第186話 条件

 熟れたトマトへ向けて力任せに拳を振り下ろしたら――、例えるならきっとそんな言葉になるのだろう。ただし、トマトの大きさは想像よりずっとずっと大きく、それこそ人間サイズのトマトを巨人が叩き潰した……、これが正確なのかもしれない。



「――なっ……」


 シモンは次の言葉を失った。そして、血を見ることに慣れているはずの剣士の1人はその場に尻もちをつく。もう1人は――、潰れた果実と化していた。



「くふくふ――、くくくくくく……、あははははははははははははははっ!!」



 突如、奇怪な声を上げて笑い出すルーナ。シモンは両肩をびくりと上げて顔を引きつらせていた。青ざめたその表情は明らかに「恐怖」で染められている。


「ルーナ……、君は一体――」

「くふくふくふ……、ああ、失礼失礼。あまりのに笑いが抑えられなくてねぇ」


 ルーナはこれまで見せてきた不気味な微笑みではなく、狂気に満ち満ちた笑いを浮かべていた。



「――グラビトン」



 そこにはきっと誰の目にも映らない透明の巨人がいるのだろう。それが人を踏みつけたのだ。

 目の前の人間が突如、不自然に歪み、骨の砕ける音と臓物が潰れる音を同時にたてて、赤黒い血と肉の塊へと変貌する。


 たった今――、もう1人の剣士が変わり果てる姿をシモンは目の当たりにしていた。


 ルーナの使った魔法はスピカも使えるもの。しかし、彼女が「足止め」を目的として使っていたのに対してルーナの方はその出力が桁違いだった。



「バカなっ!? ルーナ! 君はっ!! 人に向けて魔法を使えないはずっ!!」



 シモンはあまりの恐怖ゆえか、半狂乱になりながら大声を上げていた。



「くふくふ……、たしかに私は人に魔法を撃てな。ですが、王国魔導士団を退いてからの10年ほど――、私がずっとそのままでいたとでも?」


「まっ……、まさか、今は人に向けられる、というのですか……?」


「くふふふ……、普通はできないんですよ? 私の無意識化に条件があるようでしてねぇ?」




 かつて人はおろか、「まもの」にさえ直接魔法を撃てなかったルーナ。それをきっかけに彼女は王国魔導士団を退くこととなった。


 故郷と家族を失ったスピカを我が子のように育て、立派な魔法使いへと導くと決めた、そんな彼女は独りひっそりと……、自身の欠点にも向き合っていた。


 多くの研鑽を重ね、魔法学校時代の旧友も頼り、ゆっくりと弱点を紐解いていった彼女は、数年の時を経てその答えに辿り着く。


 それは本質的に彼女がもつ「優しさ」ゆえ。ルーナ自身も疑問をもったようだが、行き着いた答えはそれだった。


 自分へ危害を加えよう者にすら無意識にもってしまう「生」への優しさ。それが彼女の攻撃を封じていたのだ。

 ルーナは自分のことを決して「優しい」などとは思っていない。しかし、彼女を成す心の根底には揺るぎないそれが存在している。自分の意思ではどうあがいても変えられないほどに根付いているのだ。


 つくづく「魔法使い」には不向きな性格だと自虐したルーナ。しかし、彼女はある時、その「優しさ」を背けられる相手がいることに気が付く。


 それは、スピカの身に危険を及ぼすモノ。


 ルーナの中では、自分の全存在以上にスピカは掛け替えのないものとなっていた。スピカを守る――、この条件下に限りルーナは真の力を発揮することが可能となる。

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