クレーマーに悩む店員の梅谷美由紀(後編)
梅谷は会社支給の制服に着替え、制服の内ポケットに黒ナイフを入れた。
業務中なのでロッカーに置いておこうかと考えたが、好奇心が勝る。肌身離さずもち、ナイフがどのように変化するのかを知りたい。
「あ、梅谷さん。おはようございます」
パートタイムの安原が挨拶してきた。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
梅谷が挨拶を返すと、
「いえ、こちらこそ。よろしくお願いします」
軽く会釈し、安原は持ち場に向かっていった。
黒ナイフに変化はない。通常の会話では反応しないようだ。
(傷つく言葉や毒のある言葉に反応するのかな?)
梅谷はお守りのように黒ナイフを軽く撫でた。
開店直後はまばらだったが、お昼に近づくにつれ客が増えてきた。
「なあ、ねえちゃん」
ずんぐりむっくりの中年男が話しかけてきた。薄汚れた作業服を着て、無精髭を生やしており、お洒落から遠そうだ。
「はい。なんでしょうか」
「これ、どこにあるんだ?」
男は単一乾電池を見せる。
「あ、それでしたら、こちらになります」
梅谷は乾電池コーナーまで案内した。
接客が終わり戻ると、せわしなく足を揺らしている男性が相談カウンターで座っていた。
クレーマーのトイプードル男だ。昨日よりも不機嫌そうに見える。
「お待たせしました」
危険を察知していたが、一応客なので待たせるわけにもいかない。渋々と梅谷は応対した。
「おせえよ! どこで遊んでいたんだよ!」
先制攻撃を食らった。ポケットの中の黒ナイフが蠢いた感触がある。
「申し訳ございません。接客中でした」
「だったら、人員増やせよ。客を待たせるのがこの店のやり方か?」
トイプードルは梅谷を睥睨した。
「どのようなご用件でしょうか」
嫌な予感しかない。
「昨日のパソコン、修理はいつ終わるんだ?」
「まだ、メーカーに配送したばかりで……」
「はぁ?」
トイプードルはカウンターを右手で叩く。梅谷はびくりと震えた。
「すぐに対処しろよ! 明後日にはパソコン必要なんだぞ!」
彼はいきり立つ。
「お客様のパソコンはハードディスクが壊れているようで、メーカーでの修復または交換となりますと、少なくとも一週間はかかります」
「ふざけんな! なんだよそのハードなんたらって、そっちの都合は知らないから、早く直せよ!」
暴言が止まらない。
「豚! 早く直せ! 〇××〇〇」
トイプードルはテレビであればピーと音が入るような言葉を口にした。梅谷はポケットをまさぐる。黒ナイフはカチコチと硬くなっていた。
「いい加減にしろよ! 腐れ店員!」
椅子を蹴り上げ、直後に、彼は自分の胸を押さえ付けた。明らかに様子がおかしい。
「お客様? どうされましたか?」
梅谷の言葉を無視し、トイプードルはよろめき、床に倒れた。
「お客様?」
新しいクレーム手段かと思ったが、彼の鬼気迫る表情を見て、違うと判断した。
「大丈夫ですか?」
梅谷だけではなく、付近にいた他の店員や客も何事かと近づく。ざわめきが広がる。
「ぐう」
彼は呻くと、動かなくなった。
梅谷は悲鳴をあげた。
*
救急隊員が駆けつけ、トイプードルは担架に乗せられて搬送された。運ぶ際、意識がなく、体はぐにゃりとしていた。
アルバイト店員の鈴木が言う。
「さっき、脈をとっていましたが、ダメっぽいですね」
「ああ……」
梅谷は青ざめていた。
「多分、心臓発作か何かでしょうね。小太りだったし、あれだけ大声をあげてキレていたら、脳や心臓に負担でるでしょうし……」
鈴木は自業自得だと言いたいようだ。
「ええ……」
梅谷はポケットの中にある黒ナイフを触ってみた。再びスポンジのような柔らかさに戻っている。
(まさか……。人の悪意のある言葉で成長し、硬くなり、目的を達成すると柔らかくなる? つまり、私がこれをもっていたからクレーマーが死んだ?)
