音かい-OnKai-
森乃宮伊織
第1話 じゃんけんー・ぽん
昨夜、抜かりなく閉めたと思ったカーテンの間を縫って、朝のまぶしい陽光が薄暗い部屋の中に差し込んできた。
気だるい体を起こすが、力尽きてもう一度ベッドに倒れ込む。
次に目を覚ましたとき、目の前には夢かと見間違えるほどの絶世の美少女が立っていた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
僕の名前は鈴木海。
そして、僕の目の前に突っ立っているのが藤咲琴音。
僕たちは生まれた時から家が隣どうしのいわゆる幼馴染みで、両親たちの仲も良いので腐れ縁というやつだろう。
寝床から起き上がってふと時計を見た。長針は地面を指しているのがわかり、短針が何時を指しているのか寝ぼけた頭で考える。
僕と琴音の2人がいる部屋の中にチクタクと時を刻む音が時計から溢れ出る。
時刻は7時30分。
始業まではあと45分あるが、さすがにご飯を食べてゆっくり過ごす時間はない。
勉強机の隣に置いてある鞄を手に持ち、僕は階段を駆け下る。そのあとを琴音がだらだらとついてくる。
キッチンに置いてある6等分にされた食パンの一切れを口にくわえて家を飛び出る。
我が家の前に広がる道路は小中高の通学路としても利用されている。したがって、今日も多くの学生がこの道路を歩いていておかしくはないのだけれど。
――なにかがおかしい。
みんな必ず僕のことを一瞬だけ見てすぐに顔を逸らす。そして、その逸らした顔に嘲笑するような表情があるのが見て取れた。
「服、着てないよ」
僕の一歩後ろで琴音が言った。
そんなはずはない。服を着てなかったら、素肌に触れる風がスースーするだろう。
そう思いつつ視線を下のほうへと向けて確認すると、確かに着ていなかった。
「制『服』着ないで、どこ行こうとしていたの?」
パジャマに通学鞄という斬新なコーデを道行く学生たちに見せつけていた僕は、ヤドカリが宿に戻るかの如く、ぴょこんと顔を出したチンアナゴが砂の中に戻るかの如く、ススーっと素早く家に引き返した。
制服に着替えた僕を玄関の前で2人の中学生が待っていた。
なぜ家の前にいるその2人が中学生だと決めつけられるのか、理由は単純明確。ちょうど今僕が身にまとった制服と同じものを着ていたからだ。
多様性が謳われる現代ではジェンダーレス化が進み、僕たちが通う中学校でも近年制服が一新された。
遠くからでは見分けがつかないが、近寄ってみると1人は琴音であることがわかった。そして、その隣にいるのは僕の親友である遥斗。これまた琴音と同じように幼馴染みで仲の良い友達だった。
つまり、僕と琴音と遥斗の家が偶然隣同士で親が仲良くなったため、僕たちも必然的に仲良くなったと言うわけだ。
遥斗とも「おはよう」と挨拶を交わし、3人で学校に向かって歩みを進めた。
車通りの少ない道路。行き交う人々は端に寄るでもなく、堂々と道の真ん中を突き進んでいった。そういう僕たちも参道を歩く神のようにど真ん中を進んだ。
歩き始めて1分もしないうちに一歩先を進んでいた遥斗が歩みを止めた。
すると、後ろを振り返り、僕と琴音に向き合う。
スッと右手を出したかと思えば、反動をつけながらその手を体の方へと引き寄せる。口が縦に大きく開かれ、彼から発せられた声が僕の耳を通って、脳へと届く。
「じゃーんけーん」
「ぽん!!!」
全員がその場に手を思い思いの形にして見せる。
パー、グー、グー。
僕は遥斗のかけ声を聞いて脊髄反射的に左手を握った。不意打ちだった。
グーは咄嗟に出しやすい。人間の構造上そうなっているのかと思う程に。そして、統計上でもグーが一番出される手だとデータでも証明されているらしい。じゃんけんの専門家でもいるのだろうか。
握った左手にやった視線をさらに左へと向ける。
琴音もグーを出したらしい。そりゃそうだよ。
一方の遥斗はというと、体をまた前へ向き直し右足を大きく下げた。
「パーイ、ナーツ、プルっと」
大股で六歩、通学路を前へ進んでいった。
「グーリーコ」
「グーリーコ」
「グーリーコ」 ……………………
30分近く経ったのだろうか。
倍速再生のように高速でじゃんけんをしていくがグーばかりが勝ち、なかなか前へ進めない。
後ろを振り返ると、まだ我が家がかろうじて見える。
先ほどまでまばらにいた通行人の姿は1つもなく、この通学路は僕たち3人だけの「じゃんけんフィールド」となった。
端から見れば朝から何をやってるのだろう。幼稚に思われてもしかたない。だって、当事者の僕だって改めて考えてみると何やってるのかと思う。改めて考えなくてもそう感じてほしいが。
『キーンコーンカーンコーン』
なにか聞こえる。聞いたことのあるような電子音が耳の中で反響する。いや、もしかしたら毎日聞いているのかもしれない。
あたりをグルリと見回した。右手に小さな公園があり、高い位置に固定された時計が目に入る。
短針が8を少し超えたあたり、長針が12から時計回りに90°進んだところにある。
8:15。
意味を理解した僕たちはブルブルと震えながら互いに互いの顔を見つめ合った。
「……とりあえず、行くか。学校」
「――だな」
一歩、二歩と僕たちはゆっくり歩き始めた。これでは授業に間に合わない。
というかこれは無断遅刻者の行動ではないだろ。
琴音と遥斗はやらかしたぁと言わんばかりにうつむき、トボトボと歩いていた。
しかし、何を思ったのかいきなりシャキッと背筋を伸ばし、足を広げた。
「じゃ、お先ー」
2人は息の合ったコンビネーションで走り出し、抜け駆けという親友の関係を崩しかねない最低な行為に躍り出た。
「待ってー。置いて行かないでー」
一番最初に飛び出した遥斗は残念ながら走力に欠け、すぐに僕の後ろを追いかける展開になった。
だが、僕と琴音の距離はどんどん伸びていくだけだった。
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