紅緋羽 浮舟は主を待たない

4 雨が降る

 雨が降っている。

 止む気配が無い雨粒は痣や傷口だらけの私の体を、冷たく、鋭く、突き刺した。

 森を抜けた先、一人の男性が数人の部下と馬を連れて旅立とうとしていた。

 

「待って――」


 何とか力を振り絞って、声を奮い立たせると口内には血の味が広がった。男性は表情を何一つ変えずこちらへ振り返った。通りすがりの野良猫でも見るような目だ。その中には一切の感情も関心も無い。


「あの集落の者か?」

「そうです。貴方様に感謝の言葉を述べたく参りました」


 無表情だった男性の眉が少しつり上がる。


「どうして私に……私などに……君は……理解が出来ない」



*



 降り注ぐ雨の音を目覚まし時計の電子音がかき消す。

 その瞬間夢の狭間にいた私の意識は、現実世界へと引き戻された。

 うっすら目を開けると、暖かな日差し、ゆらめくカーテンが視界を覆うそして……。


「おはよう。梓」


 ベッドの縁に座っていたコウが満面の笑みでこちらを見つめていた。

 思わず私の口からは朝六時だとは思えないぐらい甲高い悲鳴が漏れた。



*



「冷蔵庫から人参とキャベツ取り出して」

「私が?」

「他に誰がいるの?」

「君の朝餉だろ?」

「コウも食べるじゃん。それに居候するなら料理ぐらい手伝ってよ」


 キッチンでまな板や包丁を並べていると、ちゃぶ台の方から拗ねたような声が聞こえてくる。

 ちゃぶ台の方を見てみれば、いつの間にか白い服に戻っていた神霊が不満そうに頬を膨らませている。

 コウが我が家に来てから一夜が経ち、翌日の朝。

 いつも通りベッドですやすやと眠っていた私は、いつのまにかベッドの上にいたコウの笑顔に驚かされる羽目になった。

 どうやら神霊であるコウは睡眠をとる必要は無いらしく、一睡もせずに私の側にいたとのこと。

 一晩中寝顔を見られていたと思うと気恥ずかしくなる。


「私に食事は不要だ」

「食べられないの?」

「いや食べることはできるが、必要が無いというか」


 神霊に食事は不要らしい。ときどき知らぬ間にお供え物が減っている怪談があるが、あれは神霊がその日の気分で食べるか決めているのだろうか。


「なら食べましょ」

「どうしてそうなる?」

「だって他の人と食べる食事が一番美味しいでしょ? 私いつも食事は独りだから寂しいの」


 コウが少し視線を逸らす。

 

「そうか……ならば、いいだろう」

「じゃあ人参の皮むいて」

「食べるのは百歩譲って良しとして、どうして私が料理など」

「自分で作る料理が一番美味しいよ?」


 怪訝な表情を浮かべるコウの手を取り、立たせようとする。

 すると、彼の手からは人肌特有のぬくもりが無いことに気づく。

 こんな姿をしていても、やはり『ひとならざるもの』であることに代わりはないらしい。



*


「梓ちゃん。今日の依頼は少し遠出になるよ」


 七瀬屋の一階。ソファーに腰掛けたコウと私に九星が書類を見せる。

 怪異退治の依頼書だ。七瀬屋の場合、依頼内容は最初に店主である九星の元に届く。そして従業員である梓が引き受けるのだ。

 

