光と闇の戦士たち(8)

 森が風に揺れている。

 頭上では木漏れ陽が踊り、新緑の香りが鼻先にまで運ばれてきた。

 元の世界へ戻ってこれたあたしは、プリシラと一緒にブナの幹に背中をあずけてすわっていた。

 穏やかな寝顔は、ほんとうに眠っているようにしか見えない。

 けれども、二度と目を覚ますことはない。彼女の魂は、安息の地へと旅立ってしまった。

 今までの冒険が──すべての出会いと別れが、まるで遠い夢の中の出来事のように感じてしまう。


「みんな……死んじゃった……」


 世界は救えたけど、その代償として、光と闇の戦士たちは生命いのちを失った。あたしだけがなぜか、ひとり生き残ってしまった。


「なんで……どうして、こんな……」


 両手で泣き顔を覆う。

 仲間たちの笑顔や数々の思い出。戦闘での勇姿が瞼の裏で鮮明によみがえっては消え、また浮かんでは儚く霧散してゆく。

 それらの記憶も、時が経てばすっかりと忘れてしまうのだろうか。あたしは怖くなってきて、悔しくなってきて、もう一度泣いた。


「みんな……どうして……どうしてなのよ……!」


 すると、暗かったはずの視界が急激に明るくなって黄金こがね色に染まる。

 驚いて顔を上げれば、なんと目の前に光の女神フリーディアの幻影が、まばゆい光に包まれて佇んでいた。


『ロア、よくぞ生きて戻ってくれましたね。あなたたちの活躍により、ダ=ズールは闇の世界へと還されました。ふたたび姿を現すことは、もうないでしょう』


 心地よい調子の声色と穏やかな笑顔で労いの言葉をかけてくれた光の女神に、あたしは躊躇いなく疑問をぶつける。


「フリーディア様……あの……マルスたちはどうなるんですか? プリシラもおっさんも、魂は無になって消えてしまうんでしょうか?」


 長い沈黙のあと、答えがようやく返ってきた。


『マルス、プリシラ、ガルラスはこの冒険で三度死んでしまいました。死の上限に達した者は、何人もその魂が転生される事はありません』

「そんなっ! 大崩壊の危機を救った光の戦士がどうして……ミメシスやヴァイン、ダイラーもセーリャも……みんな……みんな生命いのちを投げ出して戦ってくれたんですよ!? それなのに……それなのに……どうしてなんの罪もない母子おやこまで死ななきゃならないのよ!?」


 掴みかかろうと立ち上がったけど、どんなに力を込めても前に一歩しか進めない。光の波動の力で、それ以上近づくことが出来なかった。


『あなたたちが神につくられたように、神々もまた、つくられた存在なのです。残念ながら、神ですらそのことわりを曲げることは許されないのです。ですが……それではマルスたちがあまりにも不憫でなりません。せめてもの救いとして、わたくしの魂を彼らに分け与えましょう』

