憂鬱なブルーチーム

梧桐 彰

1.クールな先輩

 クールな私が仕事を始めた。


 Windowsが描くどこかの海に十五ケタのパスワードを打ち込んで、機械のような正確さでメールをチェックし終わると、クールにセキュリティ管理ツールを立ち上げる。


 ところでクールな私は今日はデートの予定であり、五時になったらこの欝々とした職場を去り、すばらしい時間を送る予定となっている。


 私はクールなので表情を外に出さないが、心の中はバラ色だ。

 そんなわけで、部長から来ている「今日から大変だろうけどよろしく」という謎メールも何が大変なのかわからないままクールにゴミ箱にぶち込んだ。


優葉ゆうはセンパイ超うれしそうっすね」


 隣から突然話しかけられた。


一成いっせい? どっから生えてきたのあんた?」


「タケノコっすか俺は。さっきからいましたよ」


「心臓が止まるかと思ったじゃない!」


「隣の人が出勤するだけであの世行きとかヤバいっすね」


「語彙力ゴミかよ」


「語彙力パーフェクトっすよ。話しかけただけで心停止するセンパイ、ヤバいしか言いようがないっす」 


 この後輩は一成という。

 なんとなく敬語っぽい発言をしてはいるが、態度は私よりはるかにでかい。

 年長者らしい言動と行動を取っているこのイケ女に対してまったくけしからん奴である。


 なお優葉というのは私の名前である。

 神楽坂優葉。

 ジョシ。

 新卒で入社した保険会社のサイバーセキュリティ部門で八年間エンジニアらしきことをしている生き物。

 彼氏は三年前に居酒屋でナンパしてきた商社の営業である。


「で、なんなの?」

「部長から謎のメール来てません?」

「来てたような気がする」

「あれなんすか?」

「知らない」


「ひでえ。真さんとデートだからって浮かれすぎっすよ」

「なんで知ってるの?」

「五回くらい聞いてるからっす」


 人のプライバシーに首を突っこむ失礼な後輩を無視して業務を再開した。

 こんなアホのくせに、先日こいつは彼女にプロポーズして、結婚式の日程まで決まりやがったのだ。

 今に見てろよすぐに私だってなあ。


 そう思ってマウスを握り住める私の正面、モニターを挟んだ反対側から、弓子ゆみこの声に止められた。


「なんじゃこりゃ」


 首を伸ばして画面に指を向けている。


「エイゾーという会社が作った二七インチのモニターでは」

「いやマジなんじゃこれは。優葉これヤバくないかね?」


 弓子が顔を上げ、後ろのポニーテールがぴょこんと跳ねた。

 ウチの社員はヤバいしか言えんのか。


 しかしなんか顔が真面目だ。

 常に目を閉じてる弓子が眉間にしわを寄せてるところなんか初めて見た。


「これ、サイバー攻撃じゃなかろうか」


「あれ、いやマジこれなんすか」


 一成が弓子のマウスをひったくってセキュリティツールを開く。


「ほんとだ。サイバー攻撃っぽいすね」

「は?」


 慌てて反対側に回り、画面に張り付いた。


 不審な挙動を検知して警告を飛ばすシステム――EDRの真っ赤なアラートが、弓子のモニターに並んでいる。


「三台にウイルス感染の疑い?」


 一成がひったくった弓子のマウスをさらに私がひったくった。

 警告画面を開いて履歴を見る。


「昨晩っすね。開発技術部の進藤ってのがフィッシングメールに引っかかってる」

「うっそ、あいつ?」


「知り合いっすか」

「同期だけど……」


「んあ?」


 弓子が目をこすりながら私からマウスを取り返した。


「六台に増えた」

「へ?」


 弓子が画面右上の更新ボタンを押す。

 そして、三人でぎょっと目を見張った。


「八三台?」

「どうすんすかこれ」


 もう一度更新ボタンを押す。

 警告がさらに増えている。


「三三〇台に増えた。すげえ、俺のポケカみてえ」


「なにバカ言ってんのよ!

 一成、感染封じ込めの手順で隔離するから自分の席戻って!」


「うっす」


「弓子、全社にメール打って。インシデント対応でシステム止まるって!」


「うぇーい」


 そこまで言ってから、ふと思い出した。

 これ、実害じゃなくて訓練だ。


 さっき部長が言ってた謎メール、これの事だ。

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