第2話 早春の夕暮れ2
それにしても、と千紗は再び考え始めた。
中学三年生というのは、もう大人だろうか、それともまだ子供なのだろうか。
もう大人だ、と、自分では思う。だって、とりあえず自分のことは自分でやれるし。つまり、朝、きちんと起きて着替えて学校に行けるし、こまめにお風呂にも入って、いつも身奇麗にしていられるし。食事だって、目玉焼きとかだけどできる。炊飯器でなら御飯も炊ける。掃除や洗濯だって、何とかこなせる。となれば、明日からだって、自分ひとりでも何とか暮らしていけるではないか。自分ひとりでも暮らせるってことは、大人ってことではないのか。
しかしながら、一方で千紗は、それはあくまで自分の独り善がりでしかない、ということも知っている。今のこの自分を、もう大人だと考えること自体、大人から見れば、子供じみた考えだと思われることも。
そう。つまり、現実の社会では、中学三年生なんて、ただのガキだ。本人がいくら大丈夫だと訴えたって、中学生が一人で暮らすなんて、この社会は許してはくれないだろう。そもそも、中学生では、お金という、生きてゆくうえで大切なものを、稼ぐ手段を持たない。どうしようもない。全く忌々しい。
ガキなんて嫌いだ。ガキでいるのなんて。千紗は、しばしばそう思う。世の大人たちは、猫なで声で、子供の権利だとか何とか言うけれど、そんなこと、本気で考えてくれている大人なんているものか。だって、子供は相変わらず、自分自身のことですら、自分の思いだけで決めることが、出来ないではないか。権利とか自由とか、そんなものは、無いも同然なのが、子供の現実なのだ。
実際問題、やる気や意思があっても、大人の力を借りなければ出来ないことが、どれほど多いことか。塾ですら、大人にお金を出してもらわなければ、通えない。本人が行きたいかどうかは別として、事実はそうだ。
千紗は、食べ終わったアイスキャンデーの棒を、齧りながら考えた。
この春休みの学習塾の費用だって、父親に出してもらったのだ。それは千紗にとって、屈辱に近いくらい、非常に不愉快な出来事だったけれど、高校受験のことを思えば、やはり行けるものなら、春期講習くらいは行っておきたかったし、千紗の母親に、その費用を出してもらうのは、無理なようだったし。それくらい出すのは、いくらもう家族ではなくなったとはいえ、元父親としての義務だとも思ったし。
そこまで考えると、千紗は、齧っていたアイスキャンデーの棒を、ゴミ箱に向かって放り投げた。棒は、ゆがんだ線を描きながら、ゴミ箱のわきをすり抜け、べたべたと汚れた床に落ちた。千紗は小さく舌打ちをすると、立ち上がって階段を降り、下に落ちた棒を拾ってゴミ箱に入れ直した。
塾の帰り、千紗はこうして、三度アイスキャンデーを買い、このコンビニエンスストア脇の階段に座って食べた。食べている間に、偶然に菊池が通りかからないかと、いつも思ったが、そんな機会は一度も訪れなかった。アイスを食べ終えると、千紗は、まるで儀式のように、その棒をゴミ箱に向かって放り投げたのだが、ただの一度も、成功できずにいた。菊池亮介は、あんなに簡単に放り込んでいたのに。
千紗は、あの日のことを、今もたびたび思い出す。菊池が、どんな表情で何を言ったのか、それに対して、自分がどんな言葉を返したのかを。千紗は、その時の菊池の言葉の全てを、どこでどんな表情を見せてくれたかを、一つも忘れたくはなかった。けれど、何度も何度も思い出を反芻するうちに、いつしか、表情も交わした言葉も輪郭がぼやけ、どこまでが真実で、どこからが千紗の創作なのか、分からなくなってきてもいるのだった。
それでも、あの日、菊池が真剣に千紗の悩みを聞いてくれたこと、力になってくれたことは、本当にあったことだ。菊池の気持ちは、あの時だけの、ほんの気まぐれだったかもしれないけれど、千紗を励ましてくれた瞬間は、永遠に変わらない。千紗は、そう思っている。
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