二 呪い

 これは、カメラに残されていた映像である。


 無影灯の強烈な光に照らされ、眩しさを感じるほどに明るい室内。壁と天井は白く光を乱反射し、床にはこれまた白いタイルが敷き詰められている。

 ステンレスの台の上に、老人が寝かされていた。寝かされて、と言っても、本当に寝ているわけではない。老人は獣のような叫び声をあげ、全身でもがいている。ところどころ擦り切れて汚れている小汚い服を着ていて、その両手足は、台の上に固定された金属の枷によって拘束されていた。

「被験者番号〇〇七は二日前に克死状態で路上にいたところを拘束され、入院した。身元不明、身長一六二センチ。推定八〇代の男性。低体温症と老衰により、多臓器不全に陥ったものとみられる。克死症状は、人、物問わずに視界に入ったものへの破壊衝動。叫び声も止むことがない」

 画面の外から、淡々と老人の様子を語る女性の声が聞こえてくる。

「克死患者の体が完全に切断された場合、部位によりどのような反応を引き起こすかを確認する。右腕部切断開始」

 女性の声を合図にして、ガウン状で薄緑色の手術衣を着た医師がやってきた。両端にハンドルのついたワイヤーソーを握っている。手術衣と同色の髪を覆う帽子とマスクをつけており、さらに目元はゴーグルで覆っているため、顔は見えない。しかし、背が高く逞しい体格をしていることから、男であろうという予測はできる。

 医師は老人の右腕の付け根にワイヤーをかけると、左右のハンドルを素早く交互に引き始めた。

——ギュリギュリギュリ。

 ワイヤーが老人の右腕に食い込むと、形容し難い耳障りな音を立て、服ごと肉と骨を断ち切っていく。鮮血が吹き出し、医師のゴム手袋に包まれた手と手術衣を赤く染める。ステンレスの台を満たした血はタイルの上へ滴り落ち、傾斜に沿って排水溝へと流れていった。

 老人の叫び声は、その間も変わることなく続いている。克死状態による反応ではあるのだが、まるで痛みによる絶叫のようだ。意識のある人間の腕を切断するという、あまりにも凄惨な光景だった。

 腕を貫通し、ワイヤーが抜けてくる。つまり、右腕は完全に切断されたということだ。しかし、老人のもがく動きに合わせて、右腕はなおも動き続けていた。指にも力が入り、何かを引っ掻くような動きしている。

「切断されても、体は動き続けるようね。腕を持ち上げて見せてちょうだい」

 女性の声が指示を出す。

 医師はワイヤーソーを一度置くと、老人の右手首を拘束していた枷を外し、腕を持ち上げた。すると、腕は予想に反し、ダランと重力に従って垂れた。

「先ほどまで、切断しても動いていたわよね? 切り離されてから動くまでに時間制限があるのかしら。それとも……そうね。もう一度、被験者の体に腕の断面を触れさせて」

 指示に従い、医師は再び腕を老人の肩に触れさせる。すると先ほどと同様に、切断されたはずの腕が動き出した。もがく動きのままに、医師の手術衣の胸元を鷲掴んだ。医師は身の危険を感じた様子で、慌てて体を引く。彼を掴んでいた腕も自然と引っ張られることになり、ヌチャリと粘性の音を立てて体から離れた。その途端、腕はまた力を失い、血塗られたタイルの上へと鈍い音を立てて落下する。

 俄には信じられない光景だ。僅かな沈黙のあと、どこか満足そうな女性のため息が聞こえた。

「克死患者の切断された肉体は、本体から離れた場合には通常の物体として動きを止める。しかし、体に触れてさえいれば、本体と連動するように機能するものとみられる——次は、本体と判断される肉体の条件をたしかめる。頭部の切断を開始して」

