誰かの異世界冒険録 真なるものを求めて

あの色に

第1話 生まれ落ちたもの


 気がついた時、俺は身に覚えのない眠りからゆっくりと覚醒していった。

 耳鳴りのようなささやき声のような、不思議な雑音の不快感のせいで否応もなく目が覚めていく。


 意識すれば奇妙なほど深い眠りから目覚めたような倦怠感があり、まるで病み上がりのように体がギクシャクしてわずらわしい。

 雑音の正体を探ろうと少し身じろぎをする。


 ただ、この先、多くの疑問により自分の体調を気にしている余裕はなくなっていった。




 まず最初に抱いた違和感は目の前の光景からだ。


 ここは明らかに自分の部屋ではない。


 そこには梁がむき出しで板張りの天井があり、田舎でも中々見ないようなむき出しの土壁が物珍し

い。

 よく知らなくともこの家がとても建築法なんかをしっかり守っているとは思わないだろう。

 端的に言えば明らかに古臭いボロ屋だ。


(ここはどこだ)



 そう思ったきり、知らない部屋にいることに思考が止まるも、不意に涼やかな風を感じてそちらに首を傾げる。

 視線の先には少しだけ開かれた小窓があって、何とか外の様子が覗けるようだった。


 何とかベッドから身を起こして窓に寄りかかり、周囲を見渡す。

 家のすぐ側には小さな庭が見え、道を挟んだ先におそらくこの家と同じ造りだろう茅葺きっぽい家が庭や倉庫とともに密集して立ち並んでいる。


 生活の跡はあるものの、いまは人の気配は感じられない。

 空を見ればまだ日が高く、おそらく日中の仕事に出払っているか、日差しを避けて屋内にいるのだろうか。


 その家々を割って通る一本の道はたぶん車2台分位の道幅で広く取られており、自動車ではないだろう細い形の轍がずっと伸びていた。

 その先には穏やかな丘があり、その奥に遠くの景色に緑豊かな森が見え、その更に奥に高く険しい山々がある。


 この家はどうやら他の家より小高い丘にあり、道の曲がり角に建っているようで、ちょうど何とかここら一帯を望めた。



 そこで、遠くの山の方のはるか上空に鳥というには大きすぎる影を見た。


 あまりよく見えないものの猛禽類のように孤高を謳歌して空飛ぶ生物がいて、目を凝らして妙に伸びた尻尾に気づいた瞬間、それは空想上の生き物であるはずのドラゴンが雄大に羽ばたいているのだと分かった。

 決して届くはずもない距離にあっても尚強く惹かれる、圧倒的な存在感に息を呑む。


 少しの時間、目を離せずに魅入っていた。

 自分にとって今までに経験したことのない程に熱中した瞬間だったのに、ドラゴンはこちらを気にする様子もなく、ただ山の向こう側へ行って消え去ってしまった。


 ドラゴンが去り、それがいなくなればただの自然豊かな村の風景に戻ってしまっていた。




 理解が及ばずにまた一通り外を見回し、直感的にここがいかにもゲームにありそうな村であるという感想を抱く。


 あり得ないほどに自然豊かすぎて中世か何かだとしか言えない田舎の風景に、空想上の生物であるはずのドラゴンが飛んでいる。

 異常な光景を前に、感動しながらも呆気にとられるしかなかった。





「ここはどこだ?」


 この現実に圧倒されて繰り返される思考の中、疑問をはっきりと意識するためか、今度は自然と声が出ていた。


 動揺する自分の口から、か細い少年のような声が発せられる。

 それは自分が想像していた声ではなく、そこでようやく自分の体のあちこちがおかしいことに気がついた。


 荒い、素材そのままの簡素な布の服を着込み、そこから伸びる腕は細く小さな少年のもので、目の端に掛かる髪の色は黒髪ではなく茶髪。

 当然染めた覚えもないが、そもそも小さくなるなんてことの方が現実的にあり得ない。

 少年の体格で茶髪、そのどこを見ても子供の頃の自分の姿と一致しない。

 明らかに中学生位の知らない少年の体になっている。

 まるっきり別人の体だった。


 次第にパニック気味に髪を引っ張ったり、腕や脚をまくってつねってみたりと必死になって自分の姿を確認するが、調べれば調べるほどに自分ではないただの子供だということしかわからない。

