第2.5話 「女神」オタク、ミクの記憶

最初に私が女神と出会ったのは、忘れもしない五年前。

私が中学一年生で、彼女が十五歳の時だった。

アイドルが清涼飲料水を持って浜辺を駆け抜ける、なんてことのないありふれたCM。

だけど透明感を体現したような美しさが、制服の袖から覗く白い肌や清潔に光る白い歯からは溢れ出ていた。

くるくるとあどけなく変わる表情。華奢な手足を存分に振り回して、伸びやかに、踊るように駆ける姿。誰もが目を奪われずにはいられない、眩い笑顔。


こんな綺麗な女の子が、この地球上に存在して良いんですか? 

脳を灼かれるような衝撃を喰らった私は、CMが終わるや否や、急いで彼女を検索した。

検索結果によると、その女の子は、地下アイドルとして活動していたけれどグループを脱退し、本格的に地上で活動を始めたのはまだ一年程度らしく、このC Mは大抜擢だったらしい。

それにしても、ここまで美しい人なら、雑誌の片隅でもドラマの端役でもなんでも、一目見たら目に焼き付いて離れないはずなのに。なんで私は見逃していたんだろう──そう考えながら、彼女の足跡を追うように、画像からインタビューから片っ端から検索し、気づけばその日のうちに彼女のファンになっていた。


それ以来、私の青春は、全て彼女に費やされている。

学年で一番可愛いと言われているあの子も、彼女の小柄なのに均整の取れた奇跡的なスタイル、宝石のように輝く瞳と比べてしまうと、ただの凡庸な女の子にしか思えない。

一番人気の男子がどれだけ格好良くったって、画面の向こうの彼女を見る時のときめき、胸の高鳴りに比べたら、視界にも入らない。

それなら、全ての「好き」を彼女に捧げるのが正解だろう。

というわけで、私の中で彼女は、単なる「憧れの女の子」を通り越して、めでたく「女神」になった。


女神の存在は、中学時代の私を輝く笑顔で照らしてくれるだけでなく、その慈愛の微笑みで慰撫まで与えてくれた。

中学三年間。それは大人が思っているよりは、ずっとしんどい。

私のようにスクールカーストの比較的上位に位置する女子ですら、中々どうして、「生きるのが辛い」なんて思ってしまう時はある。

他愛もないことだけど、例えば、私が誘われていないカラオケの話を持ち出されるだけで、喉の奥がキュッとなったり、腹の底がずんと重くなったり。

なんで私も誘ってくれなかったの? 私、なんかした? 

……なんて気軽に言えるはずもなく、曖昧な笑いで誤魔化して、気にしていない風に振舞うけど、結局、話題にも入れずに終わる帰り道。

でも、そんな後に見る女神のMVは、ギョッとするほど綺麗だった。

まるで人の孤独に触れるみたいにその声は温かく、それでいて、時々は氷の刃みたいに怜悧で、私の代わりに世の中に立ち向かってくれているみたいだった。


受験期も、親に危うくスマホを取り上げられそうになりながらも女神を追いかけた。

塾の休み時間は、常に一人で机に突っ伏して、寝たふりしながら女神の歌を聞いていた。

高校生活でやりたいこととか、将来の夢や希望なんて前向きなものはなく。

だから当然、受験へのモチベーションは皆無で、ただひたすら受験勉強が苦痛にしか思えなかった。

なんでこんなに一生懸命勉強しないといけないのかなあ。

社会の厳しさ、とか言われてもピンと来ないし。

親は勉強して良い学校に行って、良い大学に行けって言うけど、その先に一体何があるの?

私にはやりたいこととか、将来の夢とかなんかなくて、ほどほどに生きて女神のことを追えていれば、それでいいんだけどなあ。

と脳内でぼやく私を励ますかのように、スマホのロック画面いっぱいに映し出される女神は、いつだって優しく微笑んでいた。


私の女神は、花が綻ぶような綺麗で可憐な笑い方をする。

360度どこから見ても完璧だと言われるその天使スマイルは、右斜め45度から見ると、時々寂しげにも見えるのだということを、私は発見した。

女神はバラエティでも何でも、明るい笑顔と愛らしい仕草で人々を魅了するけど、インタビュー動画などを見ていると、しっとりと実年齢以上に大人びていて、落ち着いたようなところもある。

彼女が作る曲も歌詞も、決して明るい王道アイドルソングばかりでもなくて、時に厳しく、時に切なげで──そんな女神の二面性を表しているみたいで、この寂しげにも見える柔らかな微笑みが、私はお気に入りだった。


結局、女神の応援ソングのお陰もあって、私は第一志望の女子校にギリギリ滑り込むことができた。

やればできる子だって信じてたなんて喜ぶ両親を横目に私は冷めていて、思ったことはと言えば「これで親も文句ないだろうから、堂々と推し活ができる」だった。

というわけで、高校に入るや否や私はバイトを始めた。

入ってみて驚いたのは、女子校という特殊な環境ゆえなのか、次元や男女の違いはあれど「推し」がいる人は多い……というか、ほとんどの人間がアイドルか配信者を「推し」ていた。

私みたいに、暇な時間はできる限りバイトでお金を稼いで「推し活」を充実させたい、という人間も山ほどいた。

中学時代の私は、お小遣いの範囲での推し活をするしかなく、女神の出ているテレビ番組やCMにMV、無料公開のライブ映像といったものを、ただひたすら追いかけるだけだった。たまにインタビューやグラビアの載っている雑誌を買ったり、ライブが当たったら親に連れて行ってもらうぐらい。

そんな推し活初心者の私に、同志たちは様々な信仰の方法を教えてくれた。

S N Sで推し活用のアカウントを作って同担と繋がったり、ファンアートを描いたり、推しと同じ物を買って身につけたり、推しが出したグッズやチェキを集めて、「祭壇」と呼ばれるものを作ったり……ワクワクする世界がそこに広がっていた。

特に、同じ推しを好む人──いわゆる「同担」と繋がるという行為は、私にとって新鮮だった。


勿論、クラスの子と喋っている時も充分楽しいけれど、お互いの信仰対象が違うから理解しきれなかったり、話の合わない部分はある。

私達は、あくまで、「推し」に対する感情の温度や熱量を共有しているだけ。

だけど、SNSの向こうにいる同担とは他でもない「女神」その人の話が出来る。

「新曲MVの0:36秒の振り向くシーンの、髪がふわっと広がる瞬間が死ぬほどかわいかった」みたいなことまで通じ合える仲間ができたというのは、最高に幸せだった。

日中、学校にいる間は、先生の目を盗んで、SNSにアップする用の感想をメモに書き溜め。

休み時間は友達と、それぞれの推しについて語り。

放課後は、女神に貢ぐためにバイトをし。

夜は同担と通話アプリで会話したり、女神の映像を見返す。

私の生活は「女神」一色で、私という人間は女神への愛で構成されていると言って良かった。


バイトはコンセプトカフェを選んだ。

単純にベースの時給が高いのと、成績次第では臨時の給料(いわゆるバックと呼ばれるやつだ)がつくというのが魅力だったためだ。

それに可愛い衣装を身につけると、自分もアイドルになったようで悪い気分じゃない。

お客さんと話すのは正直億劫だったけど、そこそこ人気が出たお陰で、私の推し活の軍資金はだいぶ豊かになった。

流石に全国を追いかけるのは無理でも、関東近郊のライブは全通したし、ライブグッズはほぼ全て買った。

だって女神がデザインしたグッズだもん。それは出来る限り買うのがオタクの役目でしょ!

女神の誕生日は、同担を集めてカラオケのパーティールームを貸し切り、盛大に生誕祭を行った。大きいスクリーンで女神のライブ映像を鑑賞するのは最高に盛り上がったし、ああ、そうそう、そのオフ会で「朱音あか」さんとも出会ったんだった。


女神は全国区のアイドルだから、S N Sのフォロワーは当然百万を超えている。

だから私よりも古参なんて死ぬほどいるし、私よりもお金を使うファンももちろん掃いて捨てるほどいる。

それでも現役女子高生の肩書きだったり、オフ会を積極的に取り仕切る姿勢だったり、そういったいくつかの目立つ特徴によって、私はいつの間にかちょっと名の知れたファンになっていた。

あくまで、界隈のごく一部での話だけど。

単なる一ファンでしかない私が、ファンの中で「ミク」という個人として認知される。最初はビビったけど、友達が教えてくれたことには、女性アイドルを推す女性というものは、どうも相対的にちやほやされやすいらしい。

界隈で少しだけ有名になると、たまに知らないオタクからS N Sのメッセージがきたり、ライブの良席のチケットを融通してくれるオタク──いわゆる囲いなども現れた。

囲われて嬉しいかと言われると微妙だけど、そうやって界隈で認められれば認められるほど、女神と距離が近づいていくようで嬉しい。


私は決して、女神と同じく、誰かに信仰される側になろうなんて思ってない。

でも、こんな風にファンの間で有名になり続ければ、いつか女神が私を認知してくれるかもしれない。

目を瞑って想像する。対談動画の時のように、用意された小部屋に、私と女神が並んで座っている。そして女神が、あの鈴が鳴るような可愛らしい声で、

「ミクさんは昔から、私の熱心なファンでいてくれてるんですよ。だから今日はお話できてとっても嬉しい」

──なんてね。

そんな奇跡が起こりっこないのは分かっているけど、どこかに淡い期待を抱いて、私はSNSでの発信やライブ参戦といった活動にどんどんのめり込んでいった。


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