第15話 シノの奮闘記(久次郎の罠)

虎之助、力士、久次郎が髭殿と修業に明け暮れている中、シノも恐るべき敵と闘っていた。


3人の底なしの胃袋と闘っていたのである。育ち盛りの若武者3人と髭殿ひげどのが食べる量は半端では無かった。




シノの朝は早い、目が覚めると直ぐに竈かまどの薪まきに火をつける事から始まる。


彼女は、心の中で炊飯すいはんの歌を歌いながら、毎日の日課をこなす。


(はじめ、ちょろちょろ、なかぱっぱ、赤子泣いてもふた取るな~。ブツブツいう頃、一握りのワラもやし赤子泣いてもふた取るな~、ジュウジュウ吹いたら、火を引いて赤子泣いてもふた取るな~。)


現代と違い、炊飯器の無かった時代は、ご飯を炊くのにも、労力と時間が必要であった。


薪の火付きは悪く、最初はどうしても弱火である、火加減次第でご飯の美味しさが決まる。その為、炊いている間、常に火の状態に意識を傾けていなければならない。昔の人は、その状況を、竈かまどと会話をしてご飯を炊くという風に表現していたくらいである。




竈かまどと会話をしながら、4人のオカズを準備する。前の日の夜に、お米を研いでおく、漬け物、主菜の一品の下ごしらえをする等の段取りを済ませているので、正に心の歌をリズムにしてダンスしているように、次々と朝食の御膳に料理が準備されていく。


シノは、気づいていないが、シノの母が厳しく教えた良妻教育が、日の目を見ている瞬間ときである。




朝食が終わり、4人が修業に出ていくと、食器洗い、洗濯、掃除、掃除が終わると、4人に食べさせる夜食の下ごしらえをするのである。


小麦粉と、塩水だけを使ってうどんの生地をつくり、足で踏んで細くし、其れをたたんで、また踏んで細くし、その手順を繰り返す。




生地を切ってうどんの麵ができる頃には、4人が帰る時間になっている状況である。


家事をこなしているシノ自身は、感じていないが、もし虎之助がシノの1日をずっと見ていたら、シノの仕事量の多さに驚いた事だろう。


正に、彼らの修行の量に匹敵する仕事量である。




シノ自身もご飯の準備をしているだけで、1日が終わってしまう実感があった。


ただ、料理をしているシノの気持ちは、最近どんどん明るくなっていた。


なぜなら修業が始まった頃、力士殿、久次郎殿、髭殿とは、遠慮も有り、会話をする度に緊張していた。


合宿の日々が過ぎる毎に、少しづつ彼らとも、もちろん虎之助との距離も近づいてきいる様に感じていた。


その理由は、振舞ふるまった料理を4人は総てキレイに食べてくれて、彼らは必ず、美味しかったと言ってくれるし、何時も有難うございますと言ってくれるからだ。


その二つの言葉を言ってもらえるだけで、シノは自分の存在価値と、やりがいを感じたのである




最初、名前に殿を付けて読んでいた3人の名前も、いつしかシノは、3人の事を親しみを込め、リキ(力士)さん、キュウ(久次郎)さん、ヒゲ殿(長頼)と呼ぶようになっていった。呼ばれる側の3人も、まんざらではなく、気に入っているようであった。


力士と久次郎は、シノの事を様をつけて呼ぶ、シノ自身は、様をつけるのは仰々(大げさで)しくて恥ずかしいと、断ったのだが、主君の奥方であるので、当然ですと押し切られる形で定着してしまった。


3人のやり取りを聞いていた虎之助が、『じゃあ、俺の事は虎之助様だな。』と言うと、『お前は、トラで十分だ。様を付けられたかったら、立派な主君にはやく成れ』と二人が口を揃えて虎之助に返す。そんな3人を見て、笑ってしまい、本当に仲がよいと感心するシノであった。




ヒゲ殿こと、長頼もいつもシノの作るご飯を『美味しい、美味しい。』と食べてくれる。食べる量は、驚く事に、若い3人と一緒である。


最近、見るからにヒゲ殿は肥って来ていた。シノも気を利かせて、量を減らそうとしたが、量を減らした膳を準備していた日、たまたま久次郎が台所にやってきて、1人前だけ、量が少ない事に気づいた。




シノは、ヒゲ殿の状況を説明し、彼の膳の食事は少なくしていると説明した。


久次郎は、それを聞くと何も言わず、ヒゲ殿の膳の料理の量を増やし始めた。


『それでは、皆さんの量より多くなってしまいますが・・・。』とシノが言うと、久次郎は、『ヒゲ殿は、我ら3人の相手をする為、少し多めの方が良いのです。』と作り笑いの様な笑みを残して、シノに説明した。




ヒゲ殿は、シノの料理に魚が出たりすると、食べる前に頂きますを言うように『往生しろよ。』と優しく言う癖が有る。


シノは、その言い方がとてもかわいらしく聞こえ、虎之助から聞いた模擬試合のヒゲ殿の怖さを、その時の彼が言う同じ言葉の迫力がピンと来ないのであった。




ふっくらとしたヒゲ殿が美味しそうに魚を食べようとしている姿を見て、『もうそろそろだな・・・。』久次郎がニヤリと笑って、美味しそうに自分の味噌汁を啜すすった事を、シノは気づかなかった。




このように誰も気づかないシノの奮闘が有って、4人の修業は充実したモノになっていたのである。




『最近、なんか体の動きにキレが無くなって来たような気が・・・。』


『そんな事は、ありませんよ。私達の実力が上がったんですよ(笑)。』


ヒゲ殿と、キュウさんの会話が聞こえてくる中、シノは玄関の扉を開けた。




扉をあけると、冷たい風が入ってきた、冬の寒さが増し、お正月が近づいてきていた。


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