四番
sin
第1話 地下
ハア…ハア…
暗い、冷たい、深い地の底から聞こえる息遣い。
か細く、弱いが途切れることなく続いている。
誰にも気がつかれることなく。
誰も知らない真っ暗な世界で。
夜も更けた頃に雨が降った。
大粒だったが一時間ほどで上がった。
濡れた路面を雲の切れ目からのぞく月が照らしている。
人が寝静まった住宅街。
遠くから赤ん坊の泣き声がどこからか聞こえてくる。
真っ暗な夜道を周囲の闇に溶け込むように黒い犬が歩いてくる。
近所の飼い犬が吠える中、黒い犬はひたひたと歩いて行く。
その後ろ姿は暗がりに溶け込むように消えていった。
夜風が木々を揺らして住宅街を抜けていく。
国道沿いのコンビニ。夜中ということもあって交通量も少なく、店内に客はいない。
駐車場に二台の大型スクーターを停めて四人の男女がたむろっていた。
彼らがコンビニに来た頃、ちょうど雨が降り出した。
雨は一時間ほどで止んだが、特に行くあてのない彼らはそのまま店の外で缶ビールを飲みながら騒がしく話していた。
するとどこからともなく犬の遠吠えが聞こえてくる。
その声が会話を遮った。
何匹もの犬が遠くで吠えている。
なにかに怯えたような、狂騒的な声は心の奥底に小さな不安を芽生えさせる。
「うるせえな」
「そういえば知ってた?」
「なに?」
「幽霊が通ると犬が吠えるって」
「なにそれ?知らない」
「友達から聞いたんだけど」
「幽霊って言えばへんな場所あるんだよな。その先の山みたいなとこに廃墟があってさ、地下に続く階段があるんだよ」
「なんだそれ?」
「なあ」
「うん。なんか秘密っぽいの。この前二人で行ったときに発見してさ」
「そんなとこに二人でなにしにいったのよ?」
「え~それは、あれじゃん?」
金髪の子が照れたように言うと赤毛の子が笑いながら肘で小突いた。
二人のやり取りを余所にニット帽がパーカーに聞く。
「そこって墓場とかなんかあんの?」
「うんや、全然そんなとこねえけど林の中に一つだけ建物があって変なんだよな」
「ふーん。じゃあ行ってみようぜ」
「行くか?」
「人こねえんだろ?」
「おお。いい場所だぜ。ヤリ放題」
そう言うとニヤッとして片方の鼻腔を指で押さえて吸い込む仕草をした。
「じゃあ決まりだな」
女子二人のほうを向いてスクーターに乗るよう促した。
「マジで行くの?」
「虫とか嫌なんすけど」
難色を示す女子に二人の男子はさっきの吸う仕草をした。
それを見た二人は「やれやれ」というふうに顔を見合わせて笑うと促されるままスクーターの後ろに乗った。
エンジン音とともにスクーターが発信すると後ろ手に缶ビールが投げ捨てられた。
国道から脇道にそれて緩やかな坂を登っていく。左右は林で街灯もまばら。
ほとんど真っ暗といってもいい道を二台のスクーターのライトが照らしていく。
「こんなところあったんだね」
「でしょ?あたしも知らなかったもん」
後ろに乗りながら女子二人が会話する。
やがてスクーターは右折する。
道路の脇には草に埋もれた地蔵が見えた。
道沿いにいくつかある。
明かりのない道を進むと開けた場所に出た。
スクーターを停める。
「あれ」
パーカーが指差すと古い金網のフェンスと汚れた「立ち入り禁止」の看板。
フェンスの扉は錆びた南京錠が壊れて風に揺られている。
静まり返った辺りを見回して「雰囲気あるじゃん」とニット帽が言いながらポケットからタバコを出した。
「よっしゃ。行こうぜ」
パーカーがフェンスの扉を蹴り飛ばして開けた。
雑草が生い茂る敷地の奥に建物の影が見える。
コンクリート建ての古い建物でドアの上部にはめ込んであるガラスが割れている。
「この前来た時、割っておいたんだよ」
パーカーは得意そうに言いながら手を入れると内側からドアの鍵を開けた。
錆びついてドアノブを回してドアを開ける。
割れた窓から差し込む月明かりのせいでうっすらと中を確認できた。
真ん中にはテーブル。線が切れた電話が床に転がり、埃をかぶった黒い革のソファーが二つ、ひっくり返ったテーブル、奥にあるキャビネットにはファイルが収められている。。
「なんかの会社の施設?」
ニット帽が見渡して言う。
「まあ、そんなとこじゃん」
パーカーが答えると後ろ手にドアを閉めた。
「思ったより暗くないね」
赤毛の子が言う。
「あっちに入口があるんだよね~」
金髪の子がパーカーにくっつきながら奥を指さす。
四人が歩いていくと床に鉄製の扉があるのが見えた。
パーカーが床の扉を重たそうに引っ張ると真っ暗い空間が口を開けた。
扉は両開きなのでもう片方をニット帽が開ける。
中には階段らしきものが見えた。
「けっこう広いんだよ。明かりもある」パーカーは言うと足を踏み入れる。
その次に女子二人が続き、後ろにニット帽が続いた。
階段は大人が二人は並んで歩ける程のスペースがあり手摺もあり、左右の天井には弱々しい照明が点いていた。
「なんで電気が通ってんだ?」
「知らねー」
壁のコンクリートに雨水が染み込んでいるせいか湿っぽい臭いがする。
四人は二、三階分の長さの階段を降りると地下からゴーッという音が振動と共に聞こえた。
ガタガタと地面が揺れ、一気に大きく揺れ出した。
「キャーッ!!」
「ウオッ!」
悲鳴と驚きの声が上がる。
四人は立っていることができず床に頭を抱えて突っ伏した。
階段と周囲の壁がきしむような音をだす。
天井からはコンクリートの小さい欠片がボロボロと落ちてきた。
ドーン!!
