サミュエル殿下の護衛依頼

◇◆◇◆


 ────同時刻、ミリウス殿下の執務室にて。

私は壁際に立って、殿下の仕事風景を眺めていた。

というのも、特にやることがないため。


 今日はまだ一回も襲撃に遭っていないのよね。まあ、それ自体は喜ぶべきことなのだけど、なんだか嵐の前の静けさみたいで身構えてしまう。

昨日あれだけ襲撃されたから、余計に。


 『この差は一体、何なんだろう?』と思いつつ、私は集中力を切らさないようにする。

いざという時、すぐ動けるように。

『油断は禁物』と自分に言い聞かせていると、いきなり扉をノックされた。


「────ミリウス殿下、入ってもよろしいでしょうか?」


 聞き覚えのある声が鼓膜を揺らし、私達は反射的に顔を上げる。

『何故、あの人がここに?』と疑問に思う中、ミリウス殿下は


「構わないよ」


 と、返事した。

すると、直ぐに扉が開いて燃えるような赤髪を目にする。


「突然の訪問、申し訳ございません。グレイスのことで、少々お話がありまして」


 そう言って、ガシガシと頭の後ろを掻くのは────エテル騎士団の団長であるギデオン・ハンク・フォスターだった。

どこか落ち着かない様子で身を縮こまらせる彼に対し、ミリウス殿下────ではなく、ディラン様が反応を示す。


「グレイス嬢のことで?」


「あ、ああ……気になるのは分かるが、そんなおっかない顔するなよ」


 両手を上げて数歩後ろへ下がり、団長は『相変わらず、グレイスにご執心だな』と苦笑いする。

────と、ここでミリウス殿下がペンを置いた。


「とりあえず、詳細を教えてくれる?」


「はい」


 間髪容れずに首を縦に振り、団長はこちらへ向き直った。

かと思えば、コホンッと一回咳払いする。


「ミリウス殿下には、申し訳ないのですが────グレイスを一度護衛から、外していただけませんか?」


「「「!?」」」


 全く予想してなかった申し出に驚き、私達は一瞬固まった。

が、直ぐに平静を取り戻す。


「何故だい?アルカディアの件の後始末などについては、グレイス卿抜きでも行えるという見解だっただろう?」


「ええ、そちらはグレイスが居なくても問題ありません。ただ、別件でちょっと……」


「別件って、何?」


「それは……」


 あまり大っぴらに出来ないことなのか、団長は言葉を詰まらせた。

でも、『どうせ、すぐ知ることになるだろうし』と呟いて顔を上げる。


「────サミュエル殿下の護衛の件です」


「「「!!」」」


 私達は堪らず顔を見合わせ、大きく目を見開いた。

『どういうことだ!?』と困惑する私達を他所に、団長はそっと眉尻を下げる。


「何でも、サミュエル殿下の近衛が体調不良に見舞われたようで……非番の者を呼ぼうにも、田舎へ里帰りしているとかなんとか。なので、今日の護衛についてはエテル騎士団の者にお願いしたいと言われました」


 簡単に事情を説明し、団長は自身の額に手を当てた。


「ただ、ウチは今気軽に団員を貸し出せるような状況ではなく……また、皇族の護衛となるとそれなりの実力者じゃなきゃいけない」


「そこで白羽の矢が立ったのが、グレイス卿だったという訳か」


 納得したように頷き、ミリウス殿下は大きく息を吐く。

『そう来るか……』と呟く彼の前で、団長は少しばかり身を乗り出した。


「ミリウス殿下からすればあまり愉快な話じゃないでしょうが、今日だけのことなので何卒ご容赦を……」


「────却下」


 ディラン様は堪らず横から口を挟み、鋭い目付きで団長を睨みつけた。

これでもかというほど不快感と嫌悪感を出す彼に、団長は困ったような表情を浮かべる。


「気持ちは分かるが、現実問題第二皇子の要請を無視する訳にはいかない。人員も必要以上に割けないとなれば、こうするしか……」


「君も知っている筈だ、あの男がどれだけの悪事に手を染めてきたか!バックにはきな臭い連中も居るし、関わったら火傷どころじゃ済まない!」


 思わずといった様子で声を荒らげ、ディラン様は団長に詰め寄った。

すると、団長は渋い顔をしてグッと手を握り締める。


「そんなことは分かっている……だが、その悪事を糾弾することが出来ない以上、サミュエル殿下はあくまで第二皇子として扱われる。だから、要請を退けることは出来ない」


 『俺だって、出来れば断りたいが……』と零す団長に、ディラン様は眉を顰めた。

あちらの言い分は理解出来るものの、納得は出来ないのだろう。

誰だって、恋人には安全な場所へ居てほしいから。

『理屈じゃないわよね、これは』と思案する中、ミリウス殿下がスッと手を挙げる。


「じゃあ、こうするのはどうかな?騎士団にウチの文官を何人か派遣して、書類仕事の負担を減らす。そうすれば、サミュエルの護衛に割ける人員くらいは確保出来るんじゃない?」