 何もわからないまま、体の検分が終わる。


 しかも、ふと気がつけば、少し動いていただけなのにどっと疲れて、寝床にうなだれ込む。

 はじめに聞こえていた耳鳴りや雑音がひどくなっており、更にチカチカと視界に点滅するものが出て目眩がするようでもあった。

 いくら寝起きの子供といってもこんなに体力がないのはおかしいが、いま見た限り特に病気でもなさそうだったので病み上がりか何かだとしか判断できそうにない。





 無駄に動き回ったことで疲れ、またベッドで横になっていた。

 体は疲労で動く気がしないものの、考えることはいくらでもある。


 ここはどこか、自分に何が起きたか、なぜ直前の記憶がないか、何が原因か等、考えれば考えるほどに疑問と不安が浮かんでは消える。



 そこで、ひらめきのように頭によぎる考えが一つあった。


「もしかして、異世界か……」

憑依か転生か。


 一時期の趣味だったが、ネット小説を読み漁った時期のある自分にとってはそれが最も当てはまる状況に思えて仕方なくなっていく。

 見知らぬ体に合わせ、ドラゴンと中世ヨーロッパ風。

 おかしな考えとは思うものの、それ以上におかしな状況にただ納得感だけが残った。


 であれば、まずはここはどこなのか。


 半ば放心するようにゆったりと思案に耽っていると、家の扉の方でガタリと物音がし、そして何者か考える間もなくゆっくりと扉が開かれていく。




 現れたのは小柄な成人女性。

 心労が祟っているのかくたびれた雰囲気を纏っていて、腕には桶となにかの道具がまとめて抱えられている。


 ただ、今は驚愕した様子でその目と口が大きく開かれた。


「やっと目が覚めたのね、ユーサっ!?」


 まったく知らない名前を呼ぶ女性。

俺の名前はユーサではない。しかし、彼女は俺がユーサだと確信している。

 つまり、心苦しいが、これからの為に聞かなければならないことは決まっていた。


「……あなたは誰ですか?」

 その声色は自分が意識したものよりも平坦なものだった。


 自分でも聞き覚えのない少年の声で、自分の方が間違っているんじゃないかと罪悪感を覚える。

 そして、彼女は少し前まで自分がそうだったのと同じように茫然となり、疲れ切ったようにその場に伏せた。

 そのまま、くぐもった声で「……お母さんだよ」と言うが聞き取れて耳に残った。


 推定の異世界転生、あるいは憑依。

 それは自分が娯楽として読み物で感じていたよりも前途が多難の予感があった。





 その後、行われたのはただ話し合うことだけ。


 しかし、それは最大限相手の様子に注意を払いながら慎重に行われ、話し終えた頃には外は真っ暗闇の夜になっていた。


 俺は窓を閉め、部屋を区切るように引かれた妙な柄のカーテンを見ながら、ベッドの上のままで黙って考え込んでいた。

 カーテンの向こうでは、彼女が料理をしている気配がある。

 軽快な手さばきだろう作業の音を聞いていると、そのいつも通りですよという雰囲気から緩やかな時間の流れを感じるようで、少しでも落ち着けるようにとする彼女の気遣いがとてもありがたかった。



 それを横目にさっきの話について考える。


 あの後すぐに本題とは行かずに、たっぷりと時間がかかったものの何とか互いに気を持ち直し、少しずつだが彼女の口から話を聞いていくことでユーサの身の上は理解できた。

 お陰で自分が持っていた疑問はほとんどが取り除かれていた。



 まず、俺が入ってしまった体の持ち主について軽くまとめると、名前はユーサといい、今は14才になるらしいが、大体一年程前に生まれつきの病が悪化してからずっと眠り続けていた少年だ。


