第40話 あと少し
「クルトさん、ちょっと頼みがあるんです」
屋敷へ入る寸前、クルトの耳元でとあることを囁く。
はじめは驚いていたクルトだが、すぐに覚悟を決めたように頷いた。
「分かりました。フランク様のことは、お願いします」
「はい」
メリナがどういう反応に出るかは分からない。だけど、無策で挑むわけにはいかないわ。
私の考えていることが上手くいくかどうかは、分からないけれど。
でも、何もせずにいるよりはいいはずだ。
クルトを見送り、フランクを抱いたまま屋敷の中へ入る。久しぶりの匂いに吐き気がした。
◆
案内されたのはメリナの自室だった。テレサが暮らしていた部屋とは比較できないほど豪華な部屋だ。
「あら、お姉さま。早かったわね」
椅子から立ち上がり、メリナがにっこりと笑う。そして、テレサの腕の中でぐったりしているフランクへ視線を向けた。
「相変わらずの怪力だこと」
そう言って、メリナがくすくすと笑う。フランクがいるが、もう本性を隠すつもりはないようだ。
「それでお姉さま、どうして自分からここへ戻ってきましたの?」
「そんなこと、分かってるんでしょう?」
「ええ。だってわたくしには、こうなることは分かっていましたもの」
にやにやと笑いながら、メリナはフランクを眺めた。
「かなりきつそうね」
「……治して」
「そう言われて、簡単に治療すると本当に思ってるの?」
意地の悪い笑みを浮かべ、メリナはテレサの目の前に立った。フランクはもう目を開く気力もないのか、ぐったりとしたままだ。
「お姉さまがここに戻ってくると約束するのなら、治してあげてもいいわ」
予想通りの言葉を口にした後、メリナは近くにおいてあった机から二枚の紙を取り出した。
「でも、お姉さまの口約束だけじゃ、信用できない。これにサインしてくれたら治してあげる」
もったいぶった態度で、メリナが二枚の契約書を渡してきた。右手でフランクを抱えつつ、左手で契約書を受け取る。
一枚目には、フランクの治療と引き換えに、一生メリナの言いなりになって過ごす、という内容が記載されていた。
要するに、奴隷契約書である。
そして二枚目は、結婚に関するものだった。そこに記載されている男の名前は知らないが、メリナが選んだ男なのだから、ろくでもない男なのだろう。
本当、どこまでも最悪な子だわ。
正妻の子として生まれて、両親に愛されて、美しく生まれて、必要とされる異能もあって……それなのに、どうしてここまで意地悪く育ったのかしら。
今さらながら、本当に呆れてしまう。
「お姉さまが逃げたせいで婚約が破断になったから、またわたくしが相手を探してあげたのよ? 感謝してもらいたいくらいだわ」
「今度は、どんな人なの?」
正直、どんな相手だろうが、メリナが選んできた男と結婚なんてできるわけがない。
だけど今は、ちょっとでも、時間を引き延ばさなきゃ。
苦しそうにしてるフランク様には申し訳ないけど、もう、それしかないもの。
「子供が6人もいる人よ。前妻は三年前に亡くなったけど、愛人が屋敷に2人もいるの。年齢は53歳」
「……へえ」
「若いってだけで、お姉さまでもいいと言ってくれたわ。そんな人、貴重よ。わたくしだったら、絶対にお姉さまみたいな怪力女は嫌だもの」
そう言って笑い、メリナはテレサの手に触れようとした。
その瞬間、反射的に後ろへ下がってしまう。
なぜか、メリナに触られてはいけないと強く感じたのだ。
でも、どうしてかしら……?
腹立たしげに舌打ちした後、メリナは苛立ちに任せて言った。
「本当お姉さまって、気持ち悪い」
何度も言われてきた言葉だ。メリナに罵倒されるのにはもう慣れている。
けれど、何も感じないわけじゃない。
「……テレサ」
フランクの声だった。慌てて下を向くと、目を閉じたまま、苦しそうにフランクが口を開いている。
それに今、テレンスじゃなくて、テレサって呼んでくれたわ。
「お前は、気持ち悪くなんかない」
「フランク様……」
「俺は、何度もお前に救われたんだ」
泣きそうになるのを必死に我慢する。メリナに泣き顔なんて見せたくないから。
「優しい人ね」
つまらなそうに言うと、メリナは気を取り直したようにテレサを睨みつけた。
「お姉さま、バウマン家の力をちゃんと分かってるの? 下級貴族の王都相談員から仕事を奪うことも、下級貴族の家を潰すことも、簡単にできるのよ」
「……メリナ、本気で言ってるの?」
「本気よ。使えるものは使うに決まってるじゃない。それにわたくし、第二王子と結婚もするの」
勝ち誇ったようにメリナが笑う。そして、ペンを思いきりテレサに投げてきた。
「さっさとサインして。そうしなきゃ、その男自身も、その男の家族も、どうなるか分からないわよ」
今すぐメリナをぶん殴ってやりたい。
けれどだめだ。まだ、その時じゃない。
でも絶対、痛い目を見せてやるわ、この性悪聖女に!
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