「それなら、まあ……確かに何とかなりそうですが」


 難しい顔つきでこちらを見つめ、団長は迷う素振りを見せる。

多分、他の団員を行かせたくないのだろう。

第二皇子が危険だと分かっている分、余計に。

『なら、グレイスはいいのか?』という話になる訳だが、それは別にこちらを軽んじている訳じゃなくて────。


「サミュエル殿下の護衛の件、私が引き受けます」


 確かな意志と覚悟を持って、私は志願した。

すると、ディラン様は大きく瞳を揺らす。

まるで理解出来ない、といった様子で。


「な、何で?グレイス嬢も、あの男の本性は理解している筈でしょ?」


「ええ、昨日じっくり教えてもらいましたので」


「それなら……!」


「だから、私が引き受けるべきだと判断しました」


 食い気味にそう答え、私は真っ直ぐ前を見据えた。

と同時に、自身の胸元へ手を添える。


「そんな危険な人のところへ、仲間を送る訳にはいきませんから」


 団員の中に特段親しい者は居ないものの、それでも放っておくことは出来ない。

自分の代わりに行くとなれば、尚更。

だって、そんなの────生贄を差し出しているようなものだから。


「だ、だからってグレイス嬢がリスクを被る必要は……」


「私なら、何かあってもある程度対応出来ます。少なくとも、どのような状況であろうと脱出は可能でしょう」


 慢心するつもりはないが、他の団員に任せるよりかは安心な筈。

団長もきっと、そう考えて私に話を持ってきたのだ。


「ディラン様、ミリウス殿下。今日一日だけので、どうかお願いします」


 『私にやらせてください』と頭を下げると、ディラン様はクシャリと顔を歪めた。

やるせない感情を露わにするかのように。


「……グレイス嬢はいつも、そうだよね。誰かのために体を張って、自分のことは置き去りで……」


 悲痛の面持ちで俯き、ディラン様は強く手を握り締めた。


「でも、僕に文句を言う資格はないよね。だって、僕はその献身に助けてもらった立場だから」


 論文発表会や建国記念パーティーの騒動を思い出しているのか、ディラン様は憂いげな表情を浮かべる。

と同時に、暗くて重い感情を外へ吐き出した。


「だけど……出来れば、助けるのも守るのも気に掛けるのも僕だけにしてほしいな。他のやつのために体を張るところなんて、見たくない……」


 自身の額に手を当て、ディラン様はそろそろと顔を上げる。

アメジストの瞳に、悲嘆を滲ませながら。


「ねぇ、本当に行くの……?僕を置いて?」


 控えめに私の袖を掴み、ディラン様は目尻に涙を浮かべた。

まるで捨てられた子犬のような反応に、私は一瞬だけ迷いを覚える。

が、やはりサミュエル殿下の所業を考えると他の人に行かせる選択肢はなかった。


「申し訳ございません、ディラン様。今日一日だけ、我慢してください」


 『ちゃんと帰ってきますから』と言い聞かせ、私は優しく彼の頭を撫でる。

一歩も引かない姿勢を見せる私の前で、ディラン様は傷ついたような素振りを見せた。

かと思えば、大きく深呼吸して肩を落とす。


「……本当は嫌で嫌でしょうがないけど、分かったよ。グレイス嬢の意志を尊重する。でも、その代わり────」


 そこで一度言葉を切ると、ディラン様は真っ直ぐこちらを見据えた。


「────ちゃんと無事に帰ってきて。君に傷一つでも付いていたら、僕……本当に何をするか、分からないよ」


 どこか懇願するように私の手へ縋り付き、ディラン様は唇を引き結ぶ。

必死に不安を押し殺そうとする彼を前に、私はスッと目を細めた。


「はい、必ず無傷で帰ってきます」


 しゃんと背筋を伸ばして誠意を示し、私は『約束します』と述べた。

すると、ようやくディラン様は態度を軟化させる。

きっちり確約をもらったので、安心したのだろう。

僅かに肩の力を抜く彼の前で、ミリウス殿下は一つ息を吐いた。


「ディランがそう言うなら、私も構わないよ。今日だけ、サミュエルの護衛につくといい」


 『異論はない』と主張し、ミリウス殿下は小さく肩を竦めた。

と同時に、団長が少しばかり表情を和らげる。


「よし、話はまとまったな。じゃあ、グレイス今日一日だけよろしく頼む」

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