 この眠り続ける奇病だが、どこの医者に見せても「飲まず食わずでも眠っているだけ。理由は分からないが精霊がなにかしているんだろう」と言われるだけであった。

 唯一、死にはしないのは不幸中の幸いだ、ということが分かっただけマシだったそうだ。


 眠る前から持っていた病、というか体質も特に変なものではなかったそうだ。

 病名ではないが精霊憑きと呼ばれ、生まれながら精霊という自然を司る存在に餌として好かれやすく、その生命力を奪われ過ぎることで不調になる人がいるのだという。

 人によっては少し精霊に選ばれやすくなるだけの体質の一つでしかない。


 そして、ユーサの生命力は特に精霊に好まれながらも、量が少なめという体質で、本来は病的ではないはずのちょっとした体質のめぐり合わせが悪く、それで病気がちにということだった。


 それでも、不幸なだけの少年というわけでもなく、一年ほど前に急に大量の精霊が集まるようになったせいで眠ってしまうユーサなのだが、その前までは体は弱いものの精霊術の素養からそれなりに期待されながら普通に過ごしていた。

 特に、精霊術師になるために色々と勉強中だったのだそうだ。


 その証拠にと、町で取り寄せたという精霊術の分厚い教本ときれいな石のついた杖がベッドの側に添えるように置かれていたのを紹介された。

 ユーサについての情報はこれ位。


 生まれつきの体質で病弱だが、それを活かそうと努力する少年で、その途中で病気が悪化して長い眠りについていたということ。

 はっきりいって、いまの自分がどうとか、元のユーサの意識はどうとか、現状身に起きていることの説明にはならなかったが、それはいま誰かに聞いて解決するほど簡単な問題でないだろう。


 次に彼女のことで、名前はリューサといい、ユーサの母親で、奇病で眠り続けるユーサの看病をしていた。

 今は町にいて家にいないがきちんと父親もおり、父の名前はガルロ、なんと冒険者であるという。


 冒険者とは、イメージ通りのあの冒険者だった。

 様々な土地を巡っては魔物と戦ったり素材を探したり、あるいはその地域で力仕事や雑用に従事していたり、その生活には上から下まで大きな差がある腕自慢達の集まり。

 創作物としてだが、なんとも馴染み深い職業に感じていた。

 しかも、元々は母も冒険者で、二人は冒険者同士であり、ユーサという子を授かったことで定住先を求め、長い間町の方に滞在していたが今の場所に流れ着いたのだそうだ。


 そうして引っ越してきたこの場所はキイダというそれなりに大きな村で、冒険者としてよく依頼を受けて付き合いがあったことで空き家が出来た際に融通してもらった。

 キイダ村は近くに良い素材が得られる森があり、冒険者が森に向かう為の拠点としてそれなりに賑わっており、両親はそれで訪れることが多かったという。


 また、キイダ村から半日の場所に前に拠点にしていた町のヘメロがあり、町から村、村から森へと冒険者が渡るので、冒険者にとっては重要な宿場ということだった。




 そこまでが今聞くことが出来た話になる。

 他に他愛のない日常の話もいくつかあったが、これら全てはユーサが知っているはずの思い出として語られていた。


 ユーサの母親という女性は、一つ一つ話をする度に覚えているか、なにか分からないかと確認をして、ユーサがどうなっているのかの手がかりを探した。

 俺も必死に話しを聞くが何も身に覚えがなく、ほとんどは首を振ったり、わからないということしか出来なかった。


 彼女はユーサの為に色々と話題を出し尽くし、もう思いつくような話はなくなる頃には、また俺も過剰な情報量に頭がクラクラとしていた。


 次第に話す内容がなくなって二人で黙り込んでしまうが、彼女はスッと立ちあがると「ご飯を食べましょう。大丈夫よ、今はまだ休みましょうね」といって一度微笑み、彼女がこちらを気遣うようにしてカーテンを閉めてから奥の台所の方へと向かっていくのを見送った。



