【第二羽】二、雨恋樹
昔々、山の女神ペレは、一人の見目麗しい青年オヒアに恋をする。その想いを彼に告げるが、彼には既にレフアという恋人がいた。嫉妬に狂った山の女神は、オヒアを一本の木へと変えてしまう。帰らぬオヒアを想い、レフアが泣き暮れるたびに町は雨に降られ、とうとう洪水まで引き起こしてしまう。
それに困った他の神々が、ペレの魔法を解いてオヒアを人間に戻すことは出来ないけれど、せめてオヒアと一緒にしてあげようと、レフアをオヒアの樹に咲く花の姿に変えた。それ以来、この植物は〝オヒアレフア〟と呼ばれるようになった。オヒアとは樹の部分で、レフアはその花のこと。レフアの花を摘むと悲しみの雨が降る。それ故、別名〝雨恋樹〟と呼ばれる。
「樹……って、この枯れ木がか」
「まぁ、今はまだ小さな枯れ枝みたいな木ですけど、年月を経れば、大樹にだってなるんですよ。……って、受け売りなんですけどね。
私は見たことないけれど、オンバがいつも言うんです」
そして、オンバは、村一番の物知りで、最年者の老婆のことだと付け加えた。父親の病に効く薬草のこともオンバが教えてくれたのだという。
「どんな小さな苗だろうとね、あたしのように長生きしてると、立派な大樹にだってなれるものさ。大樹は、村や人間を守ってくれる守り神になる。だから、あたしのことも、もっと大事にして欲しいもんだね。あたしゃ、この村の守り神のようなもんなんだからさぁ」
というのが彼女の口癖だとリヴが言い、二人で笑った。
昔は、この辺りにも、たくさんの木が生えていたのだそうだ。レインは改めて、植木鉢を見た。よく見ると、葉先に小さな棘が幾つも花開いている。この苗木が、この村の守り神になったらすごいなと、ありもしない未来を想像した自分を自嘲して笑った。
奥の部屋から水音と、まな板の上で何かを切る音が聞こえる。リヴが朝食を用意しているのだ。
天使の生体は、人間とは違う。基本的に食べ物を口にしなくとも生きていけるのだが、食べられないというわけではない。味覚は存在するため、中には味を楽しむ為に食事をとる天使もいる。ただ、レイン自身は、面倒なため、滅多に食事をとることはない。学院時代は、人間界のことを知る為に寮食を取っていたが、卒業してからずいぶんと経つ。こんなに穏やかな朝を迎えたのは久しぶりだった。
食卓に並べられた朝食は、野菜の切れ端を入れたスープに、掌大の丸いパン。パンには、緑色の葉野菜と真っ赤な丸い果物を輪切りにしたようなものが挟んであった。リヴが先ほど畑から採ってきたばかりの新鮮な野菜だ。食卓を挟んで向かいに座るリヴを見ると、彼女は胸の前で両手を組んで目を瞑り、祈りを捧げているようだった。レインもそれに習い、天使だけに解る言葉で小さく祈った。
スープからは湯気が立ち上っており、口にすると薄味だが身体の隅々まで目が覚めるようだ。パンは堅かったが、齧ると野菜の冷たく甘い汁が口の中にじわりと広がった。僅かに土の匂いがする。二口、三口と食べていき、半分以上を食べ終わったところで、ふとリヴの視線に気付いた。彼女は、食事に手をつけず、じっとレインの方を見つめている。僅かに開いた口が何か言いたそうだ。レインは、食べかけの塊をごくんと音を立てて飲み込んだ。
「なんだ」
レインの声に、リヴがはっとした表情をして視線を下に向けた。何か言いにくい事なのだろうかと思い、食事の手を止めて、じっと彼女の言葉を待った。
「昨夜は、よく眠れましたか」
「ああ、大丈夫だ。よく休めたよ」
「そうですか、よかった」
と言ってリヴは、ほっとした表情を見せたが、その中に含まれる僅かな戸惑いの色をレインは見逃さなかった。レインが黙っていると、やはりリヴが口を開いた。
「あの……もし良ければ、旅の疲れが取れるまで、ゆっくり休んでいってください。
何もない所ですが、お好きなようにここを使ってもらって構わないので」
ただ、と言葉を一旦切り、リヴが肩をすくめた。
「日中は私、やらなきゃいけない仕事があって、家を開けなきゃいけないんです。
本当なら、村を案内してさしあげたいのですが……」
「仕事って」
「は、はい。あ、でも大したことじゃないんです。
一日中外で働いている村の人達に代わって、お家の仕事をちょっとだけお手伝いするだけで……」
心底申し訳なさそうな態度でいるリヴを他所に、当のレインは拍子抜けしていた。彼女が言いにくそうにしていたのは、そんな事だったのか、と思わず表情に出してしまい、はっと表情を改めた。だが、すぐに彼女は目が見えないのだという事を思い出す。
向かいに座るリヴの様子を見つめた。畑に水をやったり、朝食の支度をしたり……リヴの仕草一つを取っても、まるで盲目の人間とは感じさせない為、すぐにその事を忘れてしまう。レインは、そんな彼女のする仕事というのに興味が湧いた。
「俺も付いて行っていいか」
そう言われるとは想像もしなかったのだろう。リヴが目を丸くして驚く。
「え、でも……」
「迷惑だったらいい」
「いえ、迷惑だなんて。私は構いませんが……退屈じゃないですか」
「ここに居ても、特にすることもないからな」
話はまとまった、とでも言うように、レインはわざと音を立ててスープを飲んだ。躊躇いながらもリヴがパンを齧る。すると、それを見ていたレオンが、リヴの足元で、きゅーんと鼻を鳴らした。
「あ、ごめんね。レオンの分、はい」
リヴは、自分のパンを千切って、レオンに与えた。レインの席からは、レオンがリヴの手からパンを食べる様子が見えた。小さなパンの欠片は、レオンの大きな口にあっと言う間に飲み込まれて消えていった。
「レインさんは、旅をして長いんですか」
「ん、まぁな」
「きっと、いろんな所を見て知っているんですね。
私は、この村を出た事がないから……少し羨ましいです」
そう言って笑うリヴの声は、明るかった。もう一度パンを手で千切って、レオンに与える。レオンは、それも一口で食べてしまった。
「今度、良かったら旅の話を聞かせてください」
今度というのは一体いつになることだろう、と考えながらレインは、自分の皿の上にある半分になったパンを見つめた。
「さん、は要らない」
「え」
「レインでいい。呼び捨てで。それに、敬語を使う必要もない。
……苦手なんだ。使うのも、使われるのも」
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