「今回の依頼者は個人では無く家族ですか?」

「あぁ。依頼してきたのは宿木くすき一家だ。どうやら御年八十になられるあずまさんの様子が最近おかしいそうだ」

「ほう。何か憑き物の類いにでも蝕まれたか?」


 真剣に依頼内容を説明する九星に対し、コウはあたかも当然のように返答した。


「ところで梓ちゃんどうしてこーちゃんがここに?」


「そりゃあ梓は不甲斐ないから――」


「この子も裂界の存在が確認できるんです。だから仕事を手伝ってもらおうかなって」


 慌ててコウの口を塞ぐ。

 連れて行くことにした本当の理由は彼が私に付いて行きたいと駄々をこねたからだ。

 いや、どちらか言うとと表現するべきか。


 別に彼を連れてきても何一つデメリットは無いので、余計なことはしないことを条件に怪異退治へ連れ出すことにした。


「おやぁ。嬉しいけど生憎、七瀬屋には新しい従業員を雇える経済的な余裕は無くてね」


「銭はいらん。君達からは寝る住居と食事を貰っているからな。これはその返礼だ」


 寝ていないし、食事も取るつもりが無かったことは突っ込まないでおこう。

 九星が述べた通り私も従業員という扱いなので一応給料は出ている。


「それはありがたい。では依頼内容の確認に戻ろう。宿木一家からの依頼によると、最近東さんが『昔行方不明になった妻の声がする』と主張しているらしい」


「こうやって依頼してきたということは聞き間違いでは無いのですよね?」


「あぁ。ご家族の方にも時々その声が聞こえるらしい。謎の声の主は『どうして?』とか『早く』だとか、訳の分からないことばかり言うそうだ。この声の主を宿木一家では浮舟の君と呼んでいるらしい」


 浮舟。源氏物語に登場する女性だ。


「何か未練が残って成仏できないのかな。いずれにしても依頼を受けたからには退治しなくてはならないけど」


 依頼書をファイルにまとめて鞄にしまう。

 そして席を立つと、コウと九星も立ち上がった。


「いってらっしゃい二人とも。何事もなく帰ってくることを祈るよ」

「はーい」

「あぁ、言われずとも」


 九星の方へ軽く手を振り、コウと共に七瀬屋をあとにした。



*


 七瀬屋の前に並ぶ商店街。昨夜とは異なり昔ながらの店がひっきなしに並んでいる。

 今朝の天気予報によると今日はかなり気温が高くなるそうなので薄手のワンピースで来たのだが、まだ午前中であるにも関わらず空気は蒸し暑い。正解であった様だ。

 本来ならば袴とか着ていた方が怪異退治業者ぽいと思うが、公衆の前面でコスプレ地味だ服装をする勇気は無い。


「梓。あの『そふとくりーむ』とは何だ? 穏やかな雲のような……あるいは流れる滝のような……珍妙なる食べ物だな」


 七瀬屋から出たや否や私を襲ったのはコウによる質問攻めだった。

 そういえば昨日もコウはエアコンのことを物の怪呼ばわりしていた。もしや現代の知識には疎いのではなかろうか。

 怪異としては珍しくないことだが、記憶喪失が原因であるかが少し気になるところだ。


「質問には後で答えるから今は静かにして。恥ずかしいから」


 最初はコウの質問に真面目に答えていた私であったが、人目が増えるにつれ気恥ずかしくなってきた。コウには申し訳ないがしばらく黙っていただこう。

 昨夜に続き私のから借りた服を着ていたコウであったが、いつの間にやらシャツとセーターへと服装が変わっていた。

 変化の術に近い物らしく、別に私の服が消えた訳では無いらしい。というか消えられたら困る。


「何故だ? 私は疑問に思ったことを尋ねているだけだぞ」


 こちらを一瞥したコウは淡々と不平を言った。

 通行人溢れかえった地下道を歩いていると、道行く人々が時々こちらを見ながら何やら話こんでいる事に気づく。


「あのお兄さん。カッコイイよね」

「隣の人、彼女さんかな?」

「そもそも、あの人本当に男性?」

「確かに。美女にも見えるよね。男装の麗人って感じ」


 男装の麗人ではなく、男性の麗人と表現するべきだろう。

 そして噂する人々に向かってコウが何か叫ぼうとしたので、すぐさま阻止した。


「梓。あのようなことを言われているが、良いのか?」

「別に気にしなければいいよ」

「私と君の関係を恋人だと言っているんだぞ。恋人ではなく夫婦めおとだと伝えねば」


 火に油を注ぐつもりだったらしい。




 


 

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