第2話 神の悪戯

彼が寝室に突然現れるようになって5日。


私は一計を案じた。

彼がどこからやってくるのかを突き止めれば、彼がいなくなるのを阻止できるのではないか。

そう思った私は、早々と仕事を終わらせてベッドで彼がやってくるのを待った。


ヘッドボードに身体を預け足を伸ばして彼がやってくるのを待っていると、次第に瞼が重くなってくる。

なんてことだ、仕事の疲れがこんな時に現れたのか……。


一瞬だけ目を瞑ったのを見計らったように、私の身体に重みを感じた。

重みと言っても羽のように軽いのだが、明らかに今までなかったものだ。

慌てて目を開けると、そこには彼の姿があった。


どこからやってくるのかは結局わからなかったが、彼がどこからか忍び込んでいるのではないということだけはわかった。


彼が眠りについたその時どこからかやってきて、そして彼が目覚めるときまたその場に帰っていくのだと理解した。

すなわち、私と過ごしているときの彼は魂が眠っていて、彼自身もここにきていることに気づいていないのではないかということだ。


私が彼と過ごせるのは彼が眠っている時だけ……。


それがわかって悲しくなった。

彼の美しい瞳に私の姿を映してもらうことは叶わないのだ。


しかし、彼と過ごせるこの時間を手放すことはもうできない。

私は彼と過ごすこのひとときが毎日の糧になってしまっているのだから。


であれば、一生このままでもいい。

彼との時間を過ごせるなら。

だから、私から彼を取り上げないでくれ。


腕の中で気持ちよさそうに眠る彼をみながら、神に願った。



そして、夜明け前。

今日も彼は私の腕の中から忽然と姿を消した。


ああ、彼は今夜も来てくれるだろうか……。


それだけが私の拠り所となっていた。



「ヴィクトルさま。何かご心配なことでもおありなのですか?」


「いや、そんなことはない。どうしてそのように思ったのだ?」


「いえ、ここ数日ヴィクトルさまがため息を吐かれるのをよく拝見しておりましたので、少し気になっておりました」


そうか、無意識のうちにあの彼のことを考えてしまっていたのだな……。


「フレディ、心配かけてすまない。実は今、私の心を強く掴んで離さない者がいるのだ」


「えっ? ヴィクトルさまにそのようなお方が? 一体どちらのお方でございますか?」


「それが……私にもわからないのだ」


「わからない? と仰いますと?」


「彼は夜の間だけ私の寝室に現れる、妖精のような者なのだ」


「夜の間だけ? それは誠でございますか?」


いつも冷静に私の話を聞いてくれるフレディにしては珍しく声を張り上げる。

何か知っているのだろうか?


「ああ、そうだ。いつも突然私のベッドに現れる。そして夜明けを待たずに去っていくのだ。しかも彼はずっと眠り続けたままな」


「なんと……。そのようなことが本当に起こるとは……」


「フレディ、お前は何か知っているのか? 知ってることがあるのなら私に教えてくれ。私はもう彼を手放したくないのだ」


「ヴィクトルさま……そんなにもそのお方のことを想っていらっしゃるのですね」


「ああ。こんな感情は初めてなのだ。お前も知っているだろう? 私が何人なにびとにも心を動かされることなどないと。だが、彼は違う。彼のそばにいて、彼を大切に守ってやりたいのだ」


「ヴィクトルさま……神の悪戯というものをご存知ですか?」


「神の悪戯? それはなんだ?」


フレディから発せられた突拍子もない言葉に私は聞き返すことしかできなかった。


「祖父に話を聞いたことがあります。神は時々生まれるべき場所を間違えてしまうことがあるのだと。生まれ場所を間違えられた者はその場で忌むべき存在として虐げられていくのです。心が傷つきどうしようも我慢ができなくなった時、ようやく生まれるはずの場所へと戻ることができる、そしてそこには必ずそのものを慈しみ守る存在がいるのだと。祖父のただの御伽噺だと思っておりましたがまさかそのようなことが本当に起きようとは……」


「な――っ、とすれば、彼がその神の悪戯によって生まれる場所を間違えられた者だと?」


「確証はございませんが、こちらとあちらとを行ったり来たりを繰り返しているその状態は、そのお方の魂が極限まで行きかけているのではと思います」


「ならば、彼はいつか私の元に?」


「おそらくそうではないかと推測いたします」


そうだとすれば、今まさに彼は己のいる世界で傷つき、辛い思いをしているということなのか……。

あんなにも小さく弱い身体で……。

ひとり惨い仕打ちに耐えながら身体を震わせているのか。


ああ、すぐにでも私の手で癒してやりたい。


今夜も彼が来てくれることを期待して、私は仕事を終わらせる事にした。

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