今ある幸せを失わないために

◇◆◇◆


 ────一方、その頃の私はと言うと……ディラン様の提案で、魔塔へ足を運んでいた。

さすがに屋外で話をする訳には、いかなかったため。

どこかで腰を落ち着けたかった。


「アランくんはいらっしゃらないんですか?」


 いつも居る少年の姿が見当たらないことに気づき、私は質問を投げ掛ける。

すると、ディラン様はソファに置いた資料を片付けながら、口を開いた。


「多分、寝ていると思う。今日は遅くなるって事前に伝えてあったし、こんな真夜中だから」


 『そもそも、僕の許可なしに外出は出来ないよ』と語り、ディラン様は資料の山をテーブルへ移す。

と同時に、こちらを振り返った。

『とりあえず、座って』と促してくる彼を前に、私は一言断りを入れてから着席する。


「では、出来るだけ静かにした方が良さそうですね」


「そうだね。まあ、別に騒ぐつもりはないし、大丈夫でしょ」


 『話し声くらいじゃ、起きないよ』と主張し、ディラン様も向かい側のソファへ腰を下ろした。


 あれ?珍しいわね。いつもなら、迷わず私の隣に座るのに。


 『そういう気分じゃないのかな?』と思いつつ、私は居住まいを正す。

────と、ここでディラン様が僅かに表情を引き締めた。

いや、強ばらせたと言った方が正しいか。

なんだか、とても不安そうだったから。


「……ねぇ、グレイス嬢」


 いつもより弱々しい声で呼び掛け、ディラン様はグッと手を握り締めた。


「君の師匠が言っていたことなんだけどさ────本当に帰っちゃうの?」


 捨てられた子犬のような……一人だけ取り残された子供のような表情かおで問い掛け、ディラン様はゆらゆらと瞳を揺らした。

行かないで、という本音を言動の端々に滲ませながら。


 どうやら、師匠が私を連れて帰ろうとしていることに危機感を抱いているみたいね。

それで、いつになく弱気なんだわ。


 『ようやく合点が行った』と納得しつつ、私はアメジストの瞳を真っ直ぐ見つめ返した。


「いいえ、帰りませんよ」


 迷わずそう断言すると、ディラン様は驚いたように目を見開く。


「ほ、本当?」


「はい。あのときは魔塔主様の登場により、話が有耶無耶となってしまいましたが、私はここを離れる気なんて微塵もありません。やっと、見つけた最愛の人を悲しませたくないので。何より────私自身、とても寂しいです」


 師匠の元へ帰ったら、ディラン様と会えなくなるのは必至。

昔から人との交流を避けてきた人なので、逢い引きなんてきっと許してくれないだろう。

だから、私は絶対に帰らない。

今ある幸せを失わないために。


「そっ、か……そっか。良かった」


 ゆっくりと肩から力を抜き、ディラン様は安堵のあまり涙ぐんだ。

かと思えば、ハッとしたように顔を上げる。


「ご、ごめんね。ホッとして……グレイス嬢からすれば、究極の選択で……色々複雑だろうに」


 『自分のことばっかりで最低だ……』と嘆き、ディラン様は額に手を当てる。

でも、安堵の涙は止まらないようだった。

『本当にごめん』と謝る彼の前で、私は静かに席を立つ。

そして、ディラン様の前に来ると、床へ膝をついた。


「謝らないでください。私はむしろ、嬉しいですよ。ディラン様がそれほどまでに、私のことを想ってくれているのが」


 下から顔を覗き込み、私はディラン様の頬を優しく包み込んだ。

すると、彼はビクッと肩を揺らす。


「本当に……?僕のこと、嫌いになってない?」


「はい、今でも変わらず大好きです」


 うんと目を細めて笑い、私は少しばかり身を乗り出した。

と同時に、唇を重ねる。

『んっ……!?』とくぐもった声を上げるディラン様の前で、私はゆっくりと唇を離した。


「これでも、『嫌いになっていない』と……『大好きだ』と信じえもらえませんか?」


 親指の腹でディラン様の唇をなぞり、私はコテリと首を傾げる。

『まだ愛情表現が足りないか』と悩む私を前に、ディラン様はカァッと顔を赤くした。

それはもう林檎みたいに。


「し、信じるよ。ありがとう……」


 上擦った声でそう言い、ディラン様はキュッと唇に力を入れる。

先程までの暗い雰囲気が嘘のように消え去る彼の前で、私は表情を和らげた。

またすれ違うような状況にならなくて良かった、と安堵しながら。


「信じていただけて、何よりです」


 ゆっくりと身を起こして立ち上がり、私は自分の席へ戻る────筈が、ディラン様に止められた。


「こ、ここに居て」


 掴んだ手をギュッと握り締め、ディラン様は自分の隣を示す。

上目遣いでお願いしてくる彼を前に、私は『ふふっ』と笑みを漏らした。

こんな風に求められるのが、ただただ嬉しくて。


「分かりました。では、お隣失礼しますね」


 ディラン様の手を握り返しながら同じソファに腰掛け、私はスッと目を細める。

やっぱりこの距離感が心地良いな、と感じて。

『ディラン様の隣が、私の定位置』とすら思う中、ふとあることを思い出す。


「あっ、そうでした。一つ伝え忘れていたのですが────」


 そこで一度言葉を切り、私はそっと眉尻を下げた。


「────もしかしたら、私しばらく姿を消すかもしれません」


「……えっ?」


 呆気に取られた様子で固まり、ディラン様はまじまじとこちらを見つめた。

かと思えば、私の肩に手を掛け、ソファへ押し倒す。


「どういうこと……?ずっと、僕の隣に居てくれるんじゃなかったの……?やっぱり、帰るの……?さっきの言葉は嘘だったってこと……?」


 焦ったような表情で捲し立て、ディラン様は体を震わせた。

アメジストの瞳に、絶望を滲ませて。


「ゆる、さない……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」


 爪が食い込むほど強く私の肩を掴み、ディラン様はスッと表情を打ち消す。

と同時に、一筋の涙を流した。


「グレイス嬢はずっと……ずっと、僕と一緒に居るんだ」


 譫言のようにそう呟くディラン様は、手のひらから魔力を出す。


「逃げられないように、首輪を掛けるね……?」


 そう言うが早いか、ディラン様は何かの魔術式を描き上げた。

『どこにコレを貼ろうかな……』と思案する彼の前で、私は顎に手を当てて考え込む。


「……首輪、ですか。いいアイディアかもしれませんね」


「……へっ?」


 まさか賛同されるとは思ってなかったのか、ディラン様は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

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