 淡々と状況を記録する声により、次なる恐ろしい指示が出される。

 実験内容の打ち合わせは予め済んでいたようだ。部屋の中にいる医師は、非情な命令にも動じることなく作業を開始した。床に落ちた腕を拾い、ステンレスの台の上に置き直す。血に塗れたワイヤーソーを握りなおし、老人の頭上へと移動。医師はワイヤーを老人の首にかけた状態で、この映像を記録しているビデオカメラのほうを向いた。正しくは、先ほどから指示をしているカメラの横にいる女性を見たのだろう。アイコンタクトを交わし、小さな頷きのあと、ワイヤーを引きはじめる。

 首から溢れる血飛沫の量は、腕を切断したときとは比にならなかった。噴き出した血が天井まで飛び、滴り、医師の体の前面を赤く染め上げる。

 ワイヤーソーは止まることなく引かれ続けているが、血の勢いがおさまってきたとき、室内に静寂が訪れた。BGMと化していた老人の叫び声が途切れたのだ。それは、ワイヤーが彼の声帯を切断したことを意味していた。

 医師の動きが止まる。切り離された頭部は、台の上でゆっくりと転がった。頭部を失ってなお、老人の体は拘束から逃れようとするかのように、激しくもがき続けている。

「頭部を上げて見せて」

 医師はワイヤーソーを置くと、老人の頭部を持ち上げてこちらへと見せる。目は見開かれ、口も絶叫をしていた形のまま開かれていた。表情は硬直したまま、完全に動きを止めている。人が死ななくなる前の世界であれば通常どおりの、死人のそれであった。観察するまでもなく、どちらが本体であるかは明白だ。

「本体と判断される肉体の条件に、頭部の有無は関係ないと思われる。続いて、胴体の切断を開始」

 台の上に頭部を下ろした医師は、一度画面の中から消えた。次に姿を現したときには、血塗れの両手にチェーンソーを握っている。

 かつて、チェーンソーは帝王切開を素早く行うための医療器具として生み出された。しかし、いま医師が手にしているそれは、医療用のものではない、ただの無骨な工具だ。そもそも、その道具を手にしている医師には、老人を治療する気は毛頭ない。

 医師がチェーンソーの紐を一度強く引き、ブレーキレバーを解除すると、暴力的なエンジン音が響きわたり、刃は形状を視認できなくなるほどの勢いで回転をはじめた。チェーンソーの刃は、躊躇することなく動き続ける老人の体へと向けられる。

 再度、血飛沫が天井まで上がる。先ほどまでの血飛沫は、老人の肉体のはたらきである血圧によるものだった。しかし今回は、チェーンソーの刃が回転する勢いにより、引きちぎられた小さな肉片までをあたりに撒き散らせていた。台の上には、腹部から溢れた内臓が散乱する。

 地獄のような凄惨な光景がしばらく続いてから、チェーンソーのエンジン音が止まった。医師はチェーンソーを床の上へと置くと、ステンレスのトレーを手にした。そこに、台の上に溢れた内臓を集めていく。

 老人の体は完全に二分された。なおも動いているのは下半身ではなく、腕と頭部を失った下半身の方だ。

「重量を測定して」

 部屋の中で作業が続く。

「下半身、一八・一キログラム。頭部、四・八キログラム。右腕部、四・二キログラム。右腕部を除いた上半身、二九・四キログロム。除外した肉片および内臓三・八キログラム」

「ふむ……上半身をさらに半分に切断」

 それからは、老人の体を細切れにしていく無慈悲な作業が続いた。この非人道的な実験によりわかったことは、克死患者の肉体が切断された場合、より重いパーツが本体と判断されるということである。

 本体を半分ずつに切断する作業が続けられても、途中までは上半身が動き続けていた。しかし一定回数をこなすと、いままで沈黙を続けていた下半身が突如として暴れはじめるという、奇妙な現象が発生した。まるで、魂が肉体を乗り換えたようである。

