間ではない。お前、なぜ私の領域に入った?いや入れた?すぐに喰い殺しても良かったのだぞ。」

「普通に、入れたよ。それより、その、僕の上から、どいてくれない、かな、、」


そう、奴が赤面していうから、私は面食らった。

確かに、私が人間を、組み敷くような格好だった。だが、それがなんだというのだ。

喰われようとしている状況で。“人外”だと明かされた状況で。

恐れるどころか人間の少女に抱くような感情を、見せたのだ。



「ちょっと、数、どうしたの〜早く、帰ろう。」

「ああ。そうだな!」


蓮がなぜ私の領域に来たのか、聞いたことはないが、おおむね予想はつく。捨てられたのだろう。だが、私の領域に入ることができたのも、私のことを視認できるのも、きっと蓮の心が清くあったからだ。故に私は、古傷を抉るつもりはない。ただ、ここで毎日遊びながら、一緒に暮らすことができればそれでいいのだ。




異変が起こったのは、新月の晩だった。




私は滅多に人間を喰らうことはない。敵意がないし、第一“人外”は100年ほど喰わずとも生きて行ける。だが、極端に摂取しないとなると、話は別だ。弱ってしまう。だから、蓮に出会うまでは、時折森の動物を狩って喰っていた。ただ、摂取している間は、領域の効果が薄れ、私の警戒心も弱まる。


その話を蓮にすると、奴はこういった。


「僕の血を吸ってもいいよ。人間の血の方が、少量でも力が出るんでしょ。」


最初は、断った。蓮を、食糧として見たくなかったからだ。だが、一度他の“人外”に襲われた時、守りきれず蓮に傷をつけてしまった。だから、蓮を守ることができるように、月に一度は血を飲ませてもらうことにした。




ちょうど、出会った時のように蓮を組み敷き、首筋に歯をあて、血を舐めている時だった。


周りが、明るくなっていった。そこで初めて異変に気づいて止血し、蓮と目を合わせた。


怯えていた。ただ、恐怖に満ちた表情。私への恐怖ではない。


光の根源は、私の領域を踏み越えてやってきた人間たちだった。



「いたぞ!「蓮」だ!!」

「見つけたらすぐ殺せとの司令だ!いけ!」


穢れた人間たちには、私の姿が見えないようだった。


ただ汚い叫び声をあげ、蓮に襲いかかる。


蓮を殴り、斬り、傷つけていく。


必死に守る。失いたくない。私の、私の、    大切な、人間。


だけど、わかっている。私は、無力だ。



「お前は、平凡だな。」



幾年も前に他の“人外“に言われた言葉。私は、それほど強くない。


ただ人間より速く、少し力が強いだけ。十数人の男相手に、勝てるはずもなかった。


それでも、泣きながら、相手にもされないまま、抵抗する。


「待って、待って。なんでもする!だから、蓮を、殺さないで!」


いったい、蓮がなにをしたのかは知らない。ただ、こんなのはあんまりだ。私と一緒に、ただ平和に暮らしていただけなのに。壊していい理由がどこにある。


ああ、蓮が、弱っている。助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ、、


「嗚呼、汝は無力だ」




++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



拾ヲ数エル頃マデニ


鬼カラ逃ゲネバ殺サレル


壱、弐、参、肆、


伍、陸、漆、捌、玖、拾


拾ヲ数エテマダイレバ


穢レタモノハ


八ツ裂キ串刺シ炙リ焼キ



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



『壱、弐、参、』


「なんだなんだ?   青い、、光?闇?」


『肆、伍、陸、』


「あれは、なんだ?人間、いや、ツノ?」


『漆、捌、玖、』


「おい、まずいんじゃ」


『拾』



――――――――



思い出した。


私は「数鬼」だ。


拾を数える間に、私の視界から消えていなかった者は、死んでしまう。


昔、人里に降りた時、発動して、里の人間たちは死んでしまった。


それから、封印して、記憶もなくしていた。




「、、数。」

「蓮!!!」


私は慌てて駆け寄る。


「、僕は、ね。人間の、せ、かいで、人を、何人も、ころ、した、、ことに、なってる」

「蓮!もうしゃべるな!まだ間に合うから!治癒の“人外”を呼ぶから!」

「聞いて、数。僕は、どう、せ、もうだめ、だ。」

「そんなこというな!蓮!」

「数、なら信じてくれる、よね。僕は、ひとりも、ころ、して、いない、、でもいいん、だ。ありが、、と、う」


動かない。目を閉じて、動かない。


いや、そんなの、いや。蓮は、殺していない?濡れ衣?それで殺された?人間に。人間に。


“人外”が見えるほどに清い心を持つ蓮に、人が殺せるはずもないのに。


醜い、人間。蓮を殺した、人間の、世界。


みんな、消えてしまえ。私から蓮を奪った、罰だ。





「ん。ありゃなんだぁ?綺麗な女だなぁ。」


『壱、弐、参、肆、伍、』


「ん?」


『陸、漆、捌、玖、拾』


ジュッ


跡形もなく、焼けた人間。




目につく全ての人間を殺していく、鬼。


そこにあるのは、ただ人間への憎しみのみだった。

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