取り引き《アルカディア side》

「ディラン・エド・ミッチェル、貴方に再び・・私の研究を手伝っていただきたい」


 真剣な声色でそう申し出ると、ディランは怪訝そうに眉を顰めた。


「はっ……?何を言っているの?僕は一度もアルカディアの研究を手伝ったことなんて……」


「ありますよ────十二年ほど前に……人体実験の優秀なサンプルとして」


「!!?」


 アメジストの瞳を大きく揺らし、こちらを凝視するディランは一瞬にして青ざめた。

恐怖で顔を歪めながらたじろぎ、胸元を強く握り締める。


「う、嘘だ……」


「嘘じゃありません。私は今から十二年前、たまたま街で迷子になっていた貴方を見つけ、衝動的に連れ帰りました。その膨大な魔力にとても惹かれたのです」


 今もまだハッキリと覚えている当時の記憶を手繰り寄せ、私は小さく笑った。


「それからはひたすら、実験の日々ですよ。貴方に魔物の一部を与えたり、血や肉を採取したり……いやぁ、とても楽しかったです」


 感嘆の息を漏らしつつ、私は『人生で一番幸せだったと言っても過言じゃない』と主張する。

視界の端に嘔吐くディランが映ったものの……気にせず、言葉を続けた。


「まあ、それも僅か一ヶ月で終わってしまいましたが……貴方を手放してからは、とにかく後悔の毎日でした。公爵家に保護されている貴方を奪い返そうなどと考えたこともありましたが、現実的に不可能なので諦めました。でも、女神は私を見捨てなかった。貴方を魔塔私のテリトリーに呼び寄せてくれたんですから」


 『再会した時の喜びと言ったら、もう……』と零し、私は少し頬を紅潮させる。

ついつい興奮してしまって。


「これはチャンスだと思い、喜びましたが……人生そう上手く行きません。私の弟子になるよう勧めても、共同研究をやろうと持ち掛けても貴方は首を縦に振りませんでしたから。おかげで、懐柔作戦は諦める他なく……このような強硬手段を取ることになったんです」


 『本当は私だって、穏便に済ませたかった』と言い、少年の首筋を軽く切った。

ツーッと流れる赤い血を前に、私は思い切り頬を緩める。


「さあ、昔話はこのくらいにして本題へ戻りましょう────ディラン・エド・ミッチェル、私と共に来なさい。こんな幼い子供に自分と同じ苦痛を味合わせるのは、嫌でしょう?」


 言外に『応じなければ、この少年を虐げる』と告げ、私は一歩前へ出た。

その途端、ディランはビクッと肩を震わせる。

怯えたように表情を強ばらせ、唇を強く引き結んだ。


「ぼ、僕は……」


「────お断りします」


 ディランの言葉を遮るようにしてキッパリと拒絶の意志を示したのは、グレイス卿だった。

一点の曇りもない眼でこちらを見据え、ディランの隣に立つ彼女は剣先を更に前へ突き出す。


「ディラン様もアランくんも渡しません」


「ほう?二人とも助ける自信が、おありなのですか?少年の方には、魔術式を貼り付けているのに?」


 『魔術の発動よりも早く動けるのか』と尋ねると、グレイス卿は僅かに目を見開いた。

かと思えば、小さく首を傾げる。


「逆にお聞きしますが────何故、その程度の小細工で私に勝てると思ったんですか?」


 心底不思議そうにそう問い掛け、グレイス卿は目をぱちくり。

勝利する自信を持っているどころか、確信している様子の彼女に、私は思わず笑ってしまった。

『まだまだ青いな』と思いながら。


「グレイス卿、慢心はいけませんよ」


「それはアルカディア様に向けるべき言葉だと思いますが」


 『こういうのブーメランって、言うんでしたっけ?』と述べ、グレイス卿は一歩前へ出た。

まるで、ディランを庇うように。


「さて、一応警告しておきますね。今すぐアランくんを解放し、投降してください。さもなくば、痛い目に遭いますよ────私、ちょっと怒っているので」


 『戦闘になった時、加減出来るかどうか自信がない』と主張し、グレイス卿はこちらの返答を待つ。

まあ、どのような返答をされるかは何となく分かっているだろうが。

どことなく威圧感を放つ彼女の前で、私は氷のナイフを先程作った傷口にめり込ませた。

『くっ……!』と呻く少年を見下ろし、ニヤリと口元を歪める。


「残念ですが、今更引き下がることなど出来ません。ディラン・エド・ミッチェルを手に入れるため、私がどれほど我慢してきたと思っているんですか。こんなところで幕引きなんて、出来る訳ないでしょう」


 老い先短い身であることもあって、私はこれが最後のチャンスだと認識していた。

なので、大幅に予定が狂っても準備を万全に出来なくても強行したのだ。

何とも馬鹿らしい賭けだが、多少なりとも勝算はある。

諦めるという選択肢は端からない。


「そうですか。では、痛い目に遭ってもらいましょう」


 いつもより数段低い声でそう述べると、グレイス卿は地面を蹴り上げた。

一瞬で風となった彼女を前に、私は直ぐに魔術式を発動させる。

が、それよりも早く魔術式を破壊された。


「!?」


 まだグレイス卿の間合いには、入っていない筈……それなのに、何故?


