十五センチの魔法

 次のフロアに問題なく着いても、あたしの高い心拍数は変わらずノンストップだった。

「止まったら死ぬだろ」とかのツッコミはいらない。ようするに、胸の高鳴りが止まらないって言いたいわけなのよ。

 足裏から、ゴツゴツとした地面の感触と無機質な冷たさが伝わってくる。裸足はだしだからあたりまえだ。


「うわっ、また来た!」


 邪悪なモンスターたちの気配を感じるとすぐに隠れ、それをやり過ごしながら先へと進む。

 絶対に戦闘はさけたい。

 なにひとつ身につけていないため、あたしの防御力はゼロ。ちょっとした攻撃でも充分な致命傷になり得る。


 ただし──。


 その姿は入浴前となにも変わらない、最終決戦に向けたフル装備の姿だった。ミメシスの言葉を信じるなら、そのはずだ・・・・・


 エレロイダラットに所持品すべてを盗まれて絶望するあたしに、ミメシスは幻影魔法を使って元どおりの格好にはしてくれていた。

 けれども、その魔法は光の屈折を利用した原理で成り立つらしく、半径十五センチ以上離れた相手にのみ限定で幻を見せるらしい。つまるところ、あたし自身には自分の身体はすっ裸にしか見えてなくって、ミメシスが嘘をついていたとしてもわからないのである。


「ミメシス……お願いだから〝嘘ぴょ~ん♪〟とか言わないでよね……」

『む? なんの話だ? そんなことより、敵のお出ましだぞ』

「げっ!? いつの間に……!」


 言われて気がつけば、強靭な肉体を裸同然に晒す赤い人型モンスターが、ダンビラを片手にのっしのっしと蟹股歩きでやって来る。頭から二本の短い角が生えてもいるし、おそらくは鬼人族オーガの仲間だろう。

 ラストダンジョンでひとりぼっちになってからというもの、魔物はすべて淫獣にしか見えなくなったあたしは、違う意味でおびえてしまい走って逃げだす。

 なんか後ろで「フンガー! そっちに行くな!」とか聞こえてきたけど、知ったこっちゃない。


「ハァ、ハァ、ハァ……ま……魔法円! 次の……どこに……って、うわ!?」


 全速力で走りながらよそ見をしていたせいか、つまずいてしまった。


「──ちょっ、とっ、とっ、とっ、とっと……」


 なんとか持ちこたえて、不恰好な姿のまま片足だけで踊るように数歩よろける。すぐ近くの壁に寄り掛かろうと手を伸ばしたあたしは、


「……ヘ? きゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………‼」


 不思議なことに、手をついた壁の中へと一気に吸い込まれ、真っ暗闇の世界を転がり落っこちた。

 闇。

 闇。

 闇。

 やっぱり、闇。


「痛たたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた──あひゃああああぁぁああッッツ‼」


 そして、本当は剥き出しの素肌にダイレクトに伝わって襲いかかる終わりなき激痛。

 壁に吸い込まれてからずっと、暗闇の中を転がり落ち続ける。もう嫌なくらい、ずっとだ。


『くっ、耐えるんだロア! きっと出口はすぐそこに違いない……多分!』

「耐えろって……ぶるはッ?! 多分、て、なによっ、ほぉ、ほぉぉぉぉおぉぉおおぃ──もう無理ぃぃぃぃぃぃ!」


 と、


「でえっ!?」


 視界が一気に明るくなり、


「せむばぁハァァァッ‼」


 あたしの身体は淡黄色でマーブル模様の大理石の床へと勢いよく放り出される。

 そのまま一直線に同じ大理石の壁際近くまで滑ったけれど、奇跡的にぶち当たる直前でピタリと止まった。


「痛いぃぃ……! 乳首がぁぁ……乳首がぁぁ……! こんなの間違ってるぅぅぅ……‼」


 両方の乳首を手のひらで押さえながら、右へ左へと無様に床の上を転げまわる本当は全裸のあたし。

 マルスたちに見捨てられてからの数時間、こんなのばっかりじゃん──助けて神様と、心の中で強く願う。


「そ、そうだ……魔法……回復魔法を……」


 うっかり忘れていたけれど、回復魔法も少しだけなら使える。全身の激痛──とくに乳首──に耐えながら、魔法の詠唱を早口で始めた。


初級治癒魔法プティ・ヒール!』


 ──ポョ~ン!


