謎部

初手えあぷ

プロローグ


 ――私の知り合いにね、変な子がいるの。

 その子は綺麗な女の子で、クラスのみんなから好かれてる人気者なんだ。シャープな顔立ちと切れ長の目が大人っぽくってさ、敬語でその子と話す先生もいたりするんだよ。

 それに彼女って勉強もできるの。クラスの誰よりも物知りなの。どれくらい勉強ができるのかと言うと、うちのクラスだけじゃなくて他のとこの生徒からも勉強を教えてほしいって頼まれるくらいすごいの。他のクラスの先生が可哀想なくらい。

 その子と私なんかじゃ次元が違うってかんじなんだよ。一線を画す、って言えばいいのかな。とにかくすごい子なの。

 でもね、彼女はそれを鼻にかけることは絶対にしないんだ。

 人から頼られても偉ぶらないし、誰にでも平等に接してくれる。人格者ってああいう人のことを言うんじゃないかな。……まぁ、ちょっとだけ茶目っ気が多すぎるきらいがあるから、そこは直してほしい部分なんだけど。

 もちろん私もその子が大好きなの。今日もいっぱいお話したんだよ。

 昨日見たテレビ番組とか、休日の過ごし方とか、好きな異性のタイプとか。あとはそうだなぁ……たまに、将来なんかについても話したっけ。

 なんでもその子は早くお嫁さんになりたいんだって。まだ焦る年齢でもないのにね。

 え? 私? いやいや、私は全然考えてないよ。まだ中学生になったばっかだし、園のみんなとも遊びたいし。……も~、どうしてそんなに心配するかなぁ。大丈夫だって。私の順番はちゃーんとお兄ちゃんを送り出してからって決めてるんだから。

 ……まあいいや。それでね、本題はここからなの。

 そうだな~……仮に、その子のことをXって呼ぼう。その方がイメージしやすいし、なんか響きがカッコいいから。Xちゃん……うん、やっぱりカッコいい。これでいこう。

 それでね、肝心のXちゃんが変な子っていう証拠なんだけど――実は、んだ。

 一切っていうのは「全く」の意味。全く、一文字たりともノートに書こうとはしないの。

 しかもただノートを取らないわけじゃない。毎回授業にはきちんと出席するし、一度も授業をサボったことはないのに、それでもXちゃんは頑なにノートを取ろうとしないんだ。

 いくら勉強ができるからって、これは流石に変だよね。

 ね? お兄ちゃんもそう思うでしょ?


×  ×  ×


 話しを終えた幸良こうらは紙パックのイチゴ牛乳で喉を潤す。んきゅんきゅと小気味の良い音を鳴らしつつ、その視線は俺をとらえて離さない。

 自信ありげな瞳曰く、どうだこの謎は果たしてお兄ちゃんに解けるかな、とでも思っているのだろう。

 なんとも可愛い限りである。

 去年までランドセルを背負って俺の後ろを付いてきていたあの幸良が、つい先月からはもう中学生だ。まだ新しい白と紺のセーラー服姿が新鮮で、何枚でも写真を撮りたくなる。

 童顔に映える真ん丸な目。わちゃわちゃと忙しなく動くうすい唇。同年代の女子よりも少しだけ高い身長に似合う肩まで伸ばしたポニーテールがぴょこぴょこと動く。

 まさしく目に入れても痛くない、可愛い妹だ。

 それ故に、今の話は致命的に面白くなかった。

「つまらない。ひどい話だった。特に結婚がどうとかいう部分。俺はまだ認めん」

 兄に了承も得ずに何が結婚だ。どこぞの馬の骨かは知らんが世間を知らなさすぎる。

人の妹と結婚したいのなら、まずは何を押しても兄に許諾を取りに来て、あっさり断られて帰るのが世界の常識だと地球史誕生以前から決まっているのだ。

お兄ちゃん、まだそういうの許しませんからね。

 俺は険しい顔つきで妹の彼氏をぶん殴る妄想を膨らませる。よし。全治二カ月は堅いな。今度来やがったら半年は覚悟しておけ。

「こらこらお兄ちゃん、私の話聞いてた? 誰もそんなこと話してなかったよね?」

 イチゴ牛乳を飲み干したのか、幸良は口寂しそうにストローを口でむぐむぐ弄びながら腰に手を当てる。

 最近、この妹は姉のように振舞うのがマイブームになっているのだ。

「いや言ってたぞ。なんならその話しかしてなかったまである。それぐらい家族の結婚話ってのは重いんだ」

「だ~か~ら~、それは本題じゃないんだって。私が伝えたかったのはXちゃんの不思議な行動の方なの。クラスどころか学校の人気者で顔もスタイルも頭も良いのにノートは取らないって変だよねーってことを言いたかったの」

「スタイルも良いってのは初めて聞いたぞ」

「そりゃあ初めて言ったからね」

 なんだそりゃ。

 やれやれと言わんばかりに首を振る幸良。そういう振る舞いももちろん可愛らしい。だが、ずっと子供のままでいてほしい兄としては肩を竦めるほかなかった。

「謎を解いてほしいんなら情報は後出しにするもんじゃない。幸良だってXちゃんの行動が不思議だったから俺のところに来たんだろ? ここは身内なら無料だからな」

 俺と幸良は同じ中高一貫校に通っているものの、高校一年生の俺と中学一年生の幸良とでは校内で接する機会は少ない。そのため幸良がわざわざ高等部の部室棟に来た理由は俺が所属している〝部活〟に関係していると思っていたのだが……。

