おつかい

◇◆◇◆


 ────魔物討伐任務の件から、早一ヶ月。

アランくんは正式にミッチェル子爵の元で、面倒を見ることになった。

一応エテル騎士団で保護する話も出たが、人体実験による弊害の対処や検査を行えるのは魔術師だけだったため。

また、本人からの強い希望もありミッチェル子爵預かりとなったのだ。


「てか、アンタも凄いやつだったんだな」


 魔塔の一室で優雅に寛ぐアランくんは、まじまじとこちらを見つめる。


「第一騎士って、帝国最高峰の騎士しかなれないんだろ?ミッチェルさんから、聞いた」


 エメラルドの瞳に尊敬の念を込め、アランくんは『すげぇよ』と呟いた。

かと思えば、少し乱暴に頭を掻く。

その際、ワイアットさん譲りの白髪がサラリと揺れた。


「俺もいつか、アンタみたいになれるかな……?」


 若干頬を赤くしながら問い、アランくんは期待に胸を膨らませる。

ようやく年相応の態度を見せるようになった彼に、私はパッと表情を明るくした。


「もちろん!今からコツコツ鍛錬を積めば、きっと誰よりも強くなれますよ!」


「ほ、本当……!?」


 思わずといった様子で席を立ち、アランくんは身を乗り出す。

騎士になるのが夢だったのか、かなりいい反応を見せてくれた。

『これは是非応援してあげたい!』と考えつつ、私は身を屈める。


「はい!ですから、まずは体作りを……」


「────そこ、ちょっと近い」


 奥の部屋からひょこっと顔を出し、眉を顰めるのはミッチェル子爵だった。

ムスッとした様子で距離を詰め、私とアランくんの間に割って入る。

『ちょっと目を離したらこれだ』と文句を垂れながら。

そしてアランくんの肩を掴むと、無理やり椅子へ座らせた。


「ちょっ……いきなり、何!?」


「グレイス嬢とは、適切な距離を保って。必要以上に近づかないで」


「えぇ……?アンタら、付き合ってんの?」


 さすがはワイアットさんの孫とでも言うべきか、アランくんは男女の関係を疑う。

『だとしたら、最強カップルだな』と呟く彼の前で、私はハッとした。


 あっ、そうだ!おつかい!


