8 紅く染まった桜

「お爺様、無理はなさらないで下さい」


午後五時。東さんが目覚めたと氷華の母から報告が入った。なので氷華に東さんへ裏庭まで来て欲しいと伝えてもらった。


 宿木家の庭は丁寧に手入れがされている。

 庭を囲む木々、そして石畳に至るまで申し分ない。更に玄関から裏庭にある墓場までの距離も大して長くは無かった。しかし、それでも近頃寝込んでいた東さんの体にとっては困難である。

 コウと私が支えながら移動したが、それでも東さんは躓きそうになりながら、ゆっくりと移動した。


「すまないねぇ」

「いえいえ。こちらこそ病み上がりにこんな場所まで――」


 無事に大木の元まで辿り着き、立ち止まったその刹那。東さんの様子が豹変する。


「なんじゃ……どうしてここに」

「どうかされました?」

「爺ちゃん。どうしたんだよ?」


 震える東さんの瞳の先、大木の根元に一人の女性。


「薫子――!」


 女性は小さく口を動かす。

 ゆっくりと、ゆっくりと、全く血色が感じられない唇で。


『や、っ、と、き、て、く、れ、た』


「すまない。薫子。私は少し勘違いをしていたんだ。私は悪くない」


 膝を着き、泣き崩れる東さんを氷華が抱える。


「爺ちゃん! 何があったんだよ。まさかこの幽霊は婆ちゃんなのか?」


 薫子、そして使いの怪異は一歩、一歩、あゆみ寄る。


『も、う、ひ、と、り、に、し、な、い、か、ら』


「私は知らないぞ。何も!」


 霊石を取り出し、いくつか呪言を唱え、霊石を片手剣の形に変化させる。そして白い光を放つ刃を薫子の首筋に突きつける。

 視界の端から管狐がこちらに襲いかかってくる様子が見えたが、瞬く間にコウが管狐を取り押さえていた。

 

「薫子さん。それ以上はダメです。生けし者に仇なすならば私は許容しない」


 首筋に当てられた刃に気づいた薫子が、東の方へ伸ばした手を引く。そして一筋の涙が彼女の頬に流れた。


「気にする必要はない。人は皆、命尽きれば土の下だ」


 コウが捕まえた管狐を薫子に返すと、薫子は姿を消した。


「橘樹のお嬢さん。ありがとうございます。妻の霊を払ってくださって」


 安堵した表情を浮かべた東がゆっくりと起き上がる。


「払っておらんぞ?」

「払ってはいませんよ?」

「今なんと……」


 東は唖然と目と口を見開いた。


「東さん。これは貴方が解決するべき問題ですから。この下に眠っていらっしゃいますよね?」

「何がでしょう?」

「奥様ですよ」


 賽の神から情報を貰った私とコウは一つの結論に至った。

 人を祟るとは思えない悲哀に満ちた怨霊。彼女は死後も夫に執着していた。無論、事故や事件に巻き込まれ死亡したが、夫である東を忘れられず怪異として現れた可能性もある。

 しかし本当にそうだろうか。もしこの可能性が本当だとすれば執着する対象は事件の犯人や自身が命を失った場所でも良かったのではないか。

 ならば新たに立てられる仮説が一つ。

 彼女の死因そのものが東にある可能性だ。

 

 宿木薫子。それは死してなお恨むべき対象を愛していた悲しき怪異。



*


 


「何だ、その白い板は? これが現代の紙か?」

「これはノートパソコン。確かに文字は記録できるけど、紙とは違うかな」

「ほう。竹簡、木簡からよくここまで進化したものだな」


 七瀬屋の二階。管狐の件から数日後。自室の中で私は報告書の執筆に明け暮れていた。ちゃぶ台に乗せたノートパソコンをコウが覗き込んでくる。


「それで、ここに何を記しているのだ?」

「報告書。今回の宿木一家で起きた事件の顛末を書いているの。ちょっと、あまり画面に近づかないで。見えないから」

「なるほど。いつの時代もこの様な業務の報告は欠かせないのだな。ちなみに何と報告するのだ?」

「あの後、氷華さんから聞いた話を書くつもり」


 一通り文章を打ち終わりノートパソコンを閉じる。今回の一件では他の家庭に潜んだ触れてはいけない秘密を見つけてしまったような感覚だ。



*



 宿木家に訪れてから数日間、宿木家には家宅捜査に来た警察で溢れていたらしい。

 東の通報を受けた警察が裏庭を捜索したところ、木の下から二人の死体が見つかったらしい。死体は損傷が激しかったがDNA鑑定の結果、薫子と行方不明になっていた男性のものであることが分かった。


 東が二十代の頃。親からの勧め……いわゆるお見合い婚で薫子と結婚したらしい。感情的になりやすい東と、冷静で気遣いができる薫子。近所でも有名なおしどり夫婦であったそうだ。


 しかし元々地元でも人気が高かった薫子の元へ、ある日一人の男性が訪れたらしい。その男は薫子の昔ながらの知り合いらしく親しげに話していたそうだ。


 それだけなら東も許容できた。

 話すだけなら。


 その男が訪れてからというものの薫子は東にあまり話しかけなくなったらしい。


 実は男が訪れる前、薫子は東が集めていたカラクリ人形を壊してしまった。怒りに震えた東はいつも通り大激怒。それ故に薫子に見放されていしまったのではないかと東は感じたそうだ。


 そして薫子が離れてしまうことを恐れた東は彼女を殺害。丁度、薫子が事切れたところに訪れた男が現れる。

 薫子の幼なじみである男は伝統的にカラクリ人形を作っている家の産まれらしく、薫子は彼に人形の修復を依頼していたからとのこと。

 口を聞かなくなったのは恐らく、このことを東に何と説明すればいいのか決めかねていたからだ。


 東は男を殺害し、薫子と共に木の下に埋めた。深く、埋めて、埋めて、そして薫子のことを記憶から消してしまった。


 一匹の管狐が現れるまで。


 もしかすると、あの管狐は男の霊が変質したものであったのかもしれない。



 

 




 


 

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