41話、真っ赤なトマトスープと血がしたたるようなレアステーキ
私が最初に口をつけたのは、真っ赤なトマトスープだった。
スプーンで一すくいすると、真っ赤なスープの中に隠れていたトマトの果肉があらわれる。
角切りにされたトマトは煮込まれたことで少し崩れていて、不恰好なその形がむしろ味が染み込んでいておいしそうという印象に繋がる。
トマトの果肉ごと静かに口に入れ、咀嚼していく。
真っ赤な見た目とは裏腹に、スープ自体はブイヨンのしっかりした味だ。そこにトマトの酸味が程よく混ざっている。
そしてトマトの果肉を噛むと、より強い酸味が口の中を襲う。
あっさりとした味ながらも酸味が強く、飲めば食欲が沸いてくるスープだ。
このスープを飲むと、なんだか味が濃くて食べごたえのある料理が恋しくなる。
おそらく、肉料理に合わせるためにそう作ってあるのだろう。
誘惑されるままレアステーキに手を付けたいところだったが、それよりもまずパンに手をつけた。
お肉は好きだし、スープのおかげで今すぐにでも肉汁溢れるステーキが食べたい。
でもそれよりも先に、この酸味のあるトマトスープと小麦の良い匂いが漂ってくるパンの相性の方を確かめたくなったのだ。
だって私、スープにつけたパンが何よりも大好物だしね。
とのことで、まずはパンを一口かじってみる。
パンも肉料理に合うように作られているのか、柔らかくてもちもちとした食感だった。
それでいて小麦の良い匂いが広がって、ほんのり塩気と小麦の甘みが聞いている。
このパンに切ったレアステーキを乗せたら、肉汁が染み込んでとてもおいしいのだろうな。
いや、今はお肉よりもスープとの相性だ。
私はパンをちぎって軽くスープにひたしてみた。
もちもちしたパンはあっという間にスープを吸収して、真っ赤に変色していく。
それをスプーンですくい、スープと一緒にひたしたパンを食べてみる。
ブイヨンとトマトの酸味が聞いたスープに小麦の匂いと甘みが加わって、非情においしい。
このスープとパンだけでもう十分満足できる。
でも今日のメインはレアステーキだ。私はそちらに目をうつした。
お肉は結構分厚めで、ぱっと見二百グラムはあるだろう。おそらく種類は牛肉。
かけられているソースからはガーリックの匂いがする。
スープとパンのおかげですっかり肉の味が恋しくなった私は、フォークとナイフを手にしてレアステーキを切っていく。
ナイフを通すと、お肉はあっさりと切れた。柔らかい。どうやらかなり上質の肉を使っているらしい。
切っても断面から肉汁があまり出てこなかったが、おそらく焼いた後少し熱が落ち着くまで待ってお肉を休めたのだろう。
肉の断面は照明を反射してきらきらと輝いていて、肉汁がそこに溜まっているのが分かる。
更にナイフで切って一口サイズにし、レアステーキを口に入れてみる。
レアステーキだけあって、とても柔らかい。噛むとすぐに溶けていってしまうようだ。
しかし肉汁がたっぷりと溢れてきて、お肉を食べているという豊かな気持ちにさせてくれた。
ソースはお肉を焼いた時の肉汁と油を使ったのだろう。ガーリックの風味がよく効いていて、レアステーキの味わいを一段階引き上げていた。
この柔らかいお肉ともちもちしたパンを合わせたらどんなにおいしいだろうか。
早速私はパンをちぎり、切ったお肉を乗せて一緒に食べてみる。
当たり前だけど、とてつもなくおいしい。
柔らかいパンと噛むだけで溶けるような牛肉。ガーリックの風味にパンの甘みと塩気、そして肉汁の旨み。
どれもがうまく調和していて、まるでこうして一緒に食べるために生まれてきたかのようだ。
料理のおいしさのあまり、私は黙って食べ続ける。
すると正面に座っていたベアトリスが楽しそうに笑い出した。
「ふふ、夢中で食べているわね。気に入ってくれて嬉しいわ」
そういえば、彼女は人と会話をしながら食事をするのは久しぶりだと言っていた。
ならばこうして黙って食べ続けるのは彼女の本意ではないのかもしれない。
別に咎める意味合いはなかったのだろうが、私は少しバツが悪くなって愛想笑いを返した。