 団長に用事を頼まれてここまで来たことを思い出し、私は慌てて手元の資料を見下ろす。

『早くこれを渡して戻らないと』と焦りつつ、ミッチェル子爵へ向き直った。


「魔術師様、これを……」


「あのさ────そろそろ、その『魔術師様』って呼び方やめない……?」


 控えめにこちらを見つめ、ミッチェル子爵はキュッと唇に力を入れる。

と同時に、忙しなく指先を動かした。


「えっと、理由をお聞きしてもいいですか?」


「えっ?理由……?」


 驚いたように目を見開き、ミッチェル子爵は困惑を露わにした。

かと思えば、弱々しく私の袖口を掴む。


「り、理由がないとダメなの……?僕のこと、名前で呼んでくれない……?」


「いえ、そんなことはありませんよ。ただ、『何でかな?』と思って」


 『単純に疑問だったんです』と弁解すると、ミッチェル子爵は見るからにホッとした。


「拒絶されたかと思った……」


 僅かに表情を和らげながらそう呟き、ミッチェル子爵は袖口じゃなくてしっかり手を掴む。

安心して遠慮がなくなったのか、力も少し強くなった。


「そうだよね……君が僕を拒絶する訳ないよね……ふふっ」


「み、ミッチェルさんが笑っている……」


 『基本ずっと真顔なのに……』と言い、アランくんはあんぐりと口を開けた。

見てはいけないものを見てしまったような顔つきで固まり、彼は黙り込む。

魂が抜けている状態とも言うべきアランくんの様子に、私は小さく首を傾げた。


「魔術師様だって、笑う時は笑うと思いますけど」


 『そんなに珍しいもの?』と困惑しつつ、私はミッチェル子爵へ視線を移す。

すると、拗ねたように頬を膨らませる彼の姿が目に入った。


「どうして、アランの方ばっかり……今は僕と話しているのに……しかも、また『魔術師様』って……」


「すみません。わざとではないんです。それで、結局どうして呼び方を変えたいんですか?」


 逸れてしまった話を元に戻し、私はアメジストの瞳をじっと見つめ返した。

その途端、ミッチェル子爵の機嫌が少し良くなる。

『今はちゃんと僕のことを見ているね』と呟き、スッと目を細めた。


「別に大した理由じゃないよ。ただ、君に名前で呼んでほしかっただけ。『魔術師』は僕の肩書きで、僕自身を表す単語じゃないからさ」


 『距離を感じる』と胸の内を明かすミッチェル子爵に、私は相槌を打つ。


「なるほど。理解しました。じゃあ、これからはミッチェル子爵とお呼びしま……」


「ディラン」


 『お呼びしますね』と続ける筈だった言葉を遮り、ミッチェル子爵はギュッと手を握り締めた。

ねだるような……懇願するような目を向けてくる彼の前で、私はパチパチと瞬きを繰り返す。


「えっ?いや、さすがに下のお名前で呼ぶのは恐れ多……」


「ディラン」


 またしても食い気味でそう答える彼は、掴んだままの手をそっと持ち上げた。

かと思えば、自身の頬にピッタリくっつける。


「ディラン以外、認めない」


 スリスリと私の手に擦り寄り、ミッチェル子爵は子供のようなワガママを振りかざした。

駄々っ子のような態度を取る彼の前で、私は暫し考え込む。


「……あの、貴族はかなり親しい間柄じゃないと下の名前で呼び合わないと聞いたのですが、大丈夫ですか?」


「大丈夫。全然問題ない」


「周りから、『平民と付き合っている』なんて誤解を受けても?」


「うん、別にいいよ。周りの目なんて、気にしていないし……心底どうでもいい。あぁ、でも────」


 そこで一度言葉を切ると、ミッチェル子爵はいきなり顔を近づけてきた。


「────君が気にするなら、今すぐ爵位を返上して僕も平民になるよ」


 『そしたら、貴族のルールなんて関係ないだろう?』と言い、ミッチェル子爵はゆるりと口角を上げた。

一目で本気だと分かる目の据わりように、私は焦りを覚える。


「それはダメです!せっかく、努力して手に入れたものなんですから!それに────爵位がないと、アランくんを完璧に守り切れません!」


 未だに放心状態の白髪の少年を指さし、私は反対した。

すると、ミッチェル子爵は僅かに目を見開く。


「あぁ……そういえば、そうだったね。まあ、大丈夫だよ。いざという時は実家に頼ればいいし」


 『無問題』と言い切り、ミッチェル子爵はゆっくりと身を起こした。

と同時に、腕を組む。


「さすがに公爵家・・・がバックにつけば、誰も手出し出来ないでしょ」


「おまっ……はぁ!?」


 サラッととんでもない事実を暴露され、アランくんは堪らず声を上げた。

『いや、公爵令息だったのかよ!?』と驚きながら仰け反り、目を白黒させる。

今にも失神しそうな彼を前に、ミッチェル子爵はコテリと首を傾げた。


「あれ?言ってなかったっけ?」


「言ってねぇ……!完っ全に初耳だわ!」


 『てか、アンタ基本無口じゃん!』と叫びつつ、アランくんは胸元を握り締めた。

激しく打つ鼓動を宥めようと、必死なのだろう。

『想像以上の大物だった……』と項垂れる彼を他所に、ミッチェル子爵はこちらへ向き直る。


「まあ、とにかくアランの後ろ盾のことなら問題ないから君の意見を聞かせて」


「そうですね……ご迷惑にならないなら、爵位は返上せずに『ディラン様』とお呼びしたいです」


 まだ恐れ多い感情はあるものの、ここまでの覚悟を見せられたら断れず……私はそう返事した。

すると、彼は花が綻ぶような笑みを浮かべる。


「本当?嬉しい……でも、『様』は要らないかな。普通に呼び捨てで呼んでほしい」


「う〜ん……それはさすがにちょっと難しいですね」


「えっ?何で?僕のこと、嫌い?」


 先程までの笑顔が嘘のように消え去り、彼は悲壮感を漂わせる。

ショックを隠し切れない様子で半泣きになる彼の前で、私はふわりと柔らかく微笑んだ。


「いえ、大好きですよ。心の底から、貴方のことを尊敬していますので」


 素直な気持ちを口にすると、彼は目を剥いて固まる。

涙もすっかり引っ込んだようで、しばらく放心していた。

かと思えば、ゆるゆると頬を緩める。


「大好き……尊敬……えへへ」


 『嬉しく堪らない』といった様子でこちらを見つめる彼に、私はスッと目を細めた。


「ただ、その分恐れ多いんです。私はまだまだ未熟で、貴方を呼び捨て出来るほどの器じゃないので」


「そんなことはないと思うけど……まあ、分かったよ。今は『ディラン様』で我慢する」


「はい、ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げ、私はすっかり機嫌の良くなったディラン様を見据えた。

と同時に、ハッとする。


「あっ、そうだ!これ、団長よりお預かりした資料です!」


「定期報告のやつ?」


「はい!」


 コクリと頷いて書類を手渡すと、ディラン様はその場でざっと目を通す。


「ふ〜ん?ウチの元弟子達は、まだだんまりを貫いているんだ」

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