 『少年の脳を軽くいじってやろうと思ったのに』と考えつつ、私は一先ず氷のナイフを更に食い込ませる。

うっかり、大動脈を切らないよう注意しながら。

ここで大量出血させ、殺してしまったら取り引きが成立しなくなるため。

それでは、元も子もない。

『とにかく、グレイス卿を牽制しなければ』と思い、私は武器を持つ手に力を込めた。

その瞬間────右手諸共、撃ち抜かれる。


 今のは……剣の感触じゃなかった。

じゃあ、やっぱり何か飛び道具を使って?


 右手に空いた穴や粉々になった氷のナイフを一瞥し、私は指先から魔力を垂らした。

結界魔術を展開するために。

『あまり魔力は消費したくないんだが』と思考を巡らせていると、今度は水の縄を切られる。

おかげで私の支配下から外れてしまい、形状を維持出来なくなった。


 バシャンと音を立てて床に落ちた水を眺め、私はハッと息を呑む。

と同時に、指先から垂らした魔力を切り刻まれる。

これでは、魔術式を掛けない。

『こちらの攻撃手段を尽く潰してきている』と危機感を抱く中、全身に悪寒が走った。


「アルカディア様、貴方はとても遅いですね」


 背後からグレイス卿の声が聞こえ、私は慌てて後ろを振り返る。

が、もうそこに彼女の姿はなく……鳩尾辺りに強い衝撃を受けた。

『何が起きた……?』と目を白黒させる私は、仰向けの形で床に倒れる。

その隙に、少年を奪われた────いつの間にか、目の前へ立っていたグレイス卿によって。


 は、早すぎる……。


 半ば呆然としながら、私はグレイス卿を見つめた。

『このままでは負けてしまう』と己の不利を悟りつつ、何とか魔力を操る。

この際、短縮版でもいいから魔術を使おうとする中、グレイス卿はこちらに向かって軽く剣を振った。

と同時に、強風が巻き起こり……魔力を切り刻む。


 遠隔攻撃の正体はこれか。

何とも力任せな攻撃方法だが……ここまで正確に操れるなら、かなりの脅威になる。

近接戦闘しか出来ないという、剣士の弱点を完全にカバー出来る訳だからな。


 『想像以上に厄介な相手だ』と眉を顰め、私は一つ息を吐く。


「グレイス卿、私は貴方を甘く見ていたようです。なので────ここから先は全力で行きます」


 そう言うが早いか、私は本来使う予定のなかった奥の手を使った。

と同時に、心臓が大きく脈打つ。


「アルカディア様、何を……」


 どんどん腫れていく私の体を見て、グレイス卿は少しばかり頬を引き攣らせた。

かと思えば、少年を小脇に抱えてジリジリ後退していく。

何やら、嫌な予感を覚えたようだ。


「くくくっ……ここで私を殺さず、様子見に走るあたり貴方らしいですね」


 血液が沸騰するかのような熱さと痛みに耐えながら、私はゆるりと口角を上げる。

その刹那────自分の体に予め仕込んであった魔術式が、発動を果たした。

私の血肉を引き裂くようにして噴き出した爆風と爆炎を前に、グレイス卿は


「まさか、自爆……!?」


 と、叫ぶ。

目を白黒させながら壁に向き直り、剣を構えた。

恐らく、退路を作るつもりなのだろう。

一刻を争う事態になって焦る彼女の前で、私は右手をディランに翳す。

と同時に、簡単な攻撃魔術を使用した。


 さあ、どうする?第一騎士グレイス。

今、ディラン・エド・ミッチェルに自分の身を守る余裕はないぞ。

ここで見捨てるか?それとも、危険を承知で……退路がなくなるリスクを背負って、助けるか?


 なんてことない風の矢を一本放ちながら、私はグレイス卿の動向を見守る。

『さあ、どう出る?』と考える中、彼女は迷わず剣を振るった。

すると、その風圧で風の矢は見事打ち砕かれる。

これで確実に時間は減った。

少なくとも、『壁に穴を開けて、ディランを拾って、飛び降りる』というのは難しい。


 万事休すとは、まさにこのこと。

私は併用している治癒魔術で助かるだろうが、あちらはそんな芸当出来ない。

良くて重傷、悪くて死亡といったところか……ディラン・エド・ミッチェルに関しては生け捕りにしたかったんだが、まあいい。

この際、死体だけでも回収させてもらおう。


 『研究材料としては申し分ない』と判断する中、私の心臓はより一層大きく脈打ち────大爆発を引き起こした。

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