 彼女にとっては、子供が一年もの間起きることなく、ようやく目覚めても記憶を失っていたわけで、その心情は計り知れない。

 本当に優しい女性なのだろう。

 その気丈な様子に、少しだけ心が苦しくなった。




 俺は、さっきの話し合いでは、彼女に何もわからないとしか言うことが出来なかった。

 しかし本当は、ひどい妄想のようで人に話すことが出来ないだけで、実際は現代人だと記憶がある。

 自分にとってはこの状況を推測するだけの情報は出ていた。


 特に最初の疑問である、ここが異世界ではないかという予想はおそらく正しいと確信していた。


 今の自分に起きたことは、ガルロとリューサという冒険者夫婦にはユーサという息子がおり、病弱少年だったが運悪く悪化して今まで眠りについていて、やっと起きたと思えばその人格は無くなっていて、ユーサの中には俺がいたということか。

 意味不明だがそれが事実だ。



 とはいえ、よく考えれば今の俺にとってはポジティブに捉えられることもあった。

 それは言語だ。

 この間に俺は見知らぬ土地の言葉をきちんと聞き取り、受け答えることが出来ている。

 言葉は明らかに日本語でも英語でもなかったが、まるで体の方が覚えているかのように自然と会話をしている。

 たぶん、俺の現代人だったという記憶があるように、元のユーサの記憶というのもある程度残っているんだろう。


 しかしそうすると、未だにわからないこともあり、更に新しい疑問にも気がついていた。


 残った疑問はなぜ俺は異世界に渡ってしまったのかだが、これは今は知りようがなさそうだ。


 そして、新しい疑問とは、現代にいた俺はどういう人生を歩んでいたのかということだった。

 彼女と話しながら自分と比較する内、自分の記憶にも欠損があると気づかされた。


 何となく若い成人男性で、普通の生活をしていたんだろうと記憶している。

 だがしかし、肝心の自分の名前や家族構成、住んでいた場所や就いていた仕事等の個人的な情報がまるですっぽり抜け落ちている。

 一般常識はある、現代人の感性もあり、自分が何を好み、苦手としているかの経験も確かに覚えている。

 なのに、記憶の中で、自分を証明するものが何もかもなくなっていた。


 疑問が湧いてくるのを止められない。

 考えれば考える程に分からないことが増えていき、何だかこの思考の行く先も分かること、分からないことで堂々巡りをしているような気分になっていた。



「ユーサ、ご飯できたよ」


 孤独感のせいだろうか、不安に駆られ、気分を悪くしていた時に閉じられたカーテンの向こうから声をかけられる。


 彼女はこちらの返事を待たずにカーテンが開け、湯気の経つ木の椀を乗せた盆を持って入ってくる。


「一年も寝てたんだからお腹も空いてるでしょう? 急には食べられないだろうからお粥だよ」


 それは一度も食べたことはなかったものの、見た目や香りからミルク粥だろうと分かった。

 見た目は薄い茶色で、湯気を伝って甘い香りが肺いっぱいに広がる。


 いざ受け取ろうとしたその時、自分では認識していなかった疲れがあったようでベッドにふらふらと倒れ込んでしまった。

 食事を欲して体を起こそうとするが、どうやら体の方は限界を迎えていたようで思うように動けない。


「疲れてたの。どうする? 食べられる?」


 少し心配そうな母親の声に応えるのも難しく、何とか頷きで返す。

 彼女がこちらを起こして支え、それでようやく食事にありつく事ができた。


 なんの変哲もない想像通りの味がして、それが本当に美味しかった。

 あまりの美味しさに涙が溢れる。

 そして彼女は時たま、少しずつでいいから、急がなくていいからと食べ終わるまで声をかける。


 気づけば食事を終えていた。

 そうして満足したことで、当然のように眠気を感じて横になる。

 この眠気には初めの異常な感じはなく、きっとただ眠たくなっただけだろうと思い安心できた。

 そのまま強い眠気に誘われてゆく間で彼女の表情が少しだけ曇ったのを見て、何とか一言だけおやすみとつぶやく。


 俺は今日、急に異世界に連れ出されたばかりで不安でたまらなかったはずなのに、今は完全に安心しきって眠ろうとしている。

 なんて幸運だろうか、こんな状況でも頼れる人がいることがなによりも心強かった。

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