【第三羽】二、祭り
「レオンが教えてくれたの」
リヴが足元に身体をすり寄せてくるレオンの毛並みを撫でる。レオンは、誇らしげに一吠えした。それに、とリヴが少し恥じらいながら続けた。
「雨の匂い、がしたから。昨日、初めて会った時にもね、感じたの。
あなたから、雨の匂いがするなぁって。
この辺りは乾燥地帯だし、ここ最近ずっと雨も降っていないのに……不思議ね」
リヴは少し首を傾げた後、何か思いついたようにぱっと笑った。
「雨が降ってるところから来たとか」
「何か用か」
レインは、自分でも無意識にきつい言い方になってしまったことに驚いた。リヴが一瞬ひるむのを見て、どうかしたのか、と優しく言い直した。
「明日の晩、村で祭りがあるの。その準備で今晩は遅くなりそうだから……」
髪を耳にかけながら話すリヴに、レオンがそっと寄り添う。二人の間に流れる不穏な空気を敏感に察知しているようだった。
「そうか。俺のことは気にしなくていい。
……何か手伝うことがあるか」
お客様に手伝わせるわけにはいかない、とリヴは首を横に振った。
話は終わったものと思ったが、リヴに立ち去る気配はない。何かを言おうか言うまいかと悩んでいるように見える。
「なんだ」
レインの苛立った口調に息を飲み、リヴは意を決して口を開いた。
「……あの、村を出て行くの」
「え」
「ディルクの言った事なら気にしないでね。
確かに生活は貧しいけど、だからって追い出すような事は……」
あまりのリヴの必死さに、レインは思わず吹き出した。
「何を勘違いしているのか知らないが、俺はまだこの村を出て行くつもりはない」
それまでの苛立った気持ちが不思議と消えている。
「何でそんなに必死になる。一昨日会ったばかりのやつに」
「ご、ごめんなさい。やだ、私ってば、はやとちり。
でも、せっかく村の一大イベントだから、参加してくれたらなって思って」
リヴは、顔を真っ赤にしながら服の裾を手で弄った。
「それに……少しは村の人達ともうち解けられるかなって……」
リヴは、顔を上げて柔らかく微笑んだ。レインが答えずにいると、祭の準備があるから、と言って村へ戻って行った。
取り残されたレインの頬を、乾いた風が優しく撫でていった。
†††
天界の都〈ラルク=ウォーレン〉の中心部に、天使達の憩いの場となっている庭園がある。緑溢れたその庭園の片隅に、薔薇の蔓に覆われた東屋が建っており、その下で萌葱色の外套に身を包んだフォーレが困った様子で佇んでいた。
そこへ一人の天使が駆けて来た。頭の上で一つにまとめられた赤い髪が左右に揺れている。その目は茜色に燃え、今にもフォーレに噛みつく勢いだ。
フォーレ、と赤い髪の天使が叫んだ。その声にフォーレはびくりと肩を震わせた。
「や、やぁ。サニア、よくここが解ったね」
「あんたの居そうな場所なんて、ここくらいでしょ」
サニアと呼ばれた天使は、フォーレの周囲に鋭く目を光らせた。その恐ろしい形相に、幼馴染であるフォーレでさえ思わず腰が引けてしまう。
「それで、レインは。レインはどこよ」
「あー、レインは」
「レインを連れ戻しに行ったんじゃないの、あんたは」
自分よりも背の低いサニアに胸ぐらを掴まれ、その剣幕にフォーレの顔が青くなる。サニアは、フォーレを脅すように左手で小さな炎を出して見せた。
「おおお、落ち着いて、サニア。必ずレインは戻ってくる。
僕が……僕が必ず連れて戻るから」
サニアは、フォーレを放すと炎を消し、落ち着きなく周囲をぐるぐると歩き回った。
「こんな事が大天使様に知られたら……あいつ、どうなるか解っているのかしら」
心配しているのは、フォーレも同じだ。常に冷静沈着、学院でも優等生として通っていた彼が何故、突然天界を飛び出して人間界へ降りたのか、幼馴染である彼らにも解らない。ただ、気まぐれを起こす事の多かった彼だから、今度もまた単なる気まぐれであって欲しいと祈るばかりだ。
サニアは、レインを連れ戻すように念を押すと、自分の仕事へと向かって行った。
†††
西の空が茜色に染まる頃、村の中心にある広場に村の住民たち老若男女が一同に集まっていた。広場の中心には、櫓が設置されている。一年に一度行われるこの日のために、僅かな木材をかき集めて組んだのだろう。柱の太さや長さがどれもまちまちで、継ぎ接ぎだらけの櫓だ。それでも、倒れることなく建っている。
騒然とした人集りの中、低い太鼓の音が鳴り響いた。ゆっくりと時を刻むように一度、二度、三度と鳴るにつれ、人々が口を閉ざして櫓に注視する。場に静寂が訪れ、一人の壮年の男が櫓の前に進み出た。男が村の長として祭の開催を告げると、一同が拍手で答えた。
男が脇に控えると、今度は一人の老婆が櫓の前へ進み出た。曲がった腰を更に低く折りながら礼をするのを、二人の若い女が老婆の両脇で一歩引いてそれに習う。老婆の身長は、二人の女の腰ほどしかない。三人とも同じ白装束を身に纏っている。
二人の女は、それぞれが手にした供物を櫓の前に用意されていた祭壇の上に乗せた。
再び太鼓が一つ鳴る。
それを合図に、二人の女が火種を受け取り櫓に火をつけた。ちょうど西の水平線に日が沈み、空が瑠璃色に変わるところだった。煌々と燃え上がる櫓火を前に、老婆がしわがれた声で朗々と祝詞を述べ始めた。神々の恩恵を授かる感謝と、作物の豊穣を祈願する内容のものだ。祝詞が終わると、深々と礼をした老婆と二人の女が下がる。
櫓火の周りに輪を作っていた村人たちがその場に腰を下ろし、食べ物とお酒が振る舞われた。
レインは、ちらちらと自分が見られていることに居心地の悪さを感じながらも、輪の外れに腰を下ろした。ただ一人、村人ではない人間が混じっているのだから当然だ。無理に参加する必要もないが、他にすることもない。それに、リヴに勧められたからというわけではないが、こういった祭の雰囲気は嫌いではなかった。
自分に向けられた視線を無視してレインが周囲の様子を伺っていると、食べ物とお酒を配る人の中にリヴの姿を見付けた。配られた村人の中には、明らかに不快そうな表情をして見せる人もいる。それに気付いているのかいないのか、リヴは始終笑顔のまま自分の仕事をこなしていた。
そんな彼女の姿を見ていると、レインは言いようのない胸の苛立ちを感じる。
「あまり寝てないだろう」
リヴがレインの前にパンを差し出した時、レインは彼女の腕を掴んで言った。リヴは一瞬驚いた顔をしたが、それがレインだと解ると頬を赤らめた。リヴの腕は、ひんやりと冷たい。大丈夫よ、と答えて腕を引こうとするのを、レインは手に力を込めて留めた。
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