彼女は恐怖で寒気がした。小刻みに震えていると、
「梅谷さん、大丈夫?」
鈴木が訝しげな顔で尋ねた。
「ちょっと、休憩してくるわ……」
梅谷はまともに仕事ができないと思い、現場を離れる。
「なんだ、こんなところで油を売っているのか?」
休憩室でコーヒーを片手に座っていると、店長が嫌味を言った。
「あ、はい……」
梅谷は気持ちの整理がついておらず、曖昧な返事をした。
「しっかりしろよ。お前みたいな愚図でも、会社は雇ってくれているんだからな」
店長の皮肉たっぷりの言葉に、梅谷は咄嗟にポケットを触った。黒ナイフが、
少し硬くなっている。
「店長。すみません」
「あん?」
「体調が芳しくないので、早退させていただきます……」
梅谷が鬼気迫る顔で言った。店長は不満げだったが、彼女に気圧されて追究しない。
*
梅谷は街を彷徨っていた。
(たしか、この辺だったかな)
彼女は羽織纏を探していた。謎の美少女に会わなければいけない使命感があった。
「ここだ……」
一時間ほど歩き続けた時だった。さきほども通り過ぎたはずの道に、突如現れ、骨董屋風の建物が鎮座していた。
「こんにちは」
梅谷は扉を開け、中に入った。
「あら。こんにちは」
羽織纏がいた。相変わらずエキゾチックで怪しげな魅力を放っていた。
「早速ですが、ちょっと、よろしいでしょうか?」
梅谷は真剣な面持ちで言った。椅子に座る。
「はい。どのようなご用件でしょうか? 太! 紅茶をもってきて!」
纏は店の奥に声をかけると、「はーい」と間延びした声が聞こえてきた。
「あの、これなんですが」
梅谷は黒ナイフをテーブルに置く。
「お返しします」
彼女の発言に纏は驚いた仕草をしたが、若干演技がかっている。
「そうですか。もう、充分ということでしょうか? お役に立ちましたか?」
纏の問いに、梅谷は首を振り、
「これは恐ろしい物です。私の手にあまります」
「でも、スッキリしたでしょう」
言下に纏が言う。
「このナイフは人の棘のある言葉に反応し、育ちます。成長しきると、タンポポの種子のように目には見えない災厄を飛ばし、近くにいる悪意を打ちのめします」
纏はふふっと不敵に笑った。梅谷の背中にぞくりと悪寒が走る。
「クレーマーの男が倒れて、恐ろしかったと同時に気分が晴れたのは事実です……。それでも、私は手放します」
梅谷は黒ナイフを手に取り、纏に渡した。その直後、細川太が紅茶をテーブルに運んだ。
「持ってくるの、遅いわよ」
纏が太の喉元にそのナイフを突きつけた。
「ちょっと、纏さん。危ないですよ。まだ、柔らかい状態のナイフとはいえ」
「いいから、下がりなさい。あっちで例の件を処理しといて」
太が奥に戻ると、纏は再び喋り始める。
「でも、まだ、解決していない相手がいますよね? あなたのお勤め先の店長とか」
梅谷は驚愕した。この少女はどこまで内情を知っているのだろうか。神なのか悪魔なのか。
「ええ。でも、私は一人で立ち向かう事に決めました。根本的な部分を変えないかぎり、第二第三の男は現れると思いましたので」
「そうですか。わかりましたわ。自立する女性は素敵だと思います」
纏は柔和な笑顔を作った。
「すみません。最後に聞いておきたいのですが」
「なにかしら?」
「これを以前使用していた人は、私と同じように返却してきたのですか?」
梅谷の質問に、纏は首を振る。
「いいえ。使用者の死後に、私たちが回収しましたわ」
「えっ。事故や病死ですか」
「このナイフを使用中に、自身の発言が棘となり、自滅しました」
梅谷は逃げるように店を出た。
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