第12話 前田家の盾(槍の又兵衛、愛称はヒゲ殿)

秀吉との会談が終わり、秀吉と秀長は別件もあり、部屋を後にした。


秀吉から紹介された村井長頼と、虎之助は二人だけで部屋に残り、今後の打ち合わせをする事にした。


村井長頼は、その年33歳になる壮年の武将であった。彼の特徴は、顎あごの真ん中と、左右にそれぞれ独立している立派な顎髭あごひげある事であった。


彼には、二つの渾名あだながある。一つは、その立派な髭ひげに殿どのをつけ、髭殿ひげどの、彼の主君利家は、彼を親しみを込め髭殿ひげどのと呼んでいた。




もう一つは、前田家中の同僚から通称又兵衛またべえと呼ばれていた。この呼び名の由来は、主君利家の正式名称前田又左衛門またざえもん利家の名前から直々に又の字を与えられ、自分に次ぐ槍使いという意味で、又兵衛というあだ名を付けられたのである。




利家と長頼の関係は長く、利家が青年時代、信長の寵愛を受けていた茶坊主拾阿弥じゅうあみが利家の岳父の形見である笄こうがい※を盗んだ事が発覚し、口論の末勢い余って利家が拾阿弥を惨殺してしまった事件がおこった。事件の後、信長は激怒し、利家を織田家から追放した。


浪人となり無禄となってしまった利家を前田家の多くの家来が見捨てる中、長頼だけは見捨てず、その時代も彼に付き従ったのである。当時利家20歳、長頼16歳であった。




二人は、戦のたびに信長に無断で戦に参加し、敵軍の首を取っては、報酬の代わりに織田家への帰参きさんを願ったが、信長は簡単には許さず、帰参までに幾つもの武功を立てたが、帰参までには2年かかったのである。


その苦難の時代も、又織田家の帰参が許されてからも、長頼は常に戦場で利家の傍に仕え、何度も敵の刃から自らの身体を盾として利家を守ってきた男がこの村井長頼という男であった。




前田利家は、その自分の盾を惜しげも無く、秀吉に貸した事からもわかる様に、利家と秀吉は同僚であり、親友であった事が分る。


利家は、信長の譜代の家臣の息子であったが、前述した笄こうがい事件の件で一度野にくだり、正に0から再び出発をした男であった、秀吉は自分と同じスタート地点から再びのし上がってきた利家を、誰よりも評価し信頼していたのではないかと思われる。




長頼は、その自慢の自分の髭に手のひらをあてながら、虎之助を見た後、『虎之助殿、一つお聞きしたいのだが、人を殺めた事はあるか?』と長頼は、穏やかな声で聞いてきた。


『初陣も未だですので、未だ一人も殺めた事は有りません。』と、虎之助は素直に答えた。


『・・・フム、それでは、槍の流派は、鍛錬は主にどのような事をしているのかな?』と長頼は、虎之助の槍術の状況を詳細に確認し始めた。一通り、虎之助の答えを聞き、虎之助の状況を理解した長頼は、暫く思案を巡らせる様に沈黙した。




暫くの沈黙の後、虎之助に2つの要求をした。


1つ目の要求は、3日以内に訓練の補助をする者を2人用意する事。


2つ目は、その二人と虎之助、長頼の4人の衣食を世話する者を用意する事であった。


御前試合迄の6ヶ月間、秀吉に頼んで、ある神社の近くで合宿する事になっていると説明し、準備が出来たら、其処に来いと神社の名前を告げられた。


『承知致しました!!』秀吉に答えたように、虎之助は再び大きな声で答え、頭を下げたのである。




話が終わり、部屋を出た虎之助は、歩きながら、シノの顔と、幼馴染の二人の顔を思い出していた。


シノは虎之助の要望を受け入れてくれるだろうか、幼馴染の二人も願いを聞いてくれるか心配であったが、何よりも6ヶ月後に御前試合をする森長可について想像し、見知らぬ強敵の影を自分の身体の何倍も大きい男を想像し、人知れず自分の心の中に生じた恐怖心と戦っていた。




※笄こうがい:髪を掻き揚げて髷まげを形作る装飾的な結髪けっぱつ用具 。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る