「フリーディア様の……魂を……? そうしたら、フリーディア様はいったいどうなってしまうんですか?」

『神という存在でいられなくなりますが、わたくしはかまいません』

「あ……ありがとうございます、フリーディア様!」


 泣き腫らした顔で感謝の言葉を述べるあたしに、女神フリーディアは優雅な微笑をみせて応えてくれた。


『偉大なる戦士たちの魂よ! 死出の理に逆らい、時空の狭間へ戻りたまえ!!』


 プリシラの身体がキラキラと金色に輝き、光の粒子に変わってゆく。そして、上空に舞い上がってどこまでも高く飛んでいった。

 やがて、小さな光の結晶がその場に一粒だけ残された。

 今にも消えてしまいそうなほど繊細で、それでいて、どこか力強さも感じさせるあたたかな光だった。


「フリーディア様、これって……」

『それは、この世に生まれるはずだった希望の光。マルスとプリシラが育んだ愛という名の新しい生命いのちです』

「この子はどうなってしまうのですか?」

『マルスたちと同様、時空を超えた世界へと旅立ちます』

「そんな…………フリーディア様、最後にひとつだけお願いがあります」

「……ロア、本当によいのですね?」


 フリーディア様はすべてを察し、理解してくれていた。


「はい」


 視線を光の結晶に戻す。

 そこにあるのは、かすかに息吹く新しい生命いのちの輝き。

 どこかへ行ってしまうのなら、せめて、このあたしが──。

 光の結晶はフウッとかろやかに浮かび上がると、ゆらゆらと風に揺らぎながら、あたしの身体の中へ入っていった。

 そっとお腹に触れてみる。

 気のせいか、小さな鼓動が響いて感じられた。

 ふたたび顔を上げたときには、女神フリーディアの姿は消えてしまっていた。


「ありがとうございます……本当に……本当にありがとう」


 涙が自然とこぼれ落ちる。

 これで良かった。

 良かったんだって、あらためてそう自分に言い聞かせた。


「──なんだ、腹を押さえて? 涙まで流すとは、余程の空腹なのだな」


 突然、聞き覚えのない声がした。

 辺りを見まわしたけど、誰の姿も見えない。


「おい、無礼なヤツだな。ここだ、下を見ろ!」

「みゃ?」


 言われたとおりに下を見ると、不愉快そうな顔をした五歳くらいの小さな女の子が、あたしを見上げてにらみつけていた。

 濡羽色の長い髪に深紅の瞳、それと、ちょこんと先の尖った長い耳がお人形さんみたいで愛らしい。でも、女の子の顔に全然見覚えがなかった。


「えーっと……ねえ、迷子になっちゃったのかな? お母さんたちとはぐれたの?」


 視線を合わせようとしゃがみ込んだあたしを見て、女の子はさらに不機嫌そうな顔つきに変わる。


「おまえ……まあ、こんな見てくれではわかるまい。ロア、我だ。ミメシスだ」

「え? あなたって…………ミメシスなの!?」

「そうだ。ヴァインとひとつになって・・・・・・・肉体を得たのだ。もっとも、お互いが瀕死だったがゆえに、子供の姿となってしまったがな」

「……えっ、えっ、ええええええっ!!」


 こんなことってある!?

 死んだと思っていたミメシスが──ううん、ミメシスとヴァインが生きていただなんて、なんて素敵な奇跡なの!


「やだぁ……もう………………ミメシスぅぅぅぅぅぅ!!」

「ぬぁっ?! やめろ、離せっ、顔をくっつけるな! 勝手に我の身体を持ち上げてクルクルと回るなぁぁぁぁぁ!!」

「あはははは、嬉しくってつい。ごめんごめん」


 ちっちゃくなったミメシスをそっと地面に下ろす。怒り顔のクシャクシャになった髪を、あたしは手櫛で簡単に整えた。


「でも、本当に会えてよかったよ! ミメシスもこっちの世界に来たんだね」

「うむ。あのままエレロイダに残ったところで、食う物にも困るからな。それに、せっかく身体を手に入れたのだ。我は人生を謳歌したい」

「あははは、だよねー。あっ、そうだ。どうせ行くあてがないだろうから、うちに来なさいよ」

「ロアの家に? 本当によいのか?」

「大丈夫、大丈夫。うちって超お金持ちだから、チビッ子のひとりやふたり、食いぶちが増えたところで……あ」

「むっ? どうかしたのか?」


 そうだ、忘れてた。

 赤ちゃんのこと、パパになんて説明しよう……。

 無断で冒険の旅に出ていった娘が帰ってきたと思ったら「お腹に赤ちゃんがいます」って言われた日には……どこの家庭でも、めっちゃ怒られるパターンだよねやっぱり……。


「顔色が悪いぞロア。やはり腹が減っているのか?」

「うん……て言うか、むしろ食欲が激減なんですけどね……」


 でもまあ、いっか。

 何事もなんとかなる。

 ラストダンジョンで生き残れたんだから、この先の人生なにがあろうと、きっと勇猛果敢に立ち向かえるはずだ。


「よし、おうちに帰ろう!」


 あたしはミメシスの小さな手を握りしめ、移動魔法を唱えた。

 ……けど、魔力が足りなくて一ミリも飛べずに徒歩で森をあとにした。


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