第三幕 『初代の操り人形』

 大火たいか、という単語を聞き、千景は息を呑む。


(過去の火災はアーティファクトのせいだったというの?)


 言葉を失った千景に配慮してか、青兎は一段と優しい声で告げる。


「当然、僕たちの祖父である『赤月』『黄蝶』『緑埜』『青兎』も政府に捕まったんだけど、拘留中にアーティファクトの存在が立証されてね。しかもただの三流泥棒にアーティファクトの悪意を見抜き、まじないの効果に対抗できる体質があることが証明されたんだ」


 彼は困ったように肩をすくめる。


「四人に備わっていれば、当然『白藤』も持ち合わせている可能性があるだろうということで、政府の役人どもは少しでも手駒を増やすために白藤の子孫を探したが、見つからなかった。だから残った四人に子孫を増やすよういろいろと支援をしてくれたけど、特別な体質を持つ人は、生まれた子のうち一人ずつしか現れなかったから、二代目、三代目と世襲制になっているわけ」


 彼は飄々と言ってのけるが、千景は両手で顔を覆った。


贖罪しょくざいは……犠牲や代償を捧げて罪を償う意味があるわ)


 白浪一族とは、悲劇の貧乏くじを引かされ、逃げることもできずに、人を救うために行動しているというのか。


(みなさまがあえて贖罪という言葉を使うのは、皮肉が込められているからなのね)


 彼らの気苦労や困難を推し量ることができない。いや、それを想像すること自体がおこがましいのかもしれない。だが、胸いっぱいに悔しさと悲しさと歯がゆさが込み上げてきて、じわりと涙がにじむ。


 青兎は見て見ぬふりをしているのか、ひとりごとのように呟く。


「だからかな、初代は放火犯として処刑された頭領の汚名を晴らすために仲間意識が強かったけど、西洋文化に染まっていく帝都のことを嫌っていたし、逆に二代目は親のしりぬぐいをさせられている感覚が強くてね。協調性がなくて頭領を決めずに個々で活動していたけど、他国から入って来る新しい技術をどんどん自分たちのものにした」


 千景は自身のハンカチで目元をぬぐったあと、声を絞り出す。


「三代目である、みなさまはどうなのですか?」


「僕たちは生まれたときからこの生活が当たり前だったから、ある程度は家業として割り切っているんじゃないかな。でも赤月だけは違う」


「え?」


「彼は初代『赤月』から『白藤』の再来になれると期待され、初代たちの心意気を叩き込まれている。昔は無口でおとなしい子だったのにね、いつのまにか溌剌とした子になっていたよ」


 青兎は目を伏せてから「だから二代目からは、三代目『赤月』は初代の操り人形と言われているし」と告げる。


「操り人形……」


 あの掴みどころのない性格は、頭領の『白藤』を演じているからなのか。


 確かに彼は千景と初めて出会ったときに『問われて名乗るもおこがましいが』という言葉を使ったが……白藤を真似ていたから出た言葉ではないと千景は思う。


「ねえ、千景ちゃん。君をこんなことに巻き込んだ赤月のことを恨んでいる?」


 青兎と視線が交差する。千景はいま一度、ハンカチで目元をぬぐってから首を横に振る。


「いいえ、ちっとも」


 彼らのことを知らないままでいるよりもずっとよかった。


 千景が目元に力を込めて口角を上げると、青兎は表情を和ませる。


「そっか。千景ちゃんは清々しく笑える子なんだね。うん、やっぱりいいね」


 そういって彼は立ち上がると、千景の前で跪く。


「僕の『青兎』はね、任侠に身を染めて悪逆を繰り返している南郷力丸なんごうりきまるになぞられているんだ」


 青兎はにっこりと目を細めるが、笑みに無邪気さと残虐性が混じっているのは気のせいだろうか。


「僕が盗みをするのは快楽のためだけど……これからも仲良くしてね、千景ちゃん」


 ぞわり、と背筋が凍る。千景は口元を引きつらせながら「こ、こちらこそ」と頷いた。



◆◆◆◆◇


 千景はその日の夜、寝巻として用意された浴衣と羽織を着て、ホテルの居間の窓際に立つ。


(もしかして青兎さまには気を許しすぎないほうがよかったの?)


