克死院
三石 成
序章 真白の部屋
白という色は潔癖だ。
汚れなき清潔さを明示する性質のため、医療現場ではよく用いられているが、白にはどこか無機質で冷たい印象があることも否めない。白衣を纏った医療従事者に、自分自身までもが汚れの一部として拒絶されているような気さえするのは、過ぎたる被害妄想だろうか。
いま俺がいる部屋は、壁・天井・床・ベッド・テーブル・椅子に至るまでが真っ白だった。その徹底ぶりには、どこか病的なものを感じる。部屋の一辺はおよそ三メートル。壁には窓もなく、あるのは唯一の出入り口であるドアが一つ。まるで、立方体に切った豆腐の内側に入り込んでしまったかのようだ。
徹底しているのは、俺が身につけているのも上下ともに綿でできた白い服だった。なんのユニフォームのようだとも名状し難い、ごく一般的なシャツとズボンであり、『服』という
他にすることもなく部屋の中央に置かれた白い椅子に腰掛けてはいるものの、居心地の悪さから、まったく落ち着くことができないでいた。視線を上げると、天井付近の壁に小さな監視カメラが一つ設置されているのが見える。外にいる奴らは、そこから俺の様子を見ているに違いない。
俺は、数字の並びに対して多少記憶力が良い程度の凡人だ。そんな俺をつぶさに観察したところで、いま問題になっている現象に対して、役立つ新しい発見があるわけもないというのに。
天井から部屋全体へと降り注ぐ蛍光灯の光が眩しく、目に映るすべての白が目に痛く感じて、俺はついに目を閉じる。視覚を塞ぐと、聴覚や嗅覚などその他の感覚が鋭敏になるようだ。俺はそうして必死に、部屋の外の気配を探ろうとしていた。
真白の部屋で感覚を研ぎ澄ませて、何時間が経過しただろうか。足音が近づき、ドアが開いた。あまりに何もない時間を過ごしたせいで、そこから現れた人物のことを、夢の中の住民かと一瞬思ったほどだ。
「やあ。お待たせして申し訳ない」
中性的な印象の、白衣を纏った女性はそう言って笑った。彼女は、下ろせば肩の下あたりまでありそうな黒髪を低い位置で無造作に括っている。化粧っ気もなく、顔立ち的には美人ではあるものの、見た目には無頓着な様子が伺える。
彼女と俺は初対面だった。
「俺は、話すべきことはすべて話した。お前たちからの質問にもすべて答えきったはずだ。これ以上拘束されるなんて、話が違うだろうが」
「いやね、君の教えてくれた方法が、本当に有効かどうかを確かめさせてもらっているのだよ。嘘をつかれていたら困るからね」
「嘘なんてついていない。すべて俺が、自分の目で見てきたことだ」
「こちらも色々と手続きが大変でね。君のもたらしてくれた情報が、その労力に見合うかどうかは確認させてもらわないと。社会的な影響も大きいしね」
「その確認作業に、どれだけの時間がかかっているんだ。俺たちは、いつ解放される」
「致死量に至るまでに、いったいどれだけの量が必要かもわからないものだから、作業も慎重にやっているんだよ。確認が済み次第知らせるから、理解してくれたまえ」
「じゃあ、あなたはいま何のためにここに来たんだ。まさか回診の時間とも言わないだろう?」
問いかけると、女性はうっすらと笑った。その軽薄な笑みはなぜだかゾッとさせるものがある。
彼女は一度部屋から出ていくと、すぐに戻ってきた。手にはアルマイトのトレーを携えている。トレーの上にはこれまたアルマイトの皿が大小二つ。大きい皿にはステーキが、小さい皿には申し訳程度のパンがのっていた。
「お腹が空いているんじゃないかと思ってね」
女性はハミングするような声音で言うと、皿の乗ったトレーを、俺の目の前のテーブルに置いた。ステーキにかけられたデミグラスソースの良い匂いが漂ってくる。正直、腹は減っている。いままでこの施設で提供された食事といえば、お湯のような野菜のスープに塩味のない焼き鮭、複数種類の豆をただ煮たものと、やる気のない病院食といった様子だったのだ。そのうえ、今日はなぜだか朝から食事を抜かれていた。
「どうしたんだい? すべて食べてしまって良いんだよ。右手が使えないんじゃナイフは扱えないだろうと思って、事前に切ってもらってきたんだ。ほら、フォークを持って」
女性に半ば無理やりフォークを握らされた。俺は、握ったフォークが皿を引っ掻く耳障りな音で、自分の手が小刻みに震えていることを自覚する。急速に、喉が渇いていく感覚がした。喉の奥から何かが込み上げてくるのを必死で堪える。
自分を助けてくれていた存在がいなくなってしまったことを、俺はいま、強烈に理解していた。
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