「スープもパンもお肉も、とてもおいしいですね。もしかして全部あなたが作ったんですか?」
「ええ、こんなところに住んでいると、料理しか楽しみがないのよ」
どことなくうんざりするようにベアトリスは溜息をついた。
「でもね、こんな辺ぴなところでも、たまに旅人が迷い込んできたりするの。リリアさんのようにね。料理以外の楽しみといったら、それくらいかしら」
先ほどとは一転して、ベアトリスはにこりと笑う。
しかしそれは、今まで浮かべた笑みとは何かが違う。
「リリアさんは、こういう噂を聞いたことがあるかしら? 森の中の洋館に吸血鬼が住んでいて、迷い込んだ旅人を襲う、なんて噂」
「……さあ、聞いたことありませんけど」
「そう、やっぱり」
彼女の言っていることがよく分からず、私は怪訝な表情を返した。
「どうもそういう噂が近くの町で流れているらしく、たまに迷い込んだ旅人が勘違いするのよ。ここが噂の吸血鬼の館だ、ってね」
「それはまた迷惑な話ですね」
「ええ、まったくだわ。でも、最近は逆にそれが面白くて、わざと旅人をからかったりするの」
「からかう?」
「ほら、血のように真っ赤なトマトスープを出したり、新鮮なレアステーキを出したりしたら、なんとなく吸血鬼っぽいじゃない? 噂を信じている人だったら、この辺りで冷や汗をかきはじめるのよ。私、それがとてもおかしくって」
ベアトリスはくすくすと笑いながら続けた。
「でもリリアさんはそういう様子がないから、ああ、この人噂を知らないんだな、って思っちゃって……ふふ、そのことに気づいたら、とたんに私何してるんだろうって思っちゃって、面白くなってきたわ」
……この人、割とまともそうな人だと思っていたら結構な変人らしい。
私は何て言葉を返していいか分からず、苦笑いするしかなかった。
「ごめんなさいね、あなたの知らないところで勝手にからかうマネをして。でも、こんなところではそれくらいしか楽しみがないのよ。許してちょうだい。お詫びにとても良い部屋を貸してあげるから」
ベアトリスの張り付いたような笑みを眺めながら、私はぶどうジュースを一口飲んだ。
それから他愛もない話を交わして、晩餐は普通に終わった。
食後、お風呂を借りた私はライラと一緒に入った。
その間にベアトリスは私たちが泊まる部屋を準備していたらしく、お風呂から出た私たちは案内されるまま彼女の後ろをついていく。
「今日はこの部屋に泊まってちょうだい。ベッドくらいしかないけれど、一晩過ごすのに問題はないはずよ」
ベアトリスがそう告げて立ち去るのを見送った後、私たちは案内された部屋の中に入る。
ベアトリスが言った通り、ベッドしかない殺風景な部屋だった。
その部屋に入るやいなや、食事中からずっと口を開かなかったライラが私の耳元に飛んでくる。
「リリア、本当に今日はここに泊まるつもり?」
「うん、そうするしかないでしょ。なにか問題でもあるの?」
「問題っていうか……私、やっぱり嫌な気配を感じるの」
この洋館に着いてからライラはずっと様子がおかしい。終始不安そうな顔をしている。
ひとまずライラが何を感じているのか、しっかりと聞いてみよう。
「嫌な気配って具体的にどういう感じ?」
「それは……うまく言えないけど、魔力の気配に似ているけど似ていないっていうか……」
「魔力の気配ね……」
実を言うと魔力の気配は私も少し感じていた。
ただそれは、この森に入ってから多かれ少なかれ感じていたことなので、特に不思議には思っていなかったのだ。
こういった深い森は魔力を生み出す植物が生えていたりするし、魔力の気配を感じるのは別段変なことではない。
この洋館は森の中に建てられていることもあり、中にいても魔力の気配を感じるのはまあ当然だろう。
だがライラの様子からすると、彼女の不安はそういったことに起因するものではないらしい。
ライラは自分の抱く不安の元を探すように押し黙った。
重い沈黙が少し流れた後、ライラが意を決したように口を開く。
「……吸血鬼よ」
「へ?」
