金の糸 ~追放聖女は旅をする~
川霧莉帆
序章
01.聖女アレッシアの罪
聖女アレッシアは歴代最高の秘術師と云われている。十三歳の時に禁猟区で折られた牡鹿の角を再生させたことで、聖女に指名されて
しかしトーラス国王ステファンの病状は、アレッシアの神聖力をもってしても一向に良くならなかった。それどころか数か月前に寝たきりとなり、いよいよ危うい状態になった。
そこでアレッシアは王を救う方法を変えることを思いつき、数週間、研究に打ち込んだ。寝る間も惜しんで作ったのは、名付けて『蘇生術』だった。死者を蘇生させるという究極秘術である。
この複雑かつ前例のない術式は、紋様や古代文字を組み合わせた術式陣を描くことで準備された。刺繍が施されたガウンとして。
ある嵐の日のこと。雷が轟いて王都を脅かした夜、王が発作を起こしたという知らせがアレッシアの元に飛び込んできた。蘇生術のガウンを抱えて王の寝所へ駆け込むと、宰相ベルナールが既にベッドのそばにいた。
「アレッシア様……。陛下、ご安心ください。聖女様がいらっしゃいました」
ベッドを囲っていた医師や看護師が退いてアレッシアを通した。背中までの白つるばみ色の髪と、すみれ色の瞳の、ローブを着た細身の少女が現れると、王は笛のように鳴る荒い呼吸をしながら、その孫ほどの歳の少女に目で縋った。
「余はまだ天の迎えには応えられぬ……どうか、手立てがあると言っておくれ」
アレッシアははっきりと答えた。
「現世にはもうありません。だから、生き返っていただくことにしました。それで全て良くなるはずです」
医者たちが息を呑んだ。だが王は、アレッシアを驚いて見つめた後、長らく苦痛で強張っていた土気色の顔を久しぶりに和らげた。
「そなたは今まで余に多大な貢献をしてくれた。だから今日は何もできなくともよいのだ」
「いいえ、できなくありません。蘇生術です。まだ一度も試してはいませんが、理論は完璧なはずです。陛下、私にもう一度秘術を使わせてください」
王は、アレッシアの熱意に応えるためというよりも、穏やかな諦めのために頷いた。
「命運はシンスに任せるとしよう」
そう返事をしたきり王の呼吸は激しく狂った。医師たちが革製のチューブが繋がっているマスクを王の鼻と口に宛がって、大きな機械のレバーを動かし始める。今はそれが王の呼吸器官の半分なのだ。
「聖女様。本当に陛下の御身を考えてのことでしょうな?」
ベルナールの目つきはアレッシアの正気をすら疑っていた。それもそうだろう、アレッシアは言外の意味を察せていない様子で、きょとんと見返してきたのだから。
「私は陛下のための秘術師です。陛下が死にたくないと仰るから、全力を尽くしています」
「……いいでしょう。その端をください。手伝います」
アレッシアとベルナールは急いで王の体の上にガウンを掛けた。
王が今までになく苦しむので、医師はたくさんの鎮痛剤を注射した。王は痛みと引き換えに朦朧となり、最期は夢を見るような輝く目で、どこへともなく伸ばした手をガウンの上に落としたのだった。
すぐにアレッシアはガウンの術式陣に手を触れ、目を閉じて意識を集中させて神聖力を送り込んだ。
灰色の糸で刺繍された複雑な模様が金色の光を淡く帯びる。だが十秒経った後、その光が止んでアレッシアは焦りの表情で目を開いた。
医師が恐る恐る王の手首に指を当て、首を横に振る。
「そんな……なぜ……」
「術が不完全だったのではありませんか?」
ベルナールの静かな問いへ、アレッシアは声を張った。
「何度も読み直しました。間違いはなかったはず……!」
「あるいは、命を蘇らせる術など無いのかもしれません」
「死の定義は二つあります。呼吸が止まることと思考が止まること。確かに頭の働きが止まる死は覆せないかもしれませんが、この蘇生術は――」
ベルナールは首を横に振って言葉を遮った。
「何も起きなかった、それが全てです。アレッシア様、あなたの秘術師としての力は素晴らしいですが、今回は失望させられましたよ」
「え……?」
「結果的に陛下へとんでもない嘘をついたも同然ではありませんか。その上、最期の時に何もできなかった。あなたは聖女としての仕事を十分には果たさなかったのです」
追及されるとは思ってもおらず、アレッシアは咄嗟に反論できなかった。見かねた医師が口を挟む。
「宰相閣下。確かに死者を蘇生するという考えは普通ではないですが、秘術の可能性を探ったという点では、聖女様は十分なことをなさったのではありませんか?」
「その点が問題なのです。成功する確率がいくらかも分からない未知の方法を陛下の御身で実験したのです。より問題なのは、本人にその自覚がないということ。これほどまでに倫理観の歪んだ人物が聖宮に居座っていたとは、恐ろしいことだ」
次にベルナールはまるで冷酷な為政者のように宣告した。
「聖女アレッシア。ステファン王を騙して余命を縮めたその罪により逮捕します。沙汰は明朝までお待ちを。しかし極刑は免れないとご覚悟ください」
「えっ、あ、わ、私……そんな……!」
雷に打たれたかのような衝撃に襲われ、アレッシアの言葉はまとまらない。
寝所のドアの裏から白金色の兜を被った王宮警備隊員が二人踏み込んできて、アレッシアは両手首を縄でくくられた。そして事態が飲み込めないまま、部屋から引き出されてしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます