12.夢を見ながら
法律相談事務所のファイル整理は昼前に終えることができた。その後、クレリアは昼食のためにコールハース一家と共に八百屋の奥へ集まった。そこがこの家の居住区画なのだ。
そこで畑仕事から帰ってきた父のブレフトとも顔を合わせた。
「お父さん。急な話だけど、お手伝いさんにしばらくいてもらおうと思うんだけど、いい? クレリアよ」
寡黙な人のようで、ブレフトは麦わら帽子を脱ぐと、ただ頷いた。野菜たっぷりの昼食の席でクレリアが旅をしていることやその目的などが改めて話された。シモンと、先に夫から話を聞いていたラウラが幼名の風習という手がかりのことも話題に出した。
「だったら八百屋の方でも聞いてみようか。市場じゅうから噂を集めてあげるよ」
「おばちゃん連絡網が役に立つわね」
「あんたももうその一員だろ?」
ヘルダとラウラの笑い声は同じだった。そんな家族団欒に、クレリアは一瞬、強い憧れを抱いた。
それから数日間、クレリアはこの家の一員となって真面目に働いた。
コールハース家は全員早朝に起きると、まずは軽く朝食を食べることから一日を始める。父が畑に出て野菜を収穫している間、他の者は八百屋の開店準備を行う。野菜が運ばれてくると、配達用の木箱に分別する。これがクレリアの一つ目の仕事だ。
朝食と昼食の間が空くので、十時頃に間食をする。配達から帰ってきたラウラが作るので、それを手伝うのが二つ目の仕事だ。その後は昼まで家事を手伝う。
ブレフトが帰ってきて、皆で昼食を食べたら、午後はシモンの事務所で雑用をした。調べ物を手伝ったり、お客の聞き取りをメモしたりする。ラウラの見込み通り、クレリアは仕事を難なくこなせた。
朝が早い分、夜も早い一家は、夕方までには全員仕事場から引き上げる。夕食はヘルダとラウラが中心になりながらも、家族全員がなんとなくそばにいて、お喋りしながら手を貸し合って作られる。その間に出来上がったものをつまむので、全品揃った頃には、既に半分は皆の腹に収まっている。
クレリアは、この家の習慣に馴染むのに二日かかった。なにせ今までは料理が揃ったらまず祈りを捧げるのが常識だったのだ。
しかし、だからといってまごまごしていては食いっぱぐれてしまうので、三日目からは努めて皆と同じように出来立てをつまんだ。すると、クレリアは大発見をした――料理は出来立てが一番美味しいということを。皆に皿が行き渡るのを待ったり、祈りを捧げたりしていたら、料理の鮮度は落ちてしまうのだということを。
「どうしたの? 難しい顔して」
ラウラに指摘された時、クレリアは野菜炒めを頬張っているところだった。
「罪深い美味しさです」
「あはは! そりゃ光栄だね」
ヘルダは今までで一番笑った。
クレリアの寝床は、成人して家を出たというラウラたちの子どもが使っていた部屋に用意された。ほとんど物置だが、ベッドは快適だった。
夜な夜な自分の家族のことを考えた。おくるみを広げて、刺繍の金色の文字を眺めることもあった。
赤ん坊の自分が修道院に置いておかれたことを、クレリアは辛いとは思っていなかった。修道院長から事実を聞かされた時も心に波風は立たなかった。既に修道院の皆が家族だったからだ。とはいえ、自分にも世間の人と同じように『本当の』家族がいるという事実は、衝撃的ではあったが。
自分の両親は、どこの誰で、どうして子どもを手放したのか。多分全てを知っても自分は両親を恨んだりしないのではないか、という気がしている。
ステファン王の崩御から十日後、王都で王の葬儀が行われた。
ハニエから王都へ出かける人は多かったが、コールハース家は喪服を着て町でいつも通りの暮らしをすることを選んだ。
クレリアも黒いシャツとスカートを借りて、正午の黙祷に参加した。町中が静まり返って、教会の鐘の清廉な音だけが響き渡ったその一分間、クレリアの意識は王宮に飛んでいた。
王がまだ椅子に座って日向ぼっこができていた頃、クレリアにこぼすように言ったことがあった。
「余は国で唯一、医術も秘術も受けることができる。なぜなら国の王だからだ。しかし、余が特例である理由は逆を言えばそれだけだ。余には家族がおり、友人がおり、守るべきものがある。しかし、そういう者はこの国に大勢いるのだから」
それから一人でふっと笑った。
「……年甲斐もない話だが、昔から時折考えるのだ。余という意識が、もっと別の肉体に宿っていたら、一体どんな人生を歩んだだろうか、と」
日が傾いてきた頃だった。シモンの手伝いが少し早く終わり、外階段を降りて八百屋の表へ出たところでヘルダに呼び止められた。
「クレリア。あんたに耳寄り情報よ」
夕刊で手招きするので行ってみると、中年の男性が一緒にいた。
「この子が例の子だよ」
「初めまして。噂で君が幼名の風習のことを知りたがってると聞いて来たんだ。実は私の出身地にそういう風習があってね」
クレリアは前のめりになった。
「どこですか?」
「アルメンというところだよ。ここから遠くの、山の麓にある小さな町だよ。厳密には全ての家にその風習があるわけじゃなかったし、昔のことだから今もあるかどうかは分からないけど」
「いいえ、十分です。教えに来てくれてありがとうございます」
とうとう見つかった次の手がかりを頭の中で繰り返した。アルメン、それが次の目的地だ。
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