 最終的には大掛かりな粉砕機のようなものまで使用され、それは肉塊と化した。はじめ老人であったものは、ミンチ状の赤黒い塊となった。

 驚くべきは、ミンチ状になってもなお、肉塊は脈動するかのように蠢き続けていることだ。

「被験者番号〇〇七は、他の被験者と合わせ、この状態での経過を観察する。被験者を変えましょう。清掃を入れて」

 女性の声を最後に、画面が暗転する。


 白い室内は、先ほどまでの惨劇が嘘であったかのように清潔感に満ちていた。むしろ無機質すぎて、冷たさを感じるほどだ。

 ステンレスの台の上に寝かされているのは、裸の若い女性だった。綺麗に整えられているものの、彼女の体は、腹部から上半身と下半身に完全に分断されている。先ほどチェーンソーで切断された老人とは違い、その切断面はめちゃくちゃに荒れており、内臓はほとんど除去された後である。切断面の裂傷がまざまざと見えるほどに洗浄がなされており、彼女の全身からは血の気が引いている。肌は白く透き通るようで、まるで趣味の悪い人形のようだ。

 しかし、彼女の瞳は時折瞬きをして、開いた口は調子外れの歌のような、言葉にならない旋律を紡いでいる。彼女がいまなお生きていることは明らかだった。拘束はされていないにもかかわらず、彼女はほとんど体を動かさない。時折、ビクンビクンと上半身が痙攣するように震え、手は何かをなぞるように、ゆっくりと指先が動く程度である。

「被験者番号〇〇八は身長一五八センチ。一七歳の女性。二四日前に駅のホームから身投げし、特急車両に轢かれたことにより、腹部から体を分断され克死状態に陥った。克死症状は常時発音と痙攣のみ。親族が身元確認を拒否したため、記録上は身元不明となっている」

 先ほどと同じ女性の声が、淡々と克死患者の状況を説明していく。この映像を見ながら俺は確信していた。これは”彼女”だ、と。

「克死患者の肉体が、完全に消失した場合の反応を確認する。焼却開始」

 声を合図に、手術衣を着た医師が二人入ってきた。先ほどの医師と同一人物なのか、そうでないのかはわからないが、血に塗れていた体はすっかり綺麗になっている。

 医師の一人が、部屋の奥に設置されていた大きな機器の扉を開けた。機器の中は煤けていて、それが焼却炉であることを明示していた。炉は大きくはあるが、火葬場のように人の体を丸々入れられるほどのサイズはない。医師は、二人がかりで少女の体を炉の中へと入れていく。彼女の体が切断されているのを良いことに、体を重ね合わせ、足なども折り曲げるようにして炉の中へ押し込める。

 焼却炉の扉が閉められる。彼女の姿は完全に見えなくなったが、声は続いている。医師の一人がパネルを操作しスイッチを入れると、内部で炎の音がし始める。

 医師二人はしばらく様子を見ていたが、焼却炉の動作が安定しているのを見て、その場から立ち去った。

 真白な室内で、動作を続けている焼却炉のみが映る映像がしばし続く。調子外れの歌声は、一〇分も経たずに聞こえなくなった。あとには少女の体を焼き尽くす燃焼音だけが、虚しく響いていた。


 映像は焼却炉を映し出したまま続いている。しかし、あるときを境に、部屋の中に置かれ、画角に映り込んでいた時計の針が一瞬で進む。そのことにより、録画が一度切断されて、再度撮影が開始されたのだということを察することができた。

 部屋の中に二人の医師が戻ってくる。

 医師たちは焼却炉の扉を開け、中に入れた少女の体が完全に燃え尽きたことを確認した。二人はトングのような器具を使い、交互に焼却炉の中から骨を拾うと、ステンレスの台の上に並べていく。

 焼却炉から出されたあとにも微かな煙を立てていた骨は、無影灯の光の下に晒され、薄く煙を上げながらゆっくりと冷える。バラバラになっていた骨は、医師の手によって体の元あった場所に並べられると、一応は人の形を描きだす。

 骨片たちは医師の手を離れると、当然のように静止した。ミンチになっていても動き続けた老人の肉塊に比べ、骨はあくまで骨のまま、”常識的”な姿を表していた。

「これで、すべてです」

 焼却炉の中を確認し、医師の一人が告げる。トングで取りきれなかった灰のようなものさえも箒と塵取りで集め終え、すべてが台の上に並んだ。骨の様子を吟味するかのように、しばしの沈黙が落ちる。