「だから、吸血鬼っ。あの金髪はきっと吸血鬼なのよ!」
「いや……えー? ちょっとどうしたのいきなり」
「だってそうとしか考えられないじゃない。あの青白い肌、赤い目、金髪! ああいうのは吸血鬼って相場が決まっているのよ! 妖精でも分かるんだからこれくらい!」
確かにおとぎ話とかで吸血鬼が出ると、そういう容姿を語られるけど……。
「いやー、吸血鬼とか存在しないでしょ」
「魔女のリリアがそれ言うの!?」
だって私吸血鬼見たことないし、吸血鬼を発見したって人も知らないし。
だいたい魔女は結構体系化されている存在だ。だから割と世間に周知されているし、私のように魔法薬を売ったりできる。
でも吸血鬼は……伝承の中の生物じゃん。
「この部屋もよく考えると変だわ。ほら、窓とか開かないし、部屋の鍵もない! これじゃあ外に逃げられない上に扉から侵入され放題じゃない!」
「普段使ってない部屋だから窓は錆びついてるんじゃない? 扉の鍵も宿じゃないんだからつける理由もないし……」
「じゃああんなに若い少女がこんなところで一人暮らしをしているっていうのはどうなの? 変じゃない?」
「……」
それは確かに、変だけど。
それに、ベアトリスの見た目にそぐわない落ち着いた態度に引っかかったのは事実だ。
「吸血鬼ねぇ……だとしたら、自分から吸血鬼の噂を言うのは疑問だけど」
「あれはカモフラージュよ。自分からそう言いだしたら、吸血鬼なわけないって思いこませられるでしょう? もしリリアが吸血鬼の噂を知っていたとしても、結局からかっていたということにして吸血鬼はいないんだって安心させていたはずだわ」
「……一応筋は通ってるかな」
吸血鬼……か。
私がふと思い出したのは、かつて砂漠で発見した魔術遺産のオアシスだった。
魔術遺産はいわば土地に宿る呪い。だから通常起こり得ないことが起こったりする。
そんな物が世界には普通に存在するのだから……もしかしたら、あり得るかもしれない。
吸血鬼……ではなく、土地に宿った呪いによって吸血鬼のような存在が生まれることが、だ。
「……ま、妖精のライラの勘は貴重だし、警戒するに越したことはないか」
「警戒じゃなくて逃げましょうよぉ……」
泣きそうな顔をするライラだが、私としてはぜひ一泊したい。
だってベッドふかふかだし……野宿よりこっちの方がいいし。
なにより彼女が本当に吸血鬼だとしたら……魔女としてやっぱり興味がある。
私の仮設どおり、魔術遺産のような概念なのか、それとも掛け値なしに正真正銘の吸血鬼なのか。
どちらにしても、詳しく知りたいところだ。
「ま、それはあの子が吸血鬼だったとしたら、の話だけど」
私はあくびを一つかいて、ベッドに飛び込む。
「ちょ、ちょっと、まさか寝るつもり?」
「うん……だって眠いし」
「私の話聞いてたの? 絶対あいつ吸血鬼よ。寝てる間に血を吸われるわよ!」
「大丈夫……もう対策したから」
「いつ!? バカみたいにあくびしてた時!?」
誰がバカだよ……。
「私を信じなよライラ。もしベアトリスが吸血鬼だとしても、私の血を吸いにきたとしても、別に問題ないから」
「……あまり信じられないんだけど」
「そこは素直に信じようよ」
私はため息をつき、ライラを安心させるよう言葉を重ねる。
「ライラと出会ってからこれまで、一緒に過ごしてきたじゃない? 思い出してみなよ、私結構頼りになったでしょ?」
「……思い返してもごはん食べてるところしか印象に残ってないわ」
「うん……実は私も自分で言っておきながら、頼りがいあるところを見せた心当たりなかった」
そんなのはライラを救った時くらいかな……。
「とにかく、大丈夫だから。心配しないでライラもゆっくり寝なよ」
そう言って私はベッドに体を預けた。
ふかふかのベッドは、すぐに私を眠りの海へと引き込んでいく。
うつらうつらとしながらライラを見てみると、彼女はやっぱり不安そうな顔をしていた。
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