揺れがピークに達したとき、奥の方から大きな音がして、四人はわけもわからず悲鳴を上げた。
一分近く揺れていただろうか。
徐々に小さくなり地震は収まった。
みんなゆっくりと顔を上げる。
「大丈夫か?」
声だけで四人は互いの無事を確認するとニット帽がライターの火を再び点けた。
パッと周囲が明るくなる。
「さっきすげえ音がしたよな」
「なんの音かな?」
ゆっくりと埃を掃いながら立ち上がる四人の目に三メートルほど先の黒い壁が見えた。
壁の下の方に黒いものが積んであるように見える。
一歩、二歩近づいて見ると壁が崩落したのだとわかった。
「なんだこれ?」
「さっきの音はこれだったんだよ」
真っ黒くあいた穴の向こうに扉のようなものが見える。
「なんだこれ?」
パーカーが指さす。
「おう!クールじゃん」
金髪の子が頬にかかる長い髪をかきあげながら言った。
扉。
崩落したコンクリートの壁の裏にさらに扉があった。
隠すように塗り固められた壁。
扉は両開きで外側から上下に二箇所を閂でロックしてある。
表面には装飾が施されていて、中央に十字架、周りはなにかの文字が掘られていて扉を閉めた状態で一つの紋章を象っているように見える。
「なんかヤバそうなドアじゃん?」
赤毛の子がニット帽に振る。
「ヤバそうだけど開けてみてえな……」
「これ絶対、なんか隠してるぜ」
パーカーが扉を触りながら言った。
「こういうのってお金かクスリじゃない?」
金髪の子は好奇心に目を輝かせた。
「開けようぜ」
「よそうよ」
赤毛の子が気味悪そうにニット帽の腕をつかんだときだった。
「助けて……助けて」
扉の向こうからか細い声が聞こえる。
四人は驚き、顔を見合わせた。
「声がしたぞ!」
「女の子の声!」
「誰かいるんだ!!」
「誘拐?監禁?」
四人の間にさっきまでとは違う、張り詰めた緊張感が漂った。
こんな地下の隠し扉のようなものの奥に、助けを訴える人がいる。
これはただ事ではないと全員が思った。
「お願い。助けて、閉じ込められてるの!お願い!」
泣きそうな声が扉の向こうから四人に訴えてくる。
「おい!助けようぜ」
「そうだな」
ニット帽とパーカーは扉の閂を外す。
錆び付いた鉄が擦れる音が真っ暗な地下に響いた。
「早く開けてあげて!」
金髪の子が叫んだ。
パーカーとニット帽が重い扉を開ける。
ギギギギギ
「開いた!」
赤毛の子が手を叩いて言う。
両開きの扉を開けると、目の前には漆黒の空間が広がっていた。
ちょうど大人四人が並べるくらいの幅がある。
しかし、そこには誰もいなかった。
「あれ?」
ニット帽が首を傾げた。
「誰もいないんだけど?」
金髪の子が不思議そうに言う。
「オーイ!助けに来たぞ!」
パーカーが叫んだが暗闇の奥から声が聞こえた。
「助けて……動けないの」
今度は遠くから聞こえる。
全員が暗闇の奥を覗き込もうとした時だった。
「うわあっー!」
「きゃああー!」
暗闇から無数の腕が伸びてきて暗闇に引きずり込んだかのように、四人は一瞬にして扉の奥に消えてしまった。
闇の奥からは、しばらく悲鳴と叫び声が聞こえたが、そのうち何も聞こえなくなった。
静寂が暗闇を支配した。
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