「……へ?」


 だけど、なぜか傷口を癒すことなく、回復魔法はすり傷と青アザだらけの身体にはじかれて消えてしまった。


『すまないが、その程度の回復魔法なら我がかけた幻影魔法に跳ね返されるぞ』

「えっ、なんでそうなるのよ!?」

『簡単に説明をすると、光の反射作用のひとつが影響している』

「うおおっ……マジですか、ミメシスさん……?」


 結局なにも回復ができず、自然治癒力に頼るしか方法がなかった。

 自分の運命に失望し、ゆっくりと時間をかけて四つん這いになったあたしの目の前には、たくさんの宝箱が左右均等に置かれていた。どうやらここは隠し部屋で、宝物庫でもあるようだ。


「や……やったぁ……回復薬ポーションとか装備品があるかも」


 本当は全裸のあたしは、赤ちゃんみたくハイハイをして宝箱をめざして進む。

 こんな姿を両親や祖母が見たら、一生家の外へは出してくれないだろう。

 ちゃんと数えてみると、宝箱は全部で八個あった。これだけあるのだから、ひとつくらいは着れる物があってもいいはずだ。


「うーん。まさか、魔物が潜んでたりしないわよね?」

『それはないだろう。邪悪な気も生命反応も我には感じられない』

「ホッ。それじゃあ、先ずはこれから開けるね」


 ギギギギ……。


「みゃ?」


 中に入っていたのは、ビキニの水着だった。


『フムフム……これは、思い出の水着だな』

「思い出の……水着……って、見覚えがあると思ったら、あたしとプリシラがバイトしてたときに酒場で着てたヤツじゃないのよこれ!」


 どうしてこんな物がラストダンジョンに──まあ、全裸よりは遥かにマシだから装備するけど。


「じゃあ、続けて二個目を」


 ギギギギ……。


「これって」

『フムフム……これは思い出のサンダルといってだな──』

「いや、説明いらないし! 酒場のバイトで水着と一緒に身につけてたサンダルだし!」


 ラストダンジョンでいったいなにが起きているのか──まあ、裸足よりは全然マシだから装備するけど。


「……って、なんか微妙な物ばかり宝箱に入ってるじゃないの!? 次を開けるのが怖いけど、ちょっぴりなにかを期待しちゃってる自分も怖い!」


 とにかく一応次々と開けてみた結果、高回復薬ハイポーションが三個に一万五千ガネス(鞄がないから持ちきれないため、あきらめて宝箱を閉めた)、黒魔導師のあたしには装備ができそうにない錆びついた長剣が入っていた。


 そして、残る宝箱はあとひとつ。

 しかもなんか、やけにおっきい。


「ングング……魔物がいないのは……グビグビ……確かなのよね? ゴクゴクゴク……ゲフッ!」


 持ち歩くには邪魔な数のハイポーションを全部イッキ飲みしながら、ミメシスに再確認する。


『ああ。それは間違いない。我を信じてくれ』

「……うん、もちろん信じてる」


 なんだか、となりにミメシスがいるような気がして、自然と笑みがこぼれる。不思議と、前意識の中にいる彼女も笑顔をみせてくれたような気がした。


「最後の宝箱くらいは、ちゃんとした装備品が入ってますよーにっ!」


 ギギギギ……。


「──?!」


 やけにおっきい宝箱を開けた直後、なかから矢が何本も飛び出てきてあたしの胸を貫いた。


「そん……な……」


 身体が横を向いたまま、くの字で倒れる。

 それからすぐに、生暖かい液体があたしの肌と髪の毛を濡らしていった。血だ。


 生まれて初めて経験する違和感。


 なんだろう、これ?


 息ができないや。


『ロアッ!』


 頭のどこかで、ミメシスの叫び声が聞こえたような気がした。


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