第4話晩餐【1】(御袋ネネ様)
虎之助達と別れたシノとイトは、緊張しながら案内の女中に導かれ、秀吉の正妻寧々ネネの待つ部屋にゆっくりと向かっていた。
廊下を歩いてる途中から、食欲をそそられる美味しい匂いが二人の鼻に届いてくる。
二人は、互いに聞き取れていたか分からないが、二人のお腹は匂いにつられてほぼ同時期に小さく鳴っていた。この姑と嫁になった新コンビの二人とも、極度の緊張のあまり、祝言に出された御馳走をほとんど箸をつけていなかったのである。
『ゴホン、ごめんね、風邪かしら・・。』
イトはわざとらしく独り言をつぶやき、できたばかりの花嫁さんに聞かれない様に、空咳をした。
シノは、緊張しすぎていた為、新しくできたばかりの義母の呟きに反応する事ができず、唯沈黙し目が合わない様に前方の床を見る事しかできなかった。
まるでイトのお腹に、『私だけだと恥ずかしいじゃないの、あんたも鳴ってよ』と促された事に応える様に、遅れて『キュルキュルっ』とかすかにシノのお腹も鳴った。
ほんのわずかな時間であったが、シノは顔から火が出る程恥ずかしく感じた。
が、新米姑のイトはその音で彼女の状況を察する事ができ、こんな身分の低い私達との祝言に身分の高い娘さんが自分達と同じように緊張してくれたんだと、シノの腹音が少し嬉しかった。
『ネネ様、お二人が到着されましたのでお通し致します。』
『うわぁ、もう来たの、ちょっと待ってぇ、・・・ヨシ、良いよ、入って下さい。』
優しい大きな声が聞こえたと思うと、部屋の襖が開いた。
部屋には、目が丸く、ちょっとふくよかな小柄で人柄の良さそうな女性が、3人分の食事を準備して待っていた。後に、豊臣譜代の大名総ての者から敬意と憧れを込めて『御袋様』と呼ばれるネネは、満面の笑顔で二人を自室へ招きいれた。
『イトさん、シノさん、初めまして私、秀吉の妻ネネです。宜しくお願い致します!。』
『まずまず、お腹すいてるでしょ、ご飯準備しているから、座って一緒に食べましょう、自己紹介はその後で、ねぇ』と別室で秀吉が片家と会ったばかりに両手を掴んだように、ネネは二人の手を取って強引に各自の食膳の前に誘導し座らせる。
イトは、一度席にちょっと座ると、直ぐに用意されていた食膳に頭が当たらない様に一歩下がり
頭が当たらない位置で頭を畳にこすりつけた。シノもほぼ同時に同じ様に頭を下げた。
『この度は、不肖の息子、虎之助にこの過分な程の良家とのご縁談を持ってきてくださり、ありがとうございました。なんてお礼を言っていいのかわかりません。本当に有難うございました!』
謝意を述べた後、再びイトが頭を下げると、シノも又頭を下げる。
『いえ、いえ、私は何もしておりません、秀吉の仕業でございます、あの禿ネズミの・・!』
『二人には、いや、両家の皆様には、夫秀吉の身勝手で、いらないプレッシャーを与えて、ごめんね。うちも、秀長さんも、両家の皆さんに、悪い事をしたと気が気じゃなかったのよ。』
『私も、秀吉と結婚した時に、実の母と揉めてね、大変だったから、分かるのよ…。』
『祝言の一週間前から、準備が行き届いているかが気になって、秀長さんと会う度に、どうなっているかを確認していたんだけど、秀長さん、緊張があるレベルを超えると、何を聞いても、ドスコイとしか言えなくなるし、今お二人の顔を見て安心したわぁ』とネネはおどけた様子で返答した。
シノは頭を下げたまま、何が何だか分からなくなっていた。
今日一日で、今この時、自分の17年間を否定されている気持ちになっていた。
今まで周囲から、シノは大人しいけど常識が有り、良い娘という言われてきた。
が、そんな周囲の評価は、決してシノの生来の性分ではなく、シノが厳しい花嫁修業の中、努力し勝ち得たものだった。一朝一夕で培ったものではない。
(何だ、この距離感、この近さ・・・。長屋で、クマの様な男と祝言を上げる運命については、受け入れる自信があった。しかし、ほぼ周りは総て敵と思えと、お家の為身を捧げよという母の良家教育スパルタが無駄だったのではないかという気持ちが生じる程、ネネの声、態度は優しかったのである。
『さあ、お二人とも頭を上げて、ご飯食べよ、さめちゃうよ』
『二人を虐めた禿ネズミには、私からお灸をそえておくから、許してね、私のお灸は、秀吉が悪さをする度に、秀吉が寝ている時に10本ずつ髪を抜くのよ、あの人昔から浮気症でね、若い時から繰り返してたら最近本当に禿げてきちゃって、ウフフ。』
その言葉を聞いて、シノは思わず笑ってしまった。(ユーモアが有って本当に素敵な女性ひとだな・・・。)
イトは、その言葉を聞いて以前秀吉の母ナカから聞いていた相談事を思い出していた。
秀吉の頭の禿げが年々進んでいる事をナカは働き過ぎではないかと何かの病気かと心配して、イトに相談していたのである。
『秀長なんかは、まだフサフサよ、やっぱ父親が違うからかしら、キャ・・・。』
ナカのおどけた表情と共に、その時の相談内容をイトは思い出した。イトは、ナカの最後のキャの意味が分からなかったし・・・、でもあの時ナカちゃんの様子もそれ程深刻で無かったし、そんな事を心の中で言い訳しながら、自分が思ってもみなかった事実をどう処理しようか考えた。
(ナカちゃんには・・・・、言わない方が良いわよね、・・・聞かなかった事にしよう。)
イトも、顔を上げ自分の席に座る事にした。
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