「どの部位も、動く様子はないか。焼却前はよく手を動かしていたが、指の骨などの震えは見られないか」

 微かに震える女性の声がする。

「はい。いっさいの動きは見られません。これは、ただの骨です」

「成功と言って良いのではないか」

 女性の声音は、努めて平静を保とうとしているように聞こえた。抑えきれない興奮をその奥に感じる。

「やりましたね。火葬してしまえば遺骨になるのであれば、克死状態など、なかったものとして対応することも可能になる。人間社会にとって、これは朗報以外の何ものでもありません」

 相変わらず、マスクとゴーグルによって医師たちの表情は伺えない。しかし声や身振りから、二人の医師もまた、女性と同じく興奮していることは伝わってくる。彼らの言葉を受けて、女性は「そうだな」と短く答えてから、記録のための言葉を続ける。

「焼却の結果、肉体が完全に失われ骨になった状態であれば、克死状態は発生せず、人間は完全な死に至る。奇跡の日以来人間は死ななくなったのではなく、死の定義が、肉体の完全な消滅に依るようになったという……」

 そう、女性が実験の最終結論を述べかけたときだった。

 ——ボキボキ、ボキッ。

 なにか、硬質なものが折れ、砕かれていくような奇妙な音が辺りに響いた直後。

「ぎゃあああああああっ」

 背の小さい方の医師が絶叫する。

 彼はタイルの床の上に崩れるように倒れ、悶える。その体は、実に奇怪な動きをみせていた。

 腕や足が幾度も折り曲げられては伸ばされるという動きを繰り返すが、折れている部分は関節ではない。上腕・前腕・大腿部・脛など、本来は硬い骨があり筋肉に覆われているはずの部分が折れ曲がっていた。それも、折れる方向は定まっておらず、あらぬ方向にグネグネと曲がる。芯の入っていない操り人形のようだ。両手両足へ断続的に、ランダムに発生する動きは、到底本人が自ずからやろうとしてできるようなものではない。そもそも、生物としてあり得ない動きになっている。

 響き続けているボキボキという音は、人体の曲がるべきではない箇所を無理に折り曲げているが故に発生しているものだった。

「おい、どうした」

 もう一人の医師はうわずった声で呼びかけながらも、慌てて隣に膝をつき、絶叫を続ける男を抑えようと、腕を掴む。同時に、その医師の体にも異変が現れはじめた。

「ぐっ」

 低く呻く声を漏らし、喉を抑える。途端、彼の口元を覆っていたマスクが鮮血に染まる。体内から噴き出してきたかのように、多量の吐血をはじめたのだ。口から溢れた血はマスクにも留まることなく、手術衣まで染めていく。

 気がつけば、耳からも血が垂れてきていた。彼の目を覆っていたゴーグルの中も、完全に血で満ちている。彼は、体の穴という穴から多量の出血をしていた。ガクガクと体を震わせたあと、間も無く床の上へと倒れ込む。

 腕と足の悉くを折りきった様子のもう一人の医師の体は、四肢だけでは飽き足らず、首や胴体までもあらぬ方向へと曲げている。さながら、焼却炉の中に押し込められたときの少女の姿のようだ。もはや、絶叫も聞こえなくなった。

「い、いったい、なにが……二人同時になにかの発作が起きた? いや、でも、そんな……克死患者のせいだとでも言うの?」

 恐怖と困惑に満ちた女性の声が響き、しばし、時が止まったかのような静寂が訪れる。ただ耳を澄ませば、未だなにかが折れるような小さな物音と、己の血に溺れる哀れな男の、聞き苦しい唸り声のようなものが微かに聞こえていた。

 小さく、ドアを開くような音が挟まる。次いで、深く吐き出される息。

「わたしたちは、してはならないことをしてしまった」

 短い言葉のあと、また、ドアの音がした。次の瞬間。

「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 先ほど医師があげていた絶叫よりももっと近くで、耳をつん裂くような悲鳴が響き渡ったのだった。

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