 千景は青兎の態度を思い出して身震いしつつも、カーテンから外の様子をうかがう。外には美しい庭園が広がっているが、いまは真っ黒な帳で覆われている。


(みなさま、今日はホテルに戻らないのかしら)


 夕食は東雲京介の恰好をした青兎と一緒に、ホテル内のレストランで取った。


 給仕たちが気づかない程度に東雲京介の顔の造形を寄せていて、青兎は黄蝶に次ぐ変装術を持ち合わせているのかもしれない。


(うーん。青兎さまの怪しげな笑みを気にしないために食事に集中していたら、思いがけずビーフシチューの作り方を知りたくなってしまったわ)


 いままで和食しか作ったことがなかったため、日々の食事で提供されるバターピラフやオムレツなどといった洋食の作り方が気になって仕方がない。


(グラッセといわれる人参の付け合わせだって、煮物やお漬物とまったく違うもの。それに食後のシャーベットという檸檬を使った氷菓もさっぱりしていて美味しかったわ)


 和食の調理方法は和冴に口酸っぱく注意されてきていたため、作るたびに彼の言いつけを思い出し、料理を作ることが苦痛に感じていた。


 しかし白浪一族の屋敷に来てからは違った。みな「美味しい」「もっと食べたい」と絶賛してくれるし、緑埜にいたっては千景の料理の腕前を盗もうと、真摯に作り方を聞いてくる。料理をつくっていてやりがいがあった。


(わたくしって、案外料理が好きだったのね)


 侑希子を守ることができたら、地方に出て、料理に携わる仕事に就くのもいいかもしれない。


「おや、ずいぶんと機嫌がいいですね」


「!」


 勢いよく振り返ると、運転手姿の緑埜が立っていた。心なしか、悪戯が成功した子どものように口角が上がっている。


 存在感の薄い千景に対する意趣返しなのだろうか。


「そうでしょうか?」


 千景がそっけなく小首を傾げると、緑埜は胸を撫でおろす。


「てっきり青兎になにか言われて気落ちしていると思っていましたから。あいつは荒事に染まりすぎて、問題をぐちゃぐちゃに混ぜてからひとつに成形しようとする癖がありますからね。引っ掻き回されてなくてよかったです」


「……引っ掻き回されてはいませんが、おっしゃっている意味がわかる気がします」


 苦笑いをしてから、千景は緑埜が左手で分厚い本を持っていることに気づく。


「これから読まれるのですか?」


「暇つぶしに読みはじめたら止まらなくて、少しずつ読み進めているのですよ」


 よく見ると、表紙には英語とは違った横文字が書かれていた。


「もしかして、隠れ家の書斎にあった外国語の本は緑埜さまのものですか?」


「ええ。千景さんもこういった本に興味がありますか?」


「そう、ですね」


 女学校で英語をならっていたため、興味がないわけではない。しかし、いまは世間話よりももっとしたい話があった。


 どうやって切り出そうか機会を見計らっていると、緑埜が凛々しい眉を平行にし、一重瞼の目を細めた。


「嘘つき。本題は別にあるのでしょう?」


「うっ」


 千景は顔をしかめてから、肩の力を脱力させ、意を決してから顔を上げる。


「単刀直入にお聞きします。『赤月』と『緑埜』の関係性を教えてください」


「おっと、これは青兎の差し金ですね」


 彼の言う通り、青兎からは『次は緑埜のもとへ行ってごらん』と助言を得ていた。


「もちろんただで話してもらおうとは思っていません」


 千景は懐から一枚の紙を取り出す。


「それは?」


「緒方家秘蔵の味噌の配合や糠漬けの配合を記しています。ほかにも味付けにかんする情報をいくつか用意しています。これさえあればあなたは一人前の料理人です」


 大袈裟に言い過ぎただろうか。だが、この情報は千景の努力のたまものでもある。軽々しいものではない。


 緑埜は本を食卓子の上に置き、千景に椅子に座るよう目線で促す。


「いいでしょう。交渉成立です」


 千景が椅子に腰かけると、対面に座った緑埜は目を伏せる。


「『緑埜』は、必ず『赤月』に仕える運命にあります。どう抗おうとしても、赤月に恩義を感じ、彼を支えようとしてしまうのです」


 彼は自分に言い聞かせるように呟いた。


「私はね、生まれながらにして悪党である自分が嫌で嫌で仕方なくて、稽古もさぼってばかりだったのですよ。いま思うと反抗期だったのでしょうね。運命から逃れようとして、一度、役人になったのです」


「……ん?」


 一般人から見れば役人になることは立派な行為では? と思ったが、千景はあえて口に出さなかった。


「順調に出世しましたが、あるとき同僚がアーティファクトに取り憑かれてしまいましてね。当時の私はなにを驕っていたのか、自分一人でなんとかできると思って、彼からアーティファクトを引き離そうとしたのですが……結果的になにもできず、右手に大怪我を負ってしまいました」


「――」


 緑埜は右腕の袖をまくる。肘の近くに人差し指ほどの線状の傷跡が残っていた。


「困り果てた私の前に現れたのが、まだ大学生だった赤月さまでした。あどけなさを残した青年になにができるのかと思ったのですが、彼は同僚の心を見事解き放ち、アーティファクトを回収したのです。同時にこのとき私は悟りました。白浪一族からは逃れられないと。それが運命であると」


 そういってから、彼は屈託のない笑みを浮かべる。


「ならばとことん向き合って楽しむしかないでしょう」


「!」


 あまりにも晴れ晴れとした笑顔だったため、千景は虚を突かれたように目を見開いた。


「私は怪我を理由に仕事を辞め、赤月さまを支えると決めました。役人の名を騙ってでも盗みをする忠信利平ただのぶりへいの意志を、そして『緑埜』の役割を引き継いだのです」


「……そうでしたか」


 誰もが葛藤を抱きながらも、答えを出して前に進んでいる。


(わたくしも、そうなりたい)


 決意を胸に込めたとき、緑埜は静かに問う。


「千景さん、もし私たちから許可を得ることができたとして、その先はどうするおつもりですか?」


「……それは」


 釘をさすような言葉に、千景は口を閉ざした。


「ここまで深入りすれば、政府があなたを見過ごすはずがない。お友だちを助けるという範疇なんてとっくに超えています」


「……」


「あなたは赤月さまに恩義を感じ、あの方のそばにいるために、いま頑張っているのではありませんか?」


「――どうして、わかったのですか?」


 千景は否定することができなかった。緑埜は目元を緩める。


「私がひとつ言えるとしたら、あなたは縁に導かれてここにいる。留まり続けるのも縁、離れることもまた縁と言えましょう。まだ緒方家に戻れます。緒方和冴にも事情があることに、もうお気づきでしょう?」


「……ええ」


 千景は目を閉じて、唇を引き結ぶ。


 『気味の悪い子』『愚図』『やり直し』という彼の言葉が脳裏を廻る。それなのに、彼の表情が思い出せない。いや、口元ばかり見て、表情を見ようとはしなかった。


(あのときの和冴さまはどんなお顔をしていたのかしら)


 和冴と一緒にいると息苦しかったはずなのに、もう一度だけ会って話したい。

 そう思えるようになったのは、間違いなく赤月のおかげだ。


「緑埜さまは相手の本音を引き出すのがお上手なのですね。おかげで自分の考えが整理できました」


 千景は背筋を伸ばしてから、口角を上げる。


「いまのわたくしは目の前のことで手一杯です。だから先のことは、そのときが来たら向き合います」


「おや、問題を先延ばしにするおつもりで?」


「ええそうです。残念ながら、わたくしにできることは数少ないですから。一人ではどうしようもならないのです」


 緑埜の反応を確かめるように、一言一句はっきり伝える。


 一人ではどうしようもならない。でも白浪一族の力を借りることができれば、話は別だ。


「緑埜さま、どうかわたくしに賭けてくださいませんか?」


「賭け、ですか?」

「はい。わたくしの将来に」


 千景と緑埜の視線が交差する。


「将来、ねえ。見通しのない将来に、オレは賭ける気はしないけど」


 ぶっきらぼうに告げられた声に、千景は目を見張る。目の前にいた緑埜の口は閉ざされたままだった。


 声が聞こえた方向へ顔を向けると、黒いワンピース姿の黄蝶が立っていた。


「馬鹿だな、お前。オレたちを信用しないほうが身のためなのに」


 声色はいつもの鈴が転がるような声ではなく、斜にかまえたような低い声だった。


 黄蝶が色素の薄い髪を頭上に持ち上げると、はらりとかつらが床に落ちた。彼はワンピースの袖で顔をぬぐい、そのままワンピースを脱ぎ捨てる。


 そこに立っていたのは、あどけなさを残した端正な顔立ちに、色素の薄い茶色の短髪に、引き締まった上半身と体の輪郭に沿うようにぴったりとした短いズボンを履いた男性だった。


 彼は細い眉を山なりにして、口角を上げている。


「……っ!」


 千景は椅子に座ったまますぐに顔を逸らすが、ワンピースから鍛え上げられた上半身が出てきた光景が忘れられない。


「黄蝶、はしたないですよ」


 緑埜は席から立ち上がると、どこからか持ってきた着替えを黄蝶に投げつける。


「はしたなくて結構。聞き分けのない女にそろそろわからせないと、オレの気が済まないんだよ」


 黄蝶は白いシャツにこげ茶色のズボンとサスペンダーという恰好になり、ゆったりとした足取りで千景に近付き、あろうことか千景の肩に腕を回す。


「ちーかげ、ちょっとお兄さんとお話しをしようか」


 そういって黄蝶は白い歯を見せた。

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