「ちがうちがう。私はXちゃんがどうしてそんな行動をしてるのかは知ってるの。ここに来たのは女バスの練習が始まるまでの暇つぶし。ついでに面白い話の一つでもないかな~って思ったからさっきの話をしたの」

そういうことか。

 ああ、なんと健気な心意気だろう。自然と涙が溢れてくる。愛すべき兄との会話を弾ませるべく土産話を持ってきてくれるんなんて……。こうなるともう、やはりどこぞの馬の骨は本当に骨にして然るべきだという考えしか浮かんでこない。Xちゃんとか、ぶっちゃけ心底どうでもいい。

 しかし幸良はそうもいかないようで、大きな目をくるんと丸くする。

「で、で、どうだった? Xちゃんの行動の意味はわかった? 流石にこれだけじゃお兄ちゃんもわからないんじゃないかな」

 わくわく。うきうき。そんな擬音が幸良の体から湧き出している。最愛の兄との会話を全霊で楽しんでいるのがひしひしと伝わってきた。

 恐らく、Xちゃんの話を持ち出したのは少しでも俺との触れ合いの時間を増やしたいがための方便だろう。女子バスケ部の練習が始めるまでの暇つぶしだとかいう見え透いた嘘をついたのも、愛ゆえの奥ゆかしさから出た言い訳に違いない。そんなことをせずとも俺はいつでもいつまでも幸良を受け入れるというのに。

 ああ、妹の愛が重い。嬉しい。いつまでもこうしていたい。

 だが……。

 それ故に、今の話は致命的に面白くなかった。

「見当はついてるよ。残念ながら幸良の期待に沿うのは難しそうだ」

「ええ~、ちょっとくらい悩んでくれてもいいのにー」

 幸良はつまらなそうに嘆息する。幼子が駄々をこねるような態度は生来の幸良らしいものだったが、今の俺はそれを喜べる心情になかった。

 自分の思考回路がつくづく忌々しい。

 わからなければ良かったのだ。ああでもないこうでもないと考えつつ、たまに幸良からヒントでも貰っていれば、和気藹々と兄妹の微笑ましい一時をまだまだ過ごすことができたのに。

 この手の場面に出くわすと、俺は己の無駄に鋭い勘が無性に鬱陶しく思う。

 商売道具を邪険にするのもおかしな話だが、先読みばかりしてしまう自分の性分は正直好きではなかった。

「なんでーなんでー。つまんないでやんのー」

 幸良は独特なイントネーションでひとりごつ。

 ところが、唇を尖らせてはぶーぶーと不満を露にするのにも関わらず、俺の見当が本当に的中しているのかを問うことはしなかった。どうせ当たっていると思ってくれているのだろう。

 それは信頼とも呆れとも受け取れる反応だった。昔から俺の勘が冴えることはちょくちょくあったので、幸良もこういう状況には慣れているらしい。

 この物を言わずとも分かり合えている感覚は、なんとも心地良い。

 ――コンコン。

 だから、平穏を打ち壊すノックの音は聞こえなかった。

「それより幸良、中学生生活はどんな感じだ。もう友達はできたのか」

「あっはは。お兄ちゃん、育代いくよおばあちゃんみたいなこと言ってる。ほんとに心配性なんだから……って、あれ? 今ドアがノックされなかった?」

「気のせいだろ」

 ――コンコン。

 心なしか先ほどよりもドアを叩く音が大きくなった気がした。まあ、それでもまだ音は聞こえないのだが。

「え、やっぱ鳴ってるよほら。っていうか『もしも~し』って声も聞こえるし」

「気のせいだ」

「でもたしかに……」

「そういえば幸良、もうイチゴ牛乳は飲み終わったんだろう。ならこれをあげるから次はお茶でも買って飲むといい。甘いものばかりだと胃も疲れるからな」

 俺はピカピカの小銭を幸良に握らせた。

「えっ、五百円も? やったあ! ありがとお兄ちゃん! その意味わかんない滅茶苦茶な理由でお小遣いくれるのも育代おばあちゃんっぽくて好き! 今度買い物付き合ったげるね!」

 手渡された五百円玉をきゅっと握り、幸良は精一杯の笑みを返してくれた。

 俺はひっそりとほの暗い笑みを浮かべる。

 ふっ、ちょろい。

 たったの五百円でこれだ。二億点の笑顔では飽き足らず、デートの約束まで取り付けることができるなんて。費用対効果がよすぎる。

 その一方で、愛すべき妹がこれほどまでにちょろいと、将来悪い男に騙されやしないかと不安にもなってくる。

 よし。これはもう俺が一生をかけて面倒を見ていくしかない。お兄ちゃん、幸良と良い所に住めるよう全力で馬車馬の如く働くから応援してくれよな!

 ――ちょっと! いい加減開けてくださいよ!

 幸良の笑顔が見られる輝かしい未来に思いを馳せていると、ドアの外からノックの代わりに騒音が聞こえてきた。ちっ。そろそろ限界か。

 とことん気に食わないが、ここまで騒がれては対応せざるを得ない。

 家族団欒を壊す不埒な輩に開く門などない。が、これもお金のためだ。家族のジュース代を稼ぐためにも労働は必須である。

 俺は気乗りしないながらも立ち上がり、空気入れ替えのため開けていた窓を閉める。

 次いで、喉の調子を整えてから来訪者を招き入れた。

「どうぞお